たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「中学生日記より」その62

2022年09月12日 18時22分36秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

 


「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その62 「稲刈りと夜なべ仕事」

昭和30年(1955年)9月25日、日曜日、天気 晴、
起床 6時30分、

1、昼前(午前中)、川原の稲刈り(の手伝い)
2、昼から(午後は)、(稲を稲架(はさ)に)かけて(掛けて)、ほとんど遊び、
3、新聞体み(休み)、
4、上刈に、軽い火事(ボヤ)があった。
5、全部で、くり(栗)が、13つる(吊)、(出来た)

当時は、9月下旬が、稲刈り最盛期だったようだ。毎日、学校から帰ると、直ぐ稲刈りの手伝いをしていたが、この日は、日曜日。父親も勤めは休みで、母親と3人で、午前中、家から歩いて15~20分の川沿いに有った田んぼの稲刈りだったようだ。もちろん稲刈り機等無く、1株づつ、稲刈り鎌で刈る作業で、毎日、母親と、少しずつ熟していたが、全部終わらせたのだと思う。
午後、運んだ稲を稲架(はさ)に掛けた後は、手伝いから解放されたようで、「ほとんど遊び」と書いてある。
この日も、野良仕事には、一切、手を貸さなかった祖父が、裏山から大量の山栗を拾ってきたようで、大鍋で茹でて、綿糸で繋ぐ、夜なべ仕事が有ったようだ。全部で、13吊、出来たと書いてある。吊るしにした栗は、軒下等にぶら下げて乾燥させ、石のようにカチカチになった栗は、正月等に、コタツで、子供達のおやつになったものだった。今では信じられないが、カリポリ、カリポリ、よくも食べられたものだと思う。

(追記)
ネットから拝借、「干し栗」の画像、
懐かしい情景

コメント (1)

「故郷の廃家」

2022年09月12日 09時43分54秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、10年前の2012年9月2日、gooブログに引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事、「故郷の廃家」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「故郷の廃家」

第二次世界大戦終戦直前に、戦火を逃れて、東京から、父親の生家が有った北陸の山村に疎開し、どんな事情が有ったかは、結局知らずじまいだったが、そのまま、その地に定住してしまった家で育った爺さんである。幼少期から高校卒業まで暮らした粗末なその家は、一人暮らしを続けていた母親を、妹が引き取ってから空き家となっていたが、折りしも、過疎の地方に限らず、全国的に住人不在不明の空き家がどんどん増えて、問題になっている昨今のこと、隣り近所に迷惑や心配を掛けることのないようにと覚悟し、潔く10年程前に解体し、その跡地は、現在荒れ地になっている。長年の暮らしで、蓄積した大量の家財、農機具類、雑物の分別、処分に大変な労力と時間が掛かってしまったが、一応にケリがつき安堵したものだった。

昭和30年代、中学生だった頃の音楽の教科書に、「故郷の廃家」が有った。その当時は、特別な感傷を覚えることもなく、多分、教えられたまま、アメリカのカントリー(田舎)の風景かなにかをイメージして歌っていたような気がするが、何故か、歌詞、メロディーを、いまだにしっかり覚えている。


振り返り記事 → 2021年3月19日 中学生日記・その18


今更になってネットで調べて見ると、
「故郷の廃家」は、アメリカの音楽家ウイリアム・ヘイズ作曲の原曲に、明治時代、旧制高等女学校教師、29才の犬童球渓が詩を付けた唱歌であることが分かった。昭和30年代の日本の田舎には、まだ「過疎化」という言葉は使われていなかったような気がするが、高度成長時代を機に一気に過疎化が進んだ。1番、2番の詩を口ずさんでみると、しみじみと郷愁に誘われ、後年ずっと抱き続けている自分の心情そのもののように思われてくる

幾年ふるさと 来てみれば                                         咲く花 鳴く鳥 そよぐ風                                          門辺の小川の ささやきも                                                          なれにし昔と 変わらねど                                          荒れたる 我が家に                                             住む人 絶えて無く

昔を語るか そよぐ風                                                 昔をうつすか 澄める水                                          朝夕かたみに 手をとりて                                         遊びし友人 いまいずこ                                           さびしき 故郷や                                               さびしき 我が家や

(取り壊し直前の実家)

Img_0861_3

ふるさとは 遠きにありて 思うもの・・・・・。

「故郷の廃家」 (YouTubeから共有)

 

コメント (4)