たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「青い山脈」(再)

2022年12月09日 17時16分54秒 | 懐かしいあの曲

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、もう7年も前、2015年12月5日に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き込んでいた記事、「青い山脈」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


振り返り記事
2015年12月5日
「青い山脈」

昭和20年代から30年代、M男の家は、北陸の山村に有って、まだまだ貧しい暮らしが続いていた。戦後の復興は、目覚しかったと言われているが、「表日本」と「裏日本」(当時は、そう呼ばれていた気がするが)の経済格差、暮らしぶりの差は、かなり有ったように思う。
池田内閣が、所得倍増計画を打ち出す前の年代であり、M男が、小学生高学年、中学生の頃の話である。東北や北陸の農村の中学卒業生は、「金の卵」等と呼ばれて、東京園、大阪園等、大都市園へ集団就職が始まっていた頃でもある。

それでも、M男が暮らしていた山村から5~6キロ離れた小さな町にも、映画館が2館も出来ていて、映画全盛期を迎えようとしていたように思う。
まだまだ、映画を見に行くことさえ、「不良」等という目で見られていた土地柄、時代ではあったが、「文部省推薦映画」だけは、学校から許可が出て、M男達も映画館に行くようにはなっていた。

ただ、当時の農村の大人達には、映画館等に足を運ぶ時間的、経済的余裕は無く、また、近所の目も有り 昼間、映画を見に行くこと等、とんでもないという空気もあったように思う。
年中無休、娯楽も少なかった農民に、映画を見る機会を作ろうと、地元の青年団やPTAの有志が 立ち上がり企画したのではないかと思われるが、年に数回、村の学校の小さな体育館で、夜、映画会が催されるようになっていた。
それは、隣りの町の映画館で上映中のフィルムと映写機を、上映終了後の時間帯に、一時的に借りてきて上映するというものだったのだと思う。

映画会がある日は、農作業を早めに切り上げて、夕方、大人も子供も家族総出で、学校に参集、茣蓙が敷かれた体育館は、びっしり満員となり、わいわいがやがや・・、待機するのである。
「今、映画館から、こちらに向かって、フィルムを運んでいるところです。もうちょっと待って下さい」等というアナウンスもあったような気もする。

映写機は 地元の大工が作ったような類の卓球台の上に設置され 「機械に強い」と 自他共認めていた 中学のI先生が 四苦八苦 セットしていた姿が思い出される。
どんな映画が上映されたのか等、ほとんど記憶に残っていないが、
なんとなく印象に残っている白黒映画に、三益愛子主演の母物シリーズ?が有った。
お涙頂戴映画だった気がするが、年寄りには好評だったようで、後日、近所のおばあさん達が、よるとさわると「良かったね」等とうなづきあっている光景が見られた。

そして、M男が中学2年~3年の頃のある日の映画会では、それまで上映された映画とは、まるで違う映画が上映され、いまだにその感動を忘れない。
それは、総天然色映画、シネマスコープ・・・・等とうたった「青い山脈」だった。

石坂洋二郎原作、「青い山脈」は、戦後、何度も映画化され、昭和を代表する作品となっているようだが、今更になってネットで調べてみると、その映画会で上映されたのは、第2作目の、司葉子宝田明雪村いずみ久保明淡路恵子水谷良重草笛光子等が出演した、1957年版(昭和32年版)だった。

体育館に反響する大音響の主題歌「青い山脈」・・・・、
大型スクリーン、鮮烈なカラー・・・・、
戦後の暗い暮らし、田舎の因習、を吹き飛ばしてくれるような迫力・・・
青春、憧れ、初恋、夢、希望・・・、いろんな要素が重なって、感動が増幅、
多感な少年が、まだまだ貧しかった暮らしの中、粗末な会場で見た「青い山脈」だったからこそ とてつもなく、大きく、鮮烈に 脳裏に焼きついたのだと思う。

毎回、映画会が終わる時刻は、かなり遅くなるため、幼児はおんぶされ、外灯の無い暗い田んぼ道を、近所同士、三々五々黒い塊となって、家路についたものだが、そんな情景までが思い出される。まだまだ、現実は、映画のように明るくは無かったのだ。

今年(2015年)、9月5日に、昭和を代表する映画女優と言われる原節子さんが亡くなられた。原節子さんは、今井正監督の「青い山脈」第1作目に出演されたことでも知られており、打ちひしがれた戦後日本に、明るさと元気を与えた映画として語り継がれているが、M男にとっては、 映画「青い山脈」と言えば、どうしても、第2作目なのである。
主題歌の「青い山脈」は、1949年(昭和24年)に、作詞 西條八十、作曲 服部良一、唄 藤山一郎・奈良光枝で発表された歌謡曲だが、今でも「国民的愛唱歌」、「昭和の歌・心に残る100第1位」となっている。

「青い山脈」 (YouTubeから共有)

 

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師走中旬、故郷の冬に想いを馳せながら・・・、

2022年12月09日 11時19分01秒 | 暮らしの記録

北海道、東北、北陸等の相互フォロワー登録している方々の降雪や積雪の画像を拝見しながら、毎年のこと、この時期になると、故郷、北陸の山村の冬風景に想いを馳せてしまう爺さんである。
南北に長い日本、特に冬期の気候は、日本海側と太平洋側とでは、真逆。
冬になると、それを、痛切に感じる。

関東南西部の当地、今日も、快晴の1日になりそうだ。
日の出時刻は、6時41分頃。
西の空には、まんまるお月さんが・・・。
因みに、日の入時刻は、16時29分頃、日長時間は、約9時間48分・・という。

猫額庭のナンテンが鮮やかに色づき、

まだまだ、咲きたいらしい? ホトトギス

 

マンリョウ

次々開花する、シャコバサボテン

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