たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

何度でも笑えてしまう「シルバー川柳」リバイバル(14)

2022年12月16日 11時38分17秒 | 川柳・俳句・五七五

公益社団法人「全国有料老人ホーム協会(有老協)」が、2001年に、設立20周年を記念してスタートさせた「シルバー川柳の公募」と「入選作品発表」。毎年、楽しみにしている類であるが、22回目となる今年も、9月に、「入選作品」が 同協会のホームページ上で発表され、当ブログでもご紹介させていただいた。
過去の「入選作品」も、同協会のホームページ上で、いつでも閲覧出来、これまで、毎年のように、繰り返しご紹介しているが・・、
  何度でも笑えてしまう「シルバー川柳」
いずれも、川柳の「才能有り」の人達の傑作揃い、思わず吹き出してしまったり、有る!、有る! 頷いてしまったり、上手い、座布団2枚!・・等と膝を打ってしまったりする句ばかり。
頭カチカチ、ユーモアセンスゼロ、川柳の才まるで無しの爺さん。
2022年も終盤、今年も川柳で笑って締めたいものだ等という気になり、過去のブログ記事をコピペ、リメイク、「入選作品」に、再登場してもらうことにした。


(注)「シルバー川柳入選作品」を、当ブログ上でご紹介することについては 
同協会のご承認をいただいている。


「第14回シルバー川柳入選作品」(全20作品・順不同)
2014年(平成26年)、11,370句の応募作品から選ばれた作品

粗大ゴミそう言う妻は不燃物 (男性・71歳)
(ワハハハハ・・・・、オモシローイ、互角の勝負?)

LED絶対見てやる切れるとこ (女性・53歳)
(LEDの寿命より、絶対に、長生きしてやる!・・・てか、その意気よろし)

素っぴんに隣の犬が後退り (男性・78歳)
(怪しい女、不審人物?、そんなに怖い?・・・、犬は正直?、あーあ、)

補聴器をはめた途端に嫁無口 (女性・44歳)
(どうも、聞かれたくない話、いっぱい有るらしい?)

同時期にシュウカツをする孫と爺 (男性・50歳)
(就活と終活・・、上手いなあ・・・座布団2枚)

つまずいて足元見れば何もなし (女性・55歳)
(有る、有る・・・、足が上がってない証拠、気をつけましょう)

元酒豪今はシラフで千鳥足 (男性・38歳)
(本人、まっすぐ歩いているつもりなんですけど・・・・)

円満の秘訣は会話しないこと (男性・69歳)
(なんとなく、分かるような気もしたりして・・、会話無し頷くだけの平和主義)

ケアマネをもてなしあとで寝込む祖母 (女性・46歳)
(独居老人にとって、ケアマネさんもお客様みたいなもの・・、精一杯の、お・も・て・な・し)

新聞を電車で読むのはオレ一人 (男性・71歳)
(昔は、みーんな新聞読んでたものですが、最近は、みーんなスマホ・・・、)

脳ボケにSTOP細胞ないかしら (男性・65歳)
(「STEP細胞」ならぬ、「ボケSTOP細胞」・・・、いいね!、いいね!)

いびるなら遺言書きかえ倍返し (男性・42歳)
(遺産相続、難しい、難しい、骨肉相食むなんてことにならないように・・・)

叱った子に今は優しく手をひかれ (女性・90歳)
(そうしたい、そうなりたい・・ですね)

遺産分け位牌受け取る人はなし (男性・77歳)
(お墓、仏壇、位牌を守る子が居なくなって・・・、どうする、どうする・・・)

糖尿病甘い生活記憶無し (男性・73歳)
(辛党の俺様が、なんで、糖尿病?・・・、ってか)

鏡見て懐かしくなる母の顔 (女性・55歳)
(加齢と共に、だんだん母親の顔に似てきたのかな?、)

恐妻を天使に変えた認知症 (男性・62歳)
(天使にならなくてもいい、恐妻のままでいて欲しかった・・・、という思い?かな)

老いるとはこういうことか老いて知る (女性・64歳)
(年年歳歳、心身共、老いを感じています)

どこで見る東京五輪天か地か (男性・62歳)
(そう言えば、東京五輪開催が決まった当時、そんな先、もう生きていないかも知れないと思ったものだった)

妻乱心オレにもほしい自衛権 (男性・49歳)
(一方的に攻め込まれるだけの恐妻家?、日本国みたい?)

(ネットから拝借イラスト)

五七五、わずか17文字に
作者の人柄や夫婦家族の情景、世相までが詰まった川柳、
作者それぞれの鋭い着眼点、ユーモアセンスに感じ入りながら
思わず吹き出してしまったり、
有る、有る・・・頷いてしまったり、
うまいなあー、膝を打ってしまったり、
ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、
川柳の才能まるで無しの爺さんである。

高齢者の日々、病気、介護、年金生活、・・・
いろいろ問題有りだが 
「シルバー川柳」の如く、笑い飛ばして
 明るく暮らしていきたいものだ。

(つづく)

 

 

 

 

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その29

2022年12月16日 08時57分26秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等に出掛けたものだったが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。息子達が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していたことを、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んだり、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼っていたものだが、その「デジブック」が終了したことで写真がブログから消えてしまったこともあり、改めて、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)してみようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その29
「忘年山行・三ツ峠山」(再)


もう10年前になってしまったが2012年(平成24年)12月16日に、山梨県の「三ツ峠山」を訪ねたことが有った。「三ツ峠山」は、それまでも何回か訪れたことが有り、お馴染みの山だったが、それは、もともと、50代の頃、公的水泳教室の初級クラスで一緒だったことから始まった長い付き合いのS氏から、「忘年山行・三ツ峠山」は、どうか?と誘われ、S氏の友人知人山行グループに加えてもらう形で参加した、1泊の「忘年会兼山歩き」だった。


コース・歩程等 

清八林道・三ツ峠登山口→三ツ峠山荘→開運山山頂→三ツ峠山荘→木無山→母の白滝→河口浅間神社・河口局前バス停 (標準歩行所要時間=約4時間)

(昭文社の「山と高原地図・富士・富士五湖」から拝借)


7時30分頃、前日宿泊(忘年会)の「三ツ峠グリーンセンター」を出発、S氏のグループのK氏の自家用車で、「清八林道・三ツ峠登山口」へ移動し、
前日の雨雲が、100%消え去り、快晴。風も弱く、日差しが暑く感じられるような好天気に、全員気を良くして、午前8時45分頃、出発したようだ。

途中に立ち寄った「天下茶屋」の前からの河口湖と富士山

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登山道には、10数㎝のガチガチ霜柱が・・・、

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登山口から、1時間30分程で、山頂に到着、
雲一つ無い、澄み切った青空の下、甲斐駒、鳳凰三山、北岳、間ノ岳、農鳥、八ケ岳、金峰山、北アルプス(穂高、槍、常念等)、360度 大展望、山座同定、

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三ツ峠山山頂・開運山(標高1,786m)                                    開運山、御巣鷹山、木無山の三山を合わせて、「三ツ峠山」と呼ぶ説が知られているが、一般的には その内の最も標高の高い開運山が、三ツ峠山山頂と呼ばれている。

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三ツ峠山荘前に戻り、近くの広場で、ワイワイガヤガヤ、エッセン、
おじさん6人、食材を持ち寄り、何を作ったか等、覚えていないが
昼食タイム

府戸尾根・天上山方面への分岐

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母の白滝

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14時頃、「河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)」に到着、
「河口浅間神社」は、864年に起こった富士山の噴火を鎮めるために建立されたという非常に古い神社で、富士山信仰の対象と芸術の源泉の構成資産の一部として、世界文化遺産に登録されている。

 

社殿周辺にある7本のスギの神木は、「七本杉(ひちほんすぎ)」と呼ばれ、1958年に山梨県指定天然記念物に指定されている。

七本杉のひとつ、二柱の杉・父母(ふたはしら)は、縁結びの杉とも言われている。

 

表参道には約18メートルの大鳥居を供え、根廻りが7mの杉並木の参道があり、杉並木は、富士河口湖町指定の天然記念物になっている。

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神社の近くに、「河口局前バス停」が有り、14時38分発の富士急山梨バスに乗車し 「富士急河口湖駅」へ向かった。路線バスの本数が極めて少なく、下山時刻に注意しないと、とんでもない待ち時間になるところだったが、S氏の抜かり無い計画ですんなり・・。
「富士急河口湖駅」から、富士急、JR乗り継ぎで帰途についたのだった。

未だに、つい数年前のことだったような気がしているが、もう10年も前の話になってしまった。「10年一昔」・・・、あの頃はまだ、師走に山に誘われて出掛ける元気があったのだなあと つくづく思ってしまう。

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