たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

冬至冬中冬始め(とうじふゆなかふゆはじめ)

2022年12月22日 18時30分35秒 | 暮らしの記録

当地、今日の天気予報は、「雨のち晴」だったが、
午後になっても青空が広がることなく曇天、 
寒さ厳しい1日だった。
今日は、「二十四節気」のひとつ「冬至」。北半球では、1年で最も日長時間が短い日だ。「二十四節気」とは何?も分からなかった子供の頃に教えられ、「夏至」と共にしっかり覚えた日でもある。「二十四節気」とは、節分を基準に1年を24等分して約15日毎に分けた季節のこと。例えば「冬至」も、最初の1日、12月22日だけを指す場合と、その日から約15日間を指す場合が有る。今回の場合、12月22日~1月4日までが、「冬至」ということになる。あまり馴染みのないように見えるが 現在でも 季節季節の変わり目の挨拶等に、無意識に使っていることが多い気がする。
   「冬至冬中冬始め(とうじふゆなかふゆはじめ」
という、冬至の頃からが、本格的な冬の厳しい寒さになるという意味合いの諺が有るが、今年はすでに、北日本、北陸地方等では、大雪となっており、真冬の様相。
例年より厳しい冬になるのかも知れない。
「冬至」の日には、地方によっては、小豆粥やかぼちゃを食べたり、冷酒を飲み、柚子湯に入り 身体を温める風習があるという。

(ネットから拝借)

寒さは、これからますます厳しくなっていくが、今日を境に、日長時間は、次第に長くなっていく。
  冬来たりなば 春遠からじ
今度は、春を待ち侘びる心情が、強くなってくる。

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振り返り記事・「私にとってのブログ」

2022年12月22日 17時28分25秒 | ブログ考

光陰矢の如し・・、
2022年(令和4年)も、あっという間に過ぎ去り、残りわずかになってしまった。
毎年、年初には、果たしてもう1年間、無事に暮らせるものやら等と思ってしまう八十路過ぎではあるが、今年もどうやら年を越せそうで、感慨深くもなる。
そして、当ブログも、2011年5月29日に「OCNブログ人」で開設、「gooブログ」に移行し、通算で11年7ヶ月にもなってしまう。よくもまあ、こんなに長い年月、続けてきたものだと、我ながら驚いてもいる。
「10年一昔」・・・、ブログ開設の当時、今の自分の暮らしを予想、想像、想定出来ていただろうかとも思ってしまう。当時とほとんど変わっていない部分もあれば、まるっきり変わってしまった部分も有り、さらに言えば、未だに生きていること自体、感慨無量となってしまうのだ。

時々、そんな開設当初の古いブログ記事を覗きながら、これはという記事を、コピペ、リメイクしたりしているが、ふっと、11年前、ブログを始めてから6ケ月目の、2011年11月30日のブログ記事「私にとってのブログ」が、目に止まり、懐かしく読み返しているところだ。
「へー!、そんなこと、書き込んでいたっけ?」、
ブログに書き留めてきたことで、後年になって、過去を振り返る時、記憶からだけではとても思い出せないことまで、蘇ってくる。
当ブログは、開設当初から、「記憶力減退爺さんの自分のための備忘録・記憶補助ツール」と決め込んでおり、「塵も積もれば山となる」・・・、「爺さんの引き出し(ブログ・カテゴリー)」には、雑多な備忘録が詰まっており、「ブログ内検索」でも引っ張り出せるので、今では、有難い存在になっているのだ。

(ネットから拝借イラスト)


振り返り記事 
2011年11月30日・「私にとってのブログ」
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こちら


 

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諸田玲子著 「四十八人目の忠臣」

2022年12月22日 14時47分59秒 | 読書記

図書館から借りていた、諸田玲子著「四十八人目の忠臣」(毎日新聞社)を、読み終えた。赤穂浅野家の江戸屋敷に奥女中として仕えたきよを主人公にし、四十七士の一人磯貝十郎左衛門の恋仲になり、討ち入り前には密偵として手助けし、男達が本懐を遂げた後は、忠義心と男達の悲願を胸に秘め、後に将軍家宣の側室となり、残された浅野家ゆかりの女達と共に、その悲願を叶える姿を描いた長編歴史小説である。

▢目次
 「牛天神」「鉄砲州上屋敷」「あぶれ者」「尼ふたり」「凶兆」「驚天動地」
 「恋の行方」「新妻」「十人十色」「怒涛の日々」「討ち入り」「生か死か」
 「女だからできること」「月光」
 「あとがき」

▢主な登場人物
(主人公きよと家族)
 きよ喜世左京の方月光院
 (勝田元哲の娘、浅野家の江戸屋敷の奥女中として内匠頭長矩の奥方阿久利(里)に仕え、
  後に、将軍家宣の側室となり、家宣没後も、7代将軍の家継の生母として大奥の実権を
  握った)

 勝田元哲(きよの実父、旧名=佐藤治部左衛門、環俗=勝田著邑)
 勝田善右衛門けんかえもん(きよの実兄)
 勝田治兵衛(きよの実弟)
(赤穂浅野家)
 浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)(赤穂浅野家五万石領主)
 阿久利(里)瑶泉院(浅野内匠頭長矩の奥方)
 つま(浅野家の江戸屋敷できよと同輩、後にきよの弟善右衛門と結婚する)
 浅野大学長広→旗本として浅野家再興
(四十七士)
 堀部安兵衛(堀部弥兵衛の婿養子、ほりの夫、赤穂浅野家江戸屋敷御馬回役)
 ほり(堀部弥兵衛の娘、堀部安兵衛の妻、気立て良く女達の心の拠り所の人物、おほり様)
 磯貝正久十郎左衛門(美男、浅野内匠頭長矩の児小姓、寵臣、近習、きよと恋仲になる)
 貞柳尼(磯貝正久十郎左衛門の母)
 村松三太夫(村松喜兵衛の倅、きよとは名ばかりの許嫁となる)
 不破数右衛門(赤穂藩を出奔した浪人)
 大石内蔵助(赤穂浅野家国家老)
 寺坂吉右衛門
 前原伊助
(吉良家)
 吉良上野介義央(こうずけのすけよしなか)(高家旗本)
 富子(上野介の妻、討ち入り前、一時、きよが吉良家の内情探るべく侍女として仕える)
(徳川将軍家)
 綱吉(5代将軍)、甲府藩主徳川綱豊家宣(6代将軍)、鍋松家継(7代将軍)
(大奥)
 江島(桜田御殿できよの教育係→大奥総取締役)
 近衛煕子(ひろこ)→天英院(家宣の正室、御台所)、
 お須免→大典侍の方(家宣の側室)、
 お古牟→右近の方→法心院(家宣の側室)、
(その他)
 木屋孫三郎(豪商、きよの庇護者)
 仙桂尼(無量庵の尼、木屋孫三郎の従妹、浅野家の先代の奥方に仕え、長矩、阿久利(里)と
  親交が有る)

 佐藤條右衛門(きよの遠縁、えんまのおじちゃん
 堀内源左衛門(堀内道場主)
 細井広沢(儒学者)
 柳沢吉保(徳川綱吉の側用人)→松平美濃守吉保(大老)
 間部詮房(徳川綱豊→家宣の近習)→老中
 
「あとがき」で、著者は、歴史に弄(もてあそ)ばされながら、巳の存在価値を見つけて雄々しく生き抜く女達を描くことが、私の歴史小説のテーマの一つだと記述されているが、本書も、きよをはじめとする、そうした女達を見事に描いた作品だと思う。
江戸時代中期、元禄は、武勇の時代から文治の時代への端境期、浪人が急増、生類憐れみの令等、世の中の混乱期、そんな中で起こった殿中の刃傷沙汰、お馴染み「忠臣蔵」を題材にしているが、一般的に、「討ち入り」、「切腹」の場面がクライマックスの物語になるところ、敢えて、その場面は、簡略化し、徹頭徹尾、忠義と恋のはざまで揺れた江戸の一女性きよの目と五感にこだわった作品になっている。
後に将軍家宣の側室となり、将軍家継の生母月光院となったきよ、赤穂浅野家とのつながりについては、疑問視する説も有るのだそうだが、著者は、それはともかくとして、華々しく散って行った男達が、成し遂げられなかった、(1)浪士の遺児達の無罪放免、(2)赤穂浅野家の再興という悲願を、残された浅野家ゆかりの女達と共に、辛抱強く、地道な運動を続け、ついに叶えるというドラマに仕立てている。四十八人目の忠臣とは、派手な功績の影で人知れぬ努力をし、諦めず熱くまっすぐな思いを結晶させた女達、「月光院」(きよ、喜世、左京の方)であり、「瑶泉院」(阿久利(里))であり、「仙桂院」であり、「ほり」であり、脇役の「えんまのおじちゃん」、「けんかえもん」だった。

 

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