たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「冬の夜」

2022年12月25日 20時26分37秒 | 懐かしいあの曲

相互フォロワー登録しているある方のブログを拝見していて、これまですっかり脳裏から喪失していた童謡、「冬の夜」を思い出した。子供の頃、「音楽」で習ったのかどうかは分からないが、メロディー、歌詞共、なんとなく覚えているから不思議なことだと思う。
せっかく思い出しても、そのそばから、何を思い出したかも思い出せなくなる老脳、忘れない内に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き留め置くことにする。

今更になってネットで調べてみると
「冬の夜」は、1912年(明治45年)の尋常小学校第三学年用に掲載された「尋常小学唱歌」だった。作詞者、作曲者は不明なのだそうだ。
明治時代後期の雪国、外は一面雪に覆われ、吹雪が吹き荒れる厳しい冬、暖房もラジオも無い時代、家族が、「囲炉裏」の周りに身を寄せ合って、夜の団欒の時を過ごしている情景を表現した歌である。
戦後、昭和30年代頃からは、日本の住宅環境は急速に変わり、「囲炉裏」の有る家等ほとんど無くなってしまっており、多分、「囲炉裏(いろり)って、何?」という世代が大多数になっていると思われるが、昭和20年代~30年代、北陸の山村で幼少期を過ごした爺さんには、かすかに「囲炉裏」の有る暮らしの記憶が有り、童謡「冬の夜」には、じーんとするものがある。
現代では、雪深い地方でも、冬中、雪に閉じ込めらる暮らしは無いが、昭和20年代、30年代頃の北陸の山村ではまだ、それに近い暮らしが有ったのだった。

12年前、2010年に、岐阜県の白川郷を訪れた時、撮っていた「囲炉裏」

「冬の夜」
作詞者・作曲者 不明、

燈火(ともしび)ちかく
衣縫ふ(きぬぬう)母は
春の遊びの 楽しさ語る
居並ぶ子どもは 指を折りつつ
日数(ひかず)かぞへて 喜び勇む
囲炉裏火(いろりび)は とろとろ
外は 吹雪

囲炉裏の端に 繩なふ父は
過ぎしいくさの 手柄を語る
(過ぎし昔の 思い出語る)
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火は とろとろ
外は 吹雪

「冬の夜」 ダーク・ダックス (YouTubeから共有)

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ロウバイが開花しており・・・、

2022年12月25日 17時09分41秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、やや雲が多かったものの、比較的穏やかな晴天で、
日中、陽だまりでは、ポカポカする程だった。
午前中は、あっちだこっちだ、買い出しで終わってしまったが、
午後、好天に誘われ、その気になりちょこっと歩いてきた。
手袋要らず、調子に乗って、スマホの歩数計で、約9,800歩。

昨夜、プールで、泳友の女性Kさんから、「あそこの公園のロウバイ、咲いてるよ・・・」と耳打ちされ、「エッ!、もう・・?」だったが、早速、今日、立ち寄ってみた。
都立陵南公園の一角に植樹されているロウバイ(ソシンロウバイ)の1本だが
確かに咲き始めており、
もしかしたら、12月にロウバイ開花をみるのは、今回、初めて?かも知れない。


爺さんの備忘録的花図鑑「ロウバイ(蝋梅)」
👇
こちら


スイセン

 

ハボタン                       ユズリハ

 

タカサゴユリの実の殻             キンカン?・・・かな

 

アオサギ

夕焼け空

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由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな

2022年12月25日 09時42分16秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その27

由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへも知らぬ 恋の道かな

出典
新古今集(巻十一)

歌番号
46

作者
曽禰好忠

歌意
(潮の流れの速い)由良の瀬戸を漕ぎ渡っていく舟乗り(船頭)が
楫(かじ)を失って、行く先も分からずに漂うように
これから先、どうしてよいか分からない(頼りない)恋の
行く末であることよ。

注釈
「由良(ゆら)の門(と)」の「由良」は、
和歌山県、兵庫県、京都府に有る地名だが、
作者の任地(丹後)から見て、
京都府の由良川が若狭湾に流れ込む辺りの地名と考えられる。
「門(と)」は、瀬戸、海峡・川口のこと。
「舟人かぢを絶え」=「舟乗り(船頭)が楫(かじ)を速い流れに
奪われた、失った」の意。
「かぢ」=楫(かじ)、櫓(ろ)、櫂(かい)のこと。
「ゆくへも知らぬ恋の道かな」=「頼りない、恋のなりゆき」の意。
「ゆくへ(行方)」=行き先。
「恋の道」=恋のなりゆき。
「道」は、「ゆくへ(行方)」「渡る」の縁語。


曽禰好忠(そねのよしただ)

10世紀後半、平安時代の歌人。
時流に反抗する清新進歩的な歌風で、
和歌革新の先駆となった人物。
丹後掾(たんごじょう)であったことから、
曽丹後(そたんご)、曽丹(そたん)等と、呼ばれていた。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

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