たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

12月14日、今日は何の日?

2022年12月14日 16時30分02秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

今日の日本列島、上空に強い寒気が覆い被って、各地共、厳しい寒さになっているようだ。特に、西高東低の冬型気圧配置が強っていることから、北海道や東北、北陸、山陰の日本海側を中心に、大荒れ、大雪が予想されており、事故災害が起きないよう祈るばかりだ。
関東南西部の当地は、朝から良く晴れているものの、ブルルン!、やはり、寒く、出歩く気がせず、縮こまって、「晴読」と決め込んでいるところだ。

ネットで、「今日は何の日?」をみてみると、
12月14日は、「四十七士討ち入りの日」「忠臣蔵の日」と有る。
1702年(元禄15年)12月14日(旧暦)に、赤穂浪士47人が、江戸本所松坂町の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた日に由来しているのだ。
たまたま、先日、図書館から借りてきて読み始めたばかりの書が、諸田玲子著「四十八人目の忠臣」で、ちょこっと、予備知識のつもりで、ネットで調べてみた。

「赤穂事件」「四十七士討ち入り」
1701年(元禄14年)3月14日(旧暦)に、江戸城松之廊下で、勅使饗応役を拝命した播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(ながのり)が、幕府の礼式を司る高家筆頭の吉良上野介義央に小刀で切りかかった事件のこと。幕府が朝廷の使者を接待している最中の出来事で有り、第5代将軍徳川綱吉の激怒により、浅野内匠頭長矩は、即日切腹、播磨浅野家は、改易(領地没収、赤穂城明け渡し)という厳しい処置がとられた。それに対し、吉良上野介には、一切のお咎めがなかった。
主君浅野内匠頭長矩のみが処せられたその事件に、家臣たちは反発、主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年の1702年(元禄15年)12月14日、寅の上刻(現在の暦法では、15日午前3時頃、当時は日の出の時間に日附が変わっていたので14日となる)、大石内蔵助の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入り、2時間の戦いの末、一人の死者を出さずに吉良上野介の首を討ち取った。吉良上野介の首を、泉岳寺の浅野長矩の墓前に供え、幕府に報告、世論は、武士の本懐を遂げた赤穂浪士四十七士に味方したが、幕府は、切腹を指示、翌年2月4日に全員切腹した。
この事件を題材として、人形浄瑠璃や、歌舞伎の演目、「仮名手本忠臣蔵」等、数多くの創作作品が作られ、現在まで語り継がれている。

コメント (3)