たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

葉室麟著 「風かおる」

2024年04月09日 17時02分39秒 | 読書記

図書館から借りていた、葉室麟著 「風かおる」(幻冬舎)を、読み終えた。


読んでも読んでも、そのそばから忘れてしまう老脳。
読んだことの有る本を、うっかりまた借りてくるような失態を繰り返さないためにも、
その都度、備忘録として、ブログ・カテゴリー「読書記」に、書き留め置くことにしている。


               

▢目次
(一)~(二十六)

▢主な登場人物
佐久良亮(さくらりょう)・菜摘(なつみ、佐久良亮の妻、23歳、渡辺半兵衛の三女
千沙(ちさ、稲葉照庵の次女、16歳、男装の美少女
渡辺誠之助(渡辺半兵衛の次男、菜摘の弟、18歳
嘉村吉衛(かむらきちえ)・多佳(たか)、
竹内佐十郎・松江、河合源五郎、
峰次郎右衛門(勘定奉行)、佐竹陣内(郡奉行)、高瀬孫大夫(側用人)、
間部暁斎(まなべぎょうさい
田代助兵衛(横目付)、井上庄助(郡方)、
関根寛斎・英太郎、
平田武兵衛(対馬藩長崎聞役最古参

▢あらすじ等
筑前国黒田藩郡方五十石、渡辺半兵衛の三女菜摘は、幼くして、同じ藩の竹内佐十郎松江夫婦のもとに養女に出され育ったが、佐十郎が、「妻敵(めがたき)討ち」のため致仕したことから、離縁され実家に戻され、16歳のときに、鍼灸医の佐久良亮に嫁していた。その養父だった佐十郎が帰藩、10年振りに再会するが、すでに死病に侵され、かつての優しい面影はなく、ひたすら「妻敵討ち」を唆した者との果し合いを望んでいる。養父佐十郎が討たれること明白、治療を施しながら葛藤を覚えた菜摘は、弟誠之助、男装の美少女千沙等と共に、果し合いをやめさせるべく、相手とは誰なのかを探索するが・・・。その佐十郎の元に、果し状が届き、差出し人は、楊梅(やまもも)楊梅とは、いったい何者?、
かって、佐十郎と出世を競った、峰次郎右衛門?、佐竹陣内?、高瀬孫大夫?、なのか?
なぜ、養父佐十郎が、「妻敵討ち」に出なければならなかったのか?。養父の知られざる過去とは?、
嘉村吉衛の無念の死の真相とは?、田代助兵衛を刺殺したのは誰?、多佳の覚悟とは?
なかなか解けない謎、やがて哀しい真実に突き当たる。一連の事件には大きな仕掛けがあり、推理の謎解きも面白く、推理小説のような一面もあるが、
組織の不条理、人間の業と欲、嫉妬、憎しみ、恨み、そして人を信じることの忍耐と苦悩、おのれの背負った罪を知らず生きていく人間が描かれている。
その結末は・・・。哀歓溢れる作品である。
   菜摘は亮を見て怪訝そうに訊いた。
   「どうしたのですか」
   亮はしみじみと言った。
   「いや、皆が長崎に来ると聞いて、なんだかよい風が吹くような気がしたのだ。
   長崎での悲しい出来事を、わたしたちが吹き飛ばしたほうがいいと思う。」

   菜摘は涙が出そうになった。そうなのだ、どのような悲しい思い出も乗り越えて
   いかねばならない。

   風がかおるように生きなければ。
   菜摘は、そう思いつつ中庭に、目を遣った。
   朝方の光があふれる中、風がさわやかに庭木の枝を揺らしている。
佐十郎多佳の死により、事件は一段落し、亮と菜摘の夫婦、菜摘の弟の誠之助、誠之助の恋人、千沙、4人がそろって長崎へ旅立とうというところで、物語は終っている。


「花の雨」「春雨」「催花雨」「春霖」「花散らしの雨」「菜種梅雨」「花曇り」

2024年04月09日 09時13分36秒 | つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ

(日本気象協会 tenki.jp より)

当地、今日の天気予報は、「雨のち曇、ところによっては、かなり激しい雨」、
となっており、どうも、終日、パッとしない天気のようだ。
3月中旬頃から4月上旬頃には、「曇」や「雨」の日が続くことも少なく無いようだが、
例年に比べて、今年はどうなのだろうか。
こんな気候、菜の花が咲く頃に、「梅雨」のようなぐずついた天候で続くことから、「菜種梅雨(なたねつゆ)」等とも、呼ばれているようだが、天気図を見ても、日本列島の南側に前線が停滞する「梅雨」の時期と似通っていることがわかる。
桜の開花時期とも重なるこの時期の「雨」や「曇」に纏わる言葉も、多々有る。
日本人の細やかな感性から生まれた言葉、古来から、俳句の季語にもなっているような
情緒、風情溢れる言葉、いくつか、拾い出してみた。

「花の雨(はなのあめ)」・桜の花に降り注ぐ雨。桜の花が咲く頃に降る雨。
             桜が散ってしまわないかと惜しむ気持ちが籠もっている言葉。
「春雨(はるさめ)」・細かくしとしとと長く降り続く春の雨。農作物を潤し生育を促す雨。
           春雨やゆるい下駄貸す奈良の宿  与謝蕪村
           「春雨じゃ、濡れてまいろう・・・」
「催花雨(さいかう)」・菜の花や桜等、いろいろな花の開花を促す雨。
「春霖(しゅんりん)」・春に降る長雨のこと。
「花散らしの雨(はなちらしのあめ)」・桜等満開の頃に降る雨のこと。
                   実は、「花散らし」は、隠語で「旧暦3月3日を
                   花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること」
                   なのだそうだ。
「花曇(はなぐもり)」・桜が咲く頃の曇り空のこと。薄日が射すような比較的明るい曇り空。
            花ぐもり朧につづくゆふべかな 与謝蕪村
「菜種梅雨(なたねつゆ)」・菜の花が咲く頃に降る、春のやわらかい長雨のこと。
「春驟雨(はるしゅうう)」・春のにわか雨のこと。
              夏の夕立程の激しさは無いものの雷をともなうこともある。
「春の長雨(はるのながあめ)」
「暖雨(だんう)」
「桜雨(さくらあめ)」
「甘雨(かんう)」
等々・・・・。


「花と小父さん」(再)

2024年04月09日 04時41分13秒 | 懐かしいあの曲

「花と小父さん」(再)

草花にも超疎い爺さん、ブログを始めた頃までは、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑地、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、まるで関心も興味も無しで、見ても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、写真を撮ってきて、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き込むことで、少しづつだが、分かる草花が増えてきたように実感している。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識。後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になっている。花名を調べたり、知ったところで、ナンボになる分けでも無しだが、脳トレ、ボケ防止の一助になるかも知れない等と、勝手に思い込みながら・・・。
物心ついてから、八十路過ぎの今日まで、これほど、「花」と関わったこと等、皆無で有り、これも、ブログをやっていたからこその、「自分の変化」の一つだという気がしている。いまや、後期高齢者の暮らしの中で、「花」は、欠かせない「友」の存在になっているのかも知れない。
  君の名は?花に尋ねつ爺散歩
  花鳥に手招きされて爺散歩
  蝶のよに花から花へ爺散歩
  花鳥を追って歩数を伸ばす爺


ふっと、若い頃、ラジオ等からよく流れていた、「花と小父さん」という曲が、思い浮かんだが、「花と小父さん」ならぬ、「花と爺さん」のお付き合いは、まだまだ続けていきたいものだと思っているところだ。

      ムラサキケマン?               ヤマブキ?

 

  ペチコートスイセン?     ハナモモ?       ジャーマンアイリス?

  

       ベニバナトキワマンサク?          カロライナジャスミン?

 

「花と小父さん」・・・、なんとなく、植木等が歌っていたような記憶が有るのだが・・・・・、
今更になってネットで調べてみると
「花と小父さん」は、1967年(昭和42年)に、浜口庫之助(ハマクラ)が、ジャズ・シンガーの後輩だった植木等のために、作詞・作曲した楽曲だったが、当時、植木等が求められていたイメージとはややギャップのある、叙情的、メルヘンチックな楽曲だったため、披露される機会が少なかったのだそうだ。同時期に、同じ渡辺プロダクションに所属していた新人歌手、伊東きよ子がカバーしたバージョンの方がヒットし、その後、天地真理や森山良子、藤圭子等も歌い、次第にスタンダードソングになったのだという。

「花と小父さん」 作詞・作曲 浜口庫之助、唄 浜口庫之助

「花と小父さん」 作詞・作曲 浜口庫之助、唄 伊東きよ子