今更になってネット等で調べてみると、 映画「荒野の決闘(My Darling Clementine)」は、ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ、リンダ・ダーネル、ヴィクター・マチュア、キャシー・ダウンズ 等主演で製作され、1946年(昭和21年)に公開されたのアメリカの西部劇映画で、ジョン・フォード監督の数多の西部劇映画の中でも 「駅馬車」に並んで、最高傑作と評された映画だった。 邦題は、「荒野の決闘」だが、原題は、「いとしのクレメンタイン(My Darling Clementine)」、この映画の主題曲、「いとしのクレメンタイン(Oh My Darling Clementine)」は、数多の歌手にカバーされて大ヒットした。元々は、1840年代後半から1850年代半ば、アメリカ西部開拓時代に発祥した民謡で、原詩は、「川を下ったところに娘が住んでいた(Down by the River Livd a Maiden)」だったとされている。日本では 原詩とはまったく異なる歌詞が付けられて、「雪山讃歌」として知られることになった。 この映画も、当然、公開当時に観ているはずは無く、ずいぶん後年になってから、リバイバル映画として映画館で観たか、テレビの映画番組かなにかで観た分けだが、主題曲の「いとしのクレメンタイン」の方は、学生の頃から、歌詞もよく分からないまま、「オーマイダーリン、オーマイダーリン、オーマイダーリン、クレメンタイン・・・♪」、等と、ギターに合わせて歌っていたような気がする。
因みに、「雪山讃歌」の方は、1926年1月(大正15年)1月、京都帝国大学山岳部の仲間と群馬県吾妻郡嬬恋村の鹿沢温泉に来ていた西堀榮三郎が、雪のため足留めされていた際、退屈を紛らわせるために仲間達と「山岳部の歌を作ろう」と話し合い、詩を書き、そして、山岳部の仲間内で気に入っていたアメリカの民謡「いとしのクレメンタイン(Oh! My Darling Clementine)のメロディーに言葉を当てはめたのが、「雪山讃歌」なのだそうだ。戦後、昭和25年頃、ダークダックスのメンバーが志賀高原にスキーに訪れた際、バスの車掌が口ずさんでいた「雪山讃歌」を知り、これを発表、当時のダークダックスの代表曲だったような気がする。鹿沢温泉には「雪山讃歌」の歌碑が建立されているのだそうだ。