古い写真から蘇る思い出の山旅・その26
「西穂高岳」
(2)独標と「西穂の女性(ヒト)?」
2日目、
西穂山荘で爆睡し、4時30分頃目覚めたが、すでに、西穂高岳山頂や焼岳山頂でご来光を迎える等の早出組が続々出発し始めており、ソワソワ気分になり、小屋の外に出た。
やや雲が多かったものの好天の兆し、朝焼けがきれいだった。
南方には、焼岳、乗鞍岳
朝食は、5時30分からだったが、大半が早出組だったのか閑散、20人~30人だったようだ。
妻は、ザックをデポし、サブザックで、
午前6時頃、西穂山荘を出発したとある。
西穂山荘からしばらくは、ハイマツの間の緩やかな登り、
高度が上がるにつれ、展望がさらに良くなり
東方、南アルプスのシルエットの先には、富士山も・・・、
西方には、白山?・・・、かな
北方、槍ヶ岳、立山方面
南方、焼岳、乗鞍岳
行く手には、西穂高岳の稜線が、次第に迫ってくる、
丸山山頂(標高2,452m)、
後方には、笠ヶ岳の雄姿
独標の頂に、何人かの人影も見え、気がはやる。
振り返り見ると、
左眼下には、日が射してきた上高地も・・、
「独標」の手前、急峻な岩場に取り付こうという辺りで、なにやら思案顔で立ち止まっていた単独行の女性がおり、一言二言、言葉を交わしたが、どうも、「西穂高岳山頂まで行くべきか、引き返すべきか」を迷っている風であることが分かった。体調が悪いわけでも無いらしく、我々より余程山慣れされ、健脚の様子でもあり、「どうですか。旅は道連れ、一緒に行けるとこまで、行ってみませんか」的な会話になったのだと思う。割りとあっさり意気投合し、結局、西穂高岳山頂往復から、さらに下山まで行動を共にすることになったのだった。名古屋の女性であり、上高地に下山し、バス、電車を乗り継いで帰る予定だったとのことだったが、我々のすすめに応じて、一緒に新穂高ロープウエイで、新穂高に下り、帰途、通りすがりの、松本電鉄「新島々駅」まで送るということに至ったのだった。
別れ際、「いつか、どこかの山で、会えたらいいね」等と、メールアドレス交換したものだったが、それがきっかけで、以後、彼女からは、あっちこっち登山する度に、その報告メールが届き、妻は、「西穂の女性(ヒト)から、メール来てるよー!」と、言うようになっていた。しかし、新型コロナ感染拡大が始まった3年前からは、その彼女からのメールは途絶えてしまっている。
山でふと知り合った女性、一期一会の出会い、ほんの数時間、行動を共にしただけの間柄であり、顔も良く覚え切れずに別れた人間同士ではあるが、また一人、人生の友が出来たような、そんな気持になったものだったが・・・、TKさん、今、どうしてるかなー!。
そのTKさんと一緒に、7時頃、独標(11峰)(標高2,701m)に到着したようだ。
最高の天気となり、360℃パノラマ、絶景を堪能、
北方、西穂高岳山頂に向かう厳しい稜線、
西穂岳山頂までは、さらに、10のピークを越えていくことになる。
大丈夫かな?、期待、緊張、不安、入り混じり・・・、
7時15分頃に、独標を出発、
慎重に、ゆっくりと、一歩一歩、三点支持で、西穂高岳山頂を目指したのだった。
(つづく)