たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「横井戸、水汲み、風呂焚き」(再)

2022年01月28日 21時11分33秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

10年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2012年6月24日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)。


「横井戸、水汲み、風呂焚き」

M男は、昭和30年代後半まで(高校を卒業するまで)、北陸の山村で過ごしたが、その頃はまだ、M男の家には、水道が無く、飲料水、生活水は、全て井戸水でやりくりしていた。井戸と言っても、通常の縦井戸ではなく、山際の崖を横に掘って地下水を集め、屋敷まで引いてくる形のもので、横井戸と呼んでいて、後年になって思ったものだが、沢水を引いてくるのと大差ないものだった。その横井戸も、専門の業者に、水脈を調査してもらったり、機械で掘削してもらったものでなく、父親と数人の親戚の男衆が、スコップ、ツルハシ、カッサビ等を使って人力で、何日もかけて、掘ったもので、うまく、地下水脈に当たらなければ、何度も場所を変えて掘り直していたような気がする。当時、子供の目からするとかなり奥深くまで掘り進めていたように感じたものだが、実際は、2~3mだったのかも知れない。掘った後、周囲をコンクリートで固める等もせず、ただ内部からしみ出した水を溜めておく堰を作り、そこから、鉄管で屋敷まで引いてくるという簡単な工事であった。それを台所まで伸延する技術や資材や資金が無かったのだろう。玄関から、7~8mの敷地の隅に鉄管の先が出て、常時、勢いよく流れ落としていたのだ。直ぐ脇に村道が有り、通る人達がよく立ち寄って、柄杓(ひしゃく)で、のどを潤し、「うまい水だ」と絶賛していたので、かなり、良質な地下水だったのかも知れない。

問題は、台所の水瓶風呂桶(木製、大きな樽状浴槽)に、日々、人力で、その水を運搬しなければならないことだった。当時は、ブリキのバケツを使っていたが、満杯にするとかなり重く、何回も往復する大変な作業だった。父母は、勤めや農作業のため、暗くなるまで、家に居ないため 家事全般は、祖母が担っていたが、その水汲み作業も、最初は、大部分祖母がやっていたように思う。元々、痩せて華奢な祖母で、その重労働を見てはおれなくなったM男は、小学校高学年になった頃からは、代わって自ずとやるようになっていたのだ。台所の水瓶には、毎日、2~3回往復程度で良かったと思うが、風呂桶を満たすとなると、20数回往復しないとならず、かなりつらい仕事ではあったが、弱音は吐かなかったような気がする。

風呂焚きも、だいたいM男の役割だった。風呂釜に、まず、紙屑と枯れた杉葉を入れてマッチで焚きつけ、野積み乾燥のを運んできて、くべる(焼べる)のだが、煙突の無い風呂釜だったこともあり、燃えにくく、頻繁に消えたり、くすぶったりで、その都度、火吹き竹で送風、火の勢いをつけるが、家中、煙が充満、茶の間の天井近くには、高窓が有って 煙を排出させてはいたものの、柱や梁は、燻されて黒光りしていたものだった。 

台所の隅には、薪をくべる(燃べる)竈(へっつい、かまど)が有って、朝夕、お釜(おかま)で 炊飯していた。炊き上がったご飯を御鉢(おはち)に移すのは祖母がしていたが、こげつき(おこげ)が出来た時等、祖母は、よく醤油でまぶしておにぎりにしてくれたものだった。夕食前、腹ペコの食べ盛りのM男達とっては、たまらなく美味しく感じた、うれしいおやつで、飛びついて食べたものだった。

(ネットから拝借画像)
竈(かまど)・へっつい      囲炉裏(いろり)
   
 

台所には、囲炉裏もあり、吊るされた自在鉤(じざいかぎ)に、大きな鍋を吊るし、味噌汁等の煮炊きをしていた。戦前、東京で定食屋のような店をやっていたことも有った祖母は料理上手で、貧しい食材を上手く工夫し、近所でも評判だったような気がする。

後年になって、「あの頃は、家族全員それぞれが、自然と役割が決まって、日々をこなしていた時代だったんだな」とつくづく思ったものだ。


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10 コメント

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大変だけど良い時代でした (越後美人)
2022-01-28 22:10:45
家族で協力しないとやっていけない時代でしたから、皆が働き者でしたね。
大人の大変さを見ているから、子供は自然と手伝うようになるし、
我慢も辛抱も当たり前、弱音は吐かなかったですね。
家族が一丸となっていて、周囲の人たちも温かかったですね。
今の時代に、この温かさがあったなら、大阪の事件も防げたかも知れない、と思います。
なんとかならないものかと、これからの日本の社会が心配ですね。
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越後美人さん、こんばんは、 (takezii)
2022-01-28 22:57:21
わずか60年、70年前の話ですが、隔世の感有りですね。生まれた時から恵まれている子供、孫の世代には、多分、遠い昔話に聞こえるのではないかと思います。デジタル化、理詰めの世の中では、子供が育っていく過程で自然に培われる本質的な人情、人間愛、温かな心情なんてものが、損なわれてしまうのかも知れませんね。コメントいただき有難うございます。
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Unknown (ソラ)
2022-01-28 23:47:29
本当にそうでしたね、井戸思い出しました、70年前の頃皆そんな生活していたのだと思います。

そのせいか60代頃胃癌の健診で胃カメラ飲んだりして ピロリ菌がと言われて薬で良くなりましたが井戸水の人がなると言われて 妹が胃癌で亡くなりましたが たけ様のブログを読んで思い出しました。
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時代の流れ (tango)
2022-01-29 06:32:23
古い記憶で共有できることもあります。田舎に住むことは大変なんだなと思います。
私は両親にぬくぬく勉強させてもらい
有難い時代だったと思われます。
でも人のつながりが良かった時代でしたね。
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ソラさん、こんにちは、 (takezii)
2022-01-29 09:30:53
戦後まもない頃の暮らしは、特に田舎は、まだそんなでしたね。しっかりした水質検査等しないままの井戸水が生活水でした。スイカを冷やすのも。衛生上問題有り、病気の元だったということも有ったのかも知れませんが、当時は、皆おんなじ生活環境、それが当たり前でした。隔世の感有りですね。
コメントいただき有難うございます。
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Unknown (こごみ)
2022-01-29 09:35:59
おはようございます。
懐かしいですね!我が家は農家ではなかったけど、竈があり、餅つきのときには蒸籠を積み上げて蒸していました。もちろん風呂も薪で焚きます。
子供達もみんな家の手伝いが決まっていました。大変だったけど、いい時代だっと思います。
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tangoさん、こんにちは、 (takezii)
2022-01-29 09:40:59
戦後間もない頃はまだ、大都市と田舎、特に東北や北陸の山村では、生活環境も住宅事情も、相当な格差が有ったということでしょうね。中学を卒業すると大半、集団就職等で、大都市に出て行った時代でもありましたが、「人生いろいろ」と思ってしまう今日この頃です。
コメントいただき有難うございます。
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こごみさん、こんにちは、 (takezii)
2022-01-29 09:49:32
わずか50年~70年前の話ですが、もう昔話になってしまいましたね。主燃料が「薪」でした。プロパンガス、都市ガス、電気に代わり、今じゃ、焚き火さえもご法度、子供がマッチで火を付けるなんてとんでもないのかも知れません。隔世の感有りですね。
コメントいただき有難うございます。
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Unknown (おたかさん)
2022-01-29 20:30:59
こんばんは
おたかさんこと、dandy-hidechan52です

何もかも懐かしい風景です
祖父母の家に幼少までおくどさんがありました。
ご飯だけは、そこで炊いていました。
お焦げが大好きで、お焦げをお茶かけで食べたいと言っても、消化に悪くて腹をこわすとなかなか許してもらえませんでした
他にも色々と見事に循環型の暮らしをしていたなぁと懐かしい自分の体験を重ねて読ませてもらいました
私は今その祖父母の建てた家をリニューアルして暮らしているんですよ
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おたかさん、こんばんは、 (takezii)
2022-01-29 22:27:56
やっぱり、おこげ、思い出されましたか。子供の頃、味わったものは一生忘れないようで、私は未だに、おこげ大好き。電気炊飯器では、滅多におこげは出来ませんが、五目御飯等でおこげが出来ると、「まかせとけ」になりますし、コンビニのおにぎりでも「焼きおにぎり」を選んでしまう類なんです。おじいさん、おばあさんの家をリフォームされてお住まいなんですね。家具調度設備は最新でしょうけど、どこか懐かしい昭和を感じられるお住まいのように想像してしまいます。
コメントいただき有難うございます。
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