先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。 表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」 何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、 制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。 どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。
「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。 子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。 昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。 昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、 この冊子のページを捲りながら、 ボチボチと ランダムに、 日本全国の「民謡をたずねて」・・・、 みよう等と、思い込んだところだ。
民謡をたずねて・その18 「デカンショ節」 (兵庫県)
「デカンショ節」を、初めて知ったのは、昭和30年代、学生寮に入寮中だったような気がしている。当時、貧乏学生の寄り集まりだった学生寮では、年に何回か、食堂でコンパ(宴会)を行っていたが、宴たけなわになると、寮歌等を、蛮声を張り上げて大合唱していたものだ。 その中に、「デカンショ節」も有った。ただ、歌い出しの、「デカンショ、デカンショで、半年暮らす、あとのはんとしゃ、寝てくらす」は、まともな「デカンショ節」の歌詞だったが、先輩達に教えられたのは、卑猥な歌詞に替えられた、所謂、「わいか(猥歌)」の部類で、まるで、民謡「デカンショ節」とは、程遠い雰囲気の歌だったように思う。 その印象が脳裏に焼き付いてしまっていて、後年になって、「デカンショ節」が、丹波篠山の民謡であること知ってからも、学生寮のコンパ(宴会)の情景が蘇ってしまい、違和感を感じていた気がする。 今更になってネット等で調べてみると、「デカンショ節」 は、明治時代に、丹波篠山の旧藩校から旧制一高(現東京大学の前身)に進学した学生達から、東京の学生に伝わり、大流行、「題名は、デカルト、カント、ショウペンハウエルの頭文字からとったものだ」等という、まことしやかな説まで出来上がり、「書生節」として歌詞がどんどん加えられ、全国の若者に広まった、・・・、と有る。バンカラ学生には、うってつけの歌だったのだろう。 「へー!、そういうことだったのか」、 頷いているところだ。 「丹波篠山デカンショ節」は、江戸時代から200年以上、城下町だった丹波篠山で歌い継がれてきた民謡であり、文化庁から、「日本遺産」第1号に認定されているのだという。改めて聞き直しているところだ。
「デカンショ節」歌詞の一例
デカンショデカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす
丹波篠山山家の猿が 花のお江戸で芝居する
酒は飲め飲め茶釜でわかせ お神酒(みき)あがらぬ神はない
わたしゃ丹波の勝栗(かちぐり)育ち 中に甘味も渋もある
丹波篠山山奥なれど 霧の降るときゃ海の底
丹波篠山鳳鳴の塾で 文武鍛えし美少年
デカンショデカンショと唄うて廻れ 世界いずこの果てまでも
雪がちらちら丹波の宿に 猪(しし)が飛び込む牡丹鍋(ぼたんなべ)
灘の銘酒(おさけ)はどなたがつくる おらが自慢の丹波杜氏(たんばとじ)
盆のお月さん丸こて丸い 丸てまんまるこてまだ丸い
「デカンショ節」 (YouTubeから共有)VIDEO
(参考・参照) 👇️日本遺産ポータブルサイト・「丹波篠山デカンショ節」