たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

散歩・ウオーキング、やっぱり、早朝がいい?、

2024年06月07日 08時53分59秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の天気予報は、「曇時々晴」、最高気温=27℃、
昨日と同じようで、蒸し暑い1日になりそうだ。
なんだかんだで、何日も休んでいた(サボっていた)、早朝散歩・ウオーキング、
今朝も、体調イマイチだったが、
歩け、歩け、
やおら重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
足、腰、の痛みを庇ってしまい、
どうしても、腰が曲がり、前屈みになってしまう爺さん、
  胸を張れ腹へっこめろ腰伸ばせ、
  君の名は?花に問いつつ爺散歩
スマホの歩数計で、約5,000歩、

君の名は?
えーっと?、えーっと?
「ニワナナカマド」・・・・だった。


爺さんの備忘録的花図鑑「ニワナナカマド」
👇️
こちら


スカシユリ?

 

コノテガシワの実(種)

ビワの実、熟れる候、

 

キミガヨラン(ユッカ)

 

君の名は?
えーっと?、えーっと?
「テイカカズラ」・・・・だった。


爺さんの備忘録的花図鑑「テイカカズラ」
👇️
こちら


君の名は?

ヤマボウシ

 

君の名は?

君の名は?

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民謡をたずねて・その20

2024年06月06日 20時47分01秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
みよう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その20
「常磐炭鉱節(じょうばんたんこうぶし)」
(茨城県)

NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等でも、必ずランクインされる民謡のひとつに、「常磐炭坑節」が有る。子供の頃から、耳に馴染んでいる民謡ではあるが、これまでずっと、なんとなく聞いているだけで、その歴史や背景等、詳しいことを知らないままできており、
今更になって、「へー!、そうだったの」・・・・、目から鱗・・・、である。

今更になってネット等で調べてみると、
「常磐炭鉱節」は、茨城県北東部から福島県南東部へかけての常磐炭坑地方で歌われ出した民謡で、源流は、この地方の石切り職人の仕事唄「石切り唄」だという説と、この地方の農家が馬を連れて草を刈りに行く際の道中唄「草刈り唄」だという説の2通り有るようだが、明確ではないらしい。
いずれにしてもこの唄が、地元から、茨城県の水戸や日立等の花柳界に伝わり、お座敷唄として酒席等でも歌われるようになり、石炭産業の発展に伴って、福岡県の民謡「九州炭坑節」と共に全国的に広まったのだという。
因みに、「常磐炭鉱」は、安政二年(1855年)に発掘された炭田で、最盛期には、大小合わせて二十もの炭坑が有ったのだそうだ。


(参考・参照)
👇️
「常磐炭田の歴史」


「常磐炭鉱節」  (YouTubeから共有)


(替え歌)ザ・ドリフターズ 「冗談炭坑節」  (YouTubeから共有)

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アジサイ、あじさい、紫陽花、

2024年06月06日 13時57分04秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の天気予報は、「曇時々晴」、最高気温=27℃、
どんより、蒸し暑い日になっており、「熱中症注意報」も出されているようだ。
午前中、散歩・ウオーキングを兼ねて、図書館まで、トコトコ歩き、
ついでに、ちょこっとまわり道して、アジサイを堪能してきたが、
汗だくになってしまい、帰ってから着替え・・・、
スマホの歩数計で、約6,800歩。

  紫陽花に 雫あつめて 朝日かな  加賀千代女

今年も、紫陽花の季節になってきた。

 

 

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藤原緋沙子著 「宵しぐれ」

2024年06月05日 14時44分26秒 | 読書記

図書館から借りていた、藤原緋沙子著 「宵しぐれ」(廣済堂文庫)を、読み終えた。本書は、著者の長編時代小説、「隅田川御用帳(すみだがわごようちょう)シリーズ」の第4弾
「第一話 闇燃ゆる」「第二話 釣忍」「第三話 ちぎれ雲」「第四話 夏の霧」の連作短編4篇が、収録されている。
「隅田川御用帳シリーズ」は、縁切り寺「慶光寺」の御用宿「橘屋」の女主人お登勢(おとせ)に雇われた、元築山藩藩士の浪人塙十四郎(はなわじゅうしろう)が、「慶光寺」の寺役人近藤金吾や、橘屋の番頭藤七等と共に、縁切りを求めて「橘屋」に駆け込んでくるいろいろな女達の様々な事情を探り、絡み合う悪事や謎を解明、愛憎乱れる 女と男の深い闇を、人情と剣とで見事に解決していく、悲喜こもごもの物語である。

「第一話 闇燃ゆる」
▢主な登場人物
大和屋半兵衛・お兼、おさよ、
寅次、ごん太(
唐物屋大黒屋仁兵衛(徳安)、儀助、
倉田伴内・宗之進、
島岡左一郎(戸田藩目付

万吉(橘屋の小僧、10歳
▢あらすじ等
半年前に駆け込んできた大和屋の女房お兼と主の半兵衛の再吟味の場で、半兵衛は、女中のおさよを養女にすると約束し、お兼は家に戻ることになったのだが・・・・、そのおさよが水死体で発見され・・・、何故?、誰が?、・・・、真相探索・・・・、3年前の中山道深谷宿の旅籠「吉田屋」の火事と関連が浮上、

徳安とは?、戸田藩の藩士倉田伴内とは?、
「父の敵、おさよの敵」・・・・、宗之進は満身の力で斬りさげた。

 「ごん太を大和屋さんで?」、
 お登勢は、玄関に立った大和屋の女房お兼の顔を仰ぎ見た。
 するとそこへ、「ごめん」、倉田宗之進が現われた。
 「ごん太を譲って頂きたい」、
 ・・・・・・、
 「万吉は、孤児なんです。あの子から、ごん太を取り上げることは、私には出来ません」、
 お登勢は、しみじみとして言った。

「第二話 釣忍(つりしのぶ)」
▢主な登場人物
お蓮・兵吉(お蓮の弟)、
又兵衛(薬研堀の縄暖簾「えびす」の主)、巳之助、
越前屋利兵衛・おみわ・お勝、
彦七(元越前屋番頭)、玄次郎、
楽翁(元老中松平定信)、柳庵、
すっぽんの伊蔵(岡っ引き、南町奉行所同心三原作之進から手札)、
▢あらすじ等
楽翁が落とした財布を、そっくりそのまま番屋に届けたお蓮は、「たった一つ願いが叶うなら死んでもいい」と言う。「たった一つの願いとは?」、櫛職人の弟兵吉が、越前屋の一人娘おみわと心中?、不審?、真相は?、柳庵が検死した結果、心中に見せかけた殺人事件?、ただ、下手人が検挙されない限りは、兵吉は死罪?、限られた時間、真相究明、探索開始、彦七が?、玄次郎が?、岡っ引きの伊蔵が、浮上・・・、
  「まあ、釣忍じゃありませんか」、
  お登勢は、釣忍をぶら下げてやってきた又兵衛の手元を見ると嬉しそうな声を上げた。
  又兵衛はもじもじして、「あの、これを、十四郎様に・・・」、
  「あら」、お登勢はがっかりした声を上げた。

  ・・・・・・、
  「お蓮さん・・・」
  お登勢が釣忍に手を合わせた時、ちりん、ちりん、ちりん・・・・、風鈴が鳴った。
  切ない音色だった。


「第三話 ちぎれ雲」
▢主な登場人物
紅屋松之助・お新・おてる・卯兵衛・お石・お滝、与助、
お馬、覚次、
▢あらすじ等
縁切り寺の慶光寺に、白粉屋「紅屋」のおかみ、お新が駆け込んできた。夫松之助の先妻お滝の幽霊が出ることに悩んでの駆け込みだったが、不審?。十四郎、藤七達が、探索開始、松之助は養子であり、あばずれた娘おてる、冷酷な姑お石、完全に崩壊した家族の姿だった。その元凶は?、過去の事件の恨み、仕返し、お馬とは?、おてるが誘拐され、身代金五百両を要求され、お登勢が・・・・?
 「許すも許さないも、親子ではないか、今頃おっかさんは、二階でお前が現れるの待って
  いるぞ」

紅屋の事件が解決したのは、みな、お登勢のお陰だと、十四郎は思った。

「第四話 夏の霧」
▢主な登場人物
秋月千草・秋月甚十郎、大内彦左衛門、
伊沢忠兵衛・未世、
栗田徳之進、松波孫一郎、
成田惣兵衛(天竺屋、成田惣五郎)、ましらの鬼蔵、
近藤金五・浪江、
戸田出羽守
五兵衛、茂助、
▢あらすじ等
飲み屋で醜い狼藉を働いていた旗本の子弟らしき若者達に注意を促した金吾が、顔をつぶされたと因縁をつけられ襲われ、あわやの時、若衆姿の女剣士秋月千草と老武士大内彦左衛門が現れ、命拾いをするところから始まっている。金吾は、たちまち、凛とした千草に一目惚れ?、してしまい・・・、
橘屋ともゆかりのある心源寺が押し込みに襲われ、住職等皆殺し、財宝強奪事件が発生。2年前の寺院連続殺人強奪事件と同じ手口?、下手人は?、探索開始する、十四郎、金吾、藤七達、千草の父親秋月甚十郎は、2年前に、浄蓮寺で殺害されており、千草には、父親の敵を討ちたい悲願があり、金五は、千草のため、必死に奔走し、憎めない男、寺社奉行所徒目付栗田徳之助、十四郎、金五と同志、北町奉行所吟味方与力松波孫一郎等と連合して、ついに、凶暴嗜虐(きょうぼうしぎゃく)、人面獣心(じんめんじゅうしん)の男、惣五郎を突き止める。
 「押し込み一味を一網打尽にするには、次の押し込みを待つしかない」
千草、彦左衛門も、駆けつけ・・・・、
 「彦爺・・・」、「これで殿様も救われます」
千草に試合を申し込まれた十四郎、剣客として後には引けず・・・、
お登勢が、千草に、女の幸せを説き、金五の熱い思いを伝え・・・、
まさか?、
金吾から、母親浪江説得を任せられてしまったお登勢と十四郎、
お登勢は溜息をついたが、お登勢、十四郎は、腹の底から喜びがこみ上げてくるのだった。

 

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民謡をたずねて・その19

2024年06月05日 07時23分39秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
みよう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その19
「両津甚句(りょうつじんく)」
(新潟県)

「佐渡の代表的な民謡は?」と問われれば、多分、ほとんどの人が「佐渡おけさ」と答えるに違いない。「佐渡おけさ」は、NHKの「あなたが選ぶ民謡ベスト100」等でも、「江差追分」、「お立ち酒」等と、常に、トップ争い?、ベスト5には、ランクインされる、日本の民謡の「横綱格」だが、その佐渡には、「佐渡おけさ」の他にも、ベスト100にランクインされる民謡が有る。「相川音頭」「両津甚句」が、それで、「佐渡おけさ」と合わせて、「佐渡の三大民謡」等とも称されているようだ。
「相川音頭」は、すでに、「民謡をたずねて・その6」に書き留めているが、「両津甚句」もまた、子供の頃から、なんとなく好みで、脳裏に焼き付いている民謡の一つであり、改めて聞いているところだ。
今更になってネット等で調べてみると、
「両津甚句」は、明治34年(1901年)に、橋を挟んで分かれていた、「夷町」と「湊町」が合併し、「両津町」になったことがきっかけで、それまで、「夷町」、「湊町」、それぞれに有った「夷甚句」、「湊甚句」を、大正時代に、折衷、整理されて、出来上がった民謡なのだそうだ。
「へー!、そうだったの」・・・・である。
  ハアーアーエー 
  両津欄干橋ゃエー
  真中から折りょうと
  コラサッサ
  船でエー通うてもー、ヨンヤアアー
  やめりゃせぬ
  ハアリャント リャント リャント、
独特な節回しの「両津甚句」、音楽的には、「佐渡おけさ」以上の民謡と評価されることも有るという。

「両津甚句」 (YouTubeから共有)

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「ドナウ川のさざ波(Waves of the Danube)」

2024年06月04日 11時27分03秒 | 懐かしいあの曲

最近の音楽、知らず、分からず、覚えられずの爺さんではあるが、若い頃や子供の頃に、聞いたり歌ったりした音楽は、どこか脳裏に焼き付いていて、なにかのきっかけで、ふっと思い出せるから不思議なことだと思っている。
数年前からのことではあるが、そんな懐かしい曲を、出来る限り思い出して、爺さんの引き出し、ブログ・カテゴリー 「懐かしいあの曲」に、書き留め置くことにしてきた。
「塵も積もれば山となる」、かなり、たまってきているが、
「まだまだ、有るはず・・・」「思い出せ!、思い出せ!」
老脳に発破を掛けるものの、そろそろ限界?、
なかなか思い浮かばなくなってきている。 


今朝、何気なく、相互フォロワー登録しているある方のブログを拝見していて、「ドナウ河」に、ふっと目に止まった。そう言えば、「ドナウ河のさざ波」って曲、有ったな?、
なんとなくメロディーだけが思い浮かび、早速、「ブログ内検索」してみたが、「美しく青きドナウ」が有っただけで、「ドナウ河のさざ波」は、書き込まれていなかった。これまで一度も思い付かなかったことになる。

(ネット拝借した画像)

今更になってネットで調べてみると
「ドナウ河のさざ波(ルーマニア語・Valurile Dunării、ドイツ語・Donauwellen、英語・Waves of the Danube)は、1880年(明治13年)、ルーマニアの作曲家ヨシフ・イヴァノヴィチが作曲したワルツ曲だった。
日本では、1902年(明治35年)に、田村貞一が作詞した歌詞の「ダニューブ河の漣」が発表され、学生等に歌われていたのだという。
中学生時代の「音楽」の教科書にも有ったような気がしているが、もしかしたら、勘違い?なのかも知れない。

ミリオンポップス管弦楽団演奏の「ドナウ河のさざ波」 (YouTubeから共有)

「ダニューブ河の漣」 (YouTubeから共有)
 

寺内タケシとブルージーンズ演奏の「ドナウ川のさざ波」 (YouTubeから共有)

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ニゲラの実(種)

2024年06月04日 06時51分19秒 | 暮らしの記録

「6月」という響きからは、「入梅」・・・・が連想される。
このところ、ぐずついた天候が続いており、
その「入梅」も、かなり近づいているように思われる。
雨に似合う花、「アジサイ」が、あちらこちらで咲き始めているが、
放ったらかしの我が家の猫額庭の「アジサイ」は、イマイチ、
今、盛んに咲いているのは、こぼれ種で蔓延っている、
「チドリソウ」「ムシトリナデシコ」「ニゲラ」位。
「ニゲラ」には、実(種)が出来始めた。
花もかなり変わっているが、実(種)もかなり変わっており、
毎年、ブログネタにしてしまっている。

 

草花に超疎い爺さん、「ニゲラ」という花名を初めて知ったのも、ブログを始めてから以後のことであり、毎年、写真を撮り、花名を書き込むことで、なんとか、脳裏に焼きついてきた。
あたかも、中学1年生で、初めて、「英語」を学んだ際、単語を覚えるのに、「単語帳」を作り、繰り返し繰り返し、書いたり、読んだりしたりした如し・・・であるが、その頃の脳の記憶力は、天と地、覚えたつもりでも、とっさに、「この花は?」と聞かれたりすると、
「えーっと?、えーっと?」、
なかなか、花名が出てこないこと多しではあるが・・・・。


爺さんの備忘録的花図鑑「ニゲラ」
👇️
こちら


 

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民謡をたずねて・その18

2024年06月03日 17時04分27秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、
ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
みよう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その18
「デカンショ節」
(兵庫県)

「デカンショ節」を、初めて知ったのは、昭和30年代、学生寮に入寮中だったような気がしている。当時、貧乏学生の寄り集まりだった学生寮では、年に何回か、食堂でコンパ(宴会)を行っていたが、宴たけなわになると、寮歌等を、蛮声を張り上げて大合唱していたものだ。
その中に、「デカンショ節」も有った。ただ、歌い出しの、「デカンショ、デカンショで、半年暮らす、あとのはんとしゃ、寝てくらす」は、まともな「デカンショ節」の歌詞だったが、先輩達に教えられたのは、卑猥な歌詞に替えられた、所謂、「わいか(猥歌)」の部類で、まるで、民謡「デカンショ節」とは、程遠い雰囲気の歌だったように思う。
その印象が脳裏に焼き付いてしまっていて、後年になって、「デカンショ節」が、丹波篠山の民謡であること知ってからも、学生寮のコンパ(宴会)の情景が蘇ってしまい、違和感を感じていた気がする。
今更になってネット等で調べてみると、
「デカンショ節」は、明治時代に、丹波篠山の旧藩校から旧制一高(現東京大学の前身)に進学した学生達から、東京の学生に伝わり、大流行、「題名は、デカルト、カント、ショウペンハウエルの頭文字からとったものだ」等という、まことしやかな説まで出来上がり、「書生節」として歌詞がどんどん加えられ、全国の若者に広まった、・・・、と有る。バンカラ学生には、うってつけの歌だったのだろう。
「へー!、そういうことだったのか」、
頷いているところだ。
「丹波篠山デカンショ節」は、江戸時代から200年以上、城下町だった丹波篠山で歌い継がれてきた民謡であり、文化庁から、「日本遺産」第1号に認定されているのだという。改めて聞き直しているところだ。

「デカンショ節」歌詞の一例

              デカンショデカンショで半年暮らす
              あとの半年寝て暮らす 

              丹波篠山山家の猿が
              花のお江戸で芝居する

              酒は飲め飲め茶釜でわかせ
              お神酒(みき)あがらぬ神はない

              わたしゃ丹波の勝栗(かちぐり)育ち
              中に甘味も渋もある

              丹波篠山山奥なれど
              霧の降るときゃ海の底

              丹波篠山鳳鳴の塾で
              文武鍛えし美少年

              デカンショデカンショと唄うて廻れ
              世界いずこの果てまでも

              雪がちらちら丹波の宿に
              猪(しし)が飛び込む牡丹鍋(ぼたんなべ)

              灘の銘酒(おさけ)はどなたがつくる
              おらが自慢の丹波杜氏(たんばとじ)

              盆のお月さん丸こて丸い
              丸てまんまるこてまだ丸い

「デカンショ節」  (YouTubeから共有)


(参考・参照)
👇️
日本遺産ポータブルサイト・「丹波篠山デカンショ節」


 

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雨間の畑仕事

2024年06月03日 16時19分08秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地、このところずっと不安定な天候が続いており、
寒暖の差も激しく、
そろそろ、梅雨入りの前兆のような気もしてくる。
今日も、天気予報は、「雨」、
・・・だったが、
朝方から午前中、雲行きは怪しいものの、時折、青空、入道雲も見え、
 1~2時間は、雨の心配無さそう?
 明日、明後日も、同じような天気予報だし・・・、
ということで、Go To 畑! と相成った。

(1)トウモロコシの、追肥、土寄せ、

イノシシに穿り返されたこともあり、全滅?かとも思っていたが、
2~3本が枯れて絶えてしまっただけで、あとは、なんとか生育、
ちょっと、弱々しい感じでは、あるが・・・。

(2)タマネギ、収穫、


苗が悪かったのか、植え付け時期が悪かったのか、
半数以上が、枯れて絶えてしまった、今年のタマネギ、
これまでで、最低の出来のような気がするが、
今日も収穫、
残しているものも有り、
全部で、なんとか24~25個位にはなるようだ。 

(3)ジャガイモ、試し掘り、
   まだまだ、茎葉がしっかりしており、収穫適期には達していないが、
    カレーライス作るのに、必要?
   待ち切れず、1株だけ、試し掘り、

(4)キュウリ、3本、収穫

(5)コマツナ、収穫、
(6)サニーレタス、収穫、

植え付けしたばかりの頃、やはり、イノシシに穿り返されたインゲンマメ、
危ぶまれたが、なんとか生育、花が咲き始めている。

 

お昼頃には、引き上げてきたが、
直後に、ショボショボ、雨が降り出し、
夕方には、雲間から、明るい日射しが有りながら、
かなりまとまった雨降りとなっており・・・、
「お天気雨」?
なんとも、へんてこりんな天気である。

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民謡をたずねて・その17

2024年06月02日 16時58分32秒 | 懐かしいあの曲

先日、不要雑物整理廃棄処分中に、記憶から完全に喪失していた小冊子2冊が出てきた。
表題は、「日本縦断お国ぶり・民謡文庫」
何時頃、入手したものやら、ページを開いてみても、まるっきり覚えが無く、巻末を見ると、
制作・発行は NHKサービスセンターで、1981、1982、(無断転記禁ず)となっている。
どうも非売品のようで、表紙には、「朝日新聞」と印刷されていることから、何かの進呈品だったのかも知れない。

               

「民謡」・・・、最近は、とんと聴く機会が無くなってしまっているが、子供の頃は、よくラジオ等から流れていて、NHKの素人のど自慢等でも、盛んに民謡が歌われていたような気がする。
子供のこととて、しっかり覚えるようなことは無かったが、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡が、かなり有り、懐かしくもなる。
昭和20年代後半から30年代、小学生、中学生の内から、民謡が好きだった祖母と一緒になってNHKラジオ第1放送の夜8時台の放送番組、「民謡はこころのふるさと・・・・♫」のナレーションで始まる「民謡をたずねて」という番組をなんとなく聴いていたこともあって、どちらかというと、民謡に親しみを感ずる人間になっている気がする。
昔のことを懐かしがるのは、老人のもっとも老人たるところだが、
この冊子のページを捲りながら、

ボチボチと ランダムに、
日本全国の「民謡をたずねて」・・・、
みよう等と、思い込んだところだ。


民謡をたずねて・その17
「秋田おばこ(あきたおばこ)」
(秋田県)

「秋田音頭」等と共に、「民謡王国」と呼ばれる「秋田県」を代表する民謡の一つに、「秋田おばこ」が有る。
「おばこ」とは、東北地方の言葉で、「若い娘さん」、「少女」のこと。
「秋田おばこ」は、秋田弁の歌詞で、しかも、節回しも難しい民謡のような気がするが、子供の頃から、なんとなく脳裏に焼き付いている民謡の一つでもある。

「秋田おばこ」  (YouTubeから共有)


(参考・参照)
👇️
教育芸術社・郷土の音楽:秋田県・「秋田おばこ」


 

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