花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

冬の月 春日局出生地碑 白樫城・王一族 お福(春日局)の墓 白樫神社 内田仙司翁

2020年12月04日 | 果実・花

一昨日はゴルフ、今年の最終ラウンドだ。朝こそ少しの風でも寒さを感じたが時間とともに暖かくなり、終わる頃には”これで終わり、勿体ない”と思うラウンドだった。スコア?それはまあ置いといて、っと。冬の月だ。今頃の月の出は早く、山あいの我が地でも5時前に上り始める。写真は昨日の朝、上り始めた月そして今朝、太陽が上り始めたときに西の空に残る月だ。早朝7時過ぎ、まだ空にある。

  

 11月半ば、揖斐川町で”斎藤利三(としみつ)”に関する遺跡を回りながらの講演があった。岐阜女子大学の丸山幸太郎氏の話だったようだ。”ようだ”の言葉からのご推察通り私は不参加で後日、参加した女房に連れられて回った。斎藤利三、ご存知ない方も多いだろうが私も全くわからなかった。揖斐川町の山間に城址が残る白樫城の城主だったようだ。初めて知ったがお福、後の春日局の父である。揖斐川町を北に走ると泥沿いに白樫地区一帯の説明看板と春日局出生地の碑がある。白樫城はかなり山の上だ。

  

 説明書きでも山の上の方に白樫城があったことが示されているが車で行けるところに白樫城・王一族の墓がある。城主の3つの墓の横にある小さい墓がお福の墓だ。

  

 車で移動すると白樫神社と言う立派な鳥居のある神社に至る。今では、こんな山の中に”ぽつんと一軒家”だがお城までの山道の途中、かなり開けた所だったのだろう。

  

 白樫神社の横に銅像がポツンと立つ。説明書きを読むと”内田仙司翁”とある。京都で修業し宮大工の名匠として知られるようになり東本願寺など多くの寺社建築を手がけたようだ。

  

 斎藤利三の話に戻るが利三は斎藤道三の家臣から明智光秀に仕えるようになり、天下分け目の戦い”山崎の戦い”に参加し捕えられ、処刑されている。その子お福が稲葉一鉄の息子正成の後妻になり・・・・その後驚くほどいろいろとありながら生き抜き、家光の乳母に納まる。秀忠の嫡男家光と次男忠長の3代目争いで家康に直訴した話で知られている。浅井長政と信長の妹お市の方との間に生まれた三女お江が徳川秀忠の正室となり、その子家光が徳川三代めの将軍となるのだがその乳母が光秀に仕えていた利三の子お福、歴史の不思議さ・楽しさを思い出させてくれ、十分楽しませてくれた。ところで、何故講演会に行かなかったのかって?それ、聞く?今までの雄大な歴史の話に比べ、小さい話なのだが”エリザベス女王杯”があったのです。ハイ、競馬です。

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