ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

負けて納得!:高校演劇東北大会殴り書き②

2008-12-23 18:56:43 | 演劇

 今回最優秀、優秀に選ばれた上位4校のうち、青森中央、宮城第三女子、八戸聖ウルスラの三校の舞台は、誰がどう見ても、間違いなく素晴らしかった。残りの大館鳳鳴は、見ていないから、わからない。先の三本は、誰が見ても納得の作品だし、どれが最優秀になってもおかしくなかったね。

 で、僕としては、宮城第三女子の『卵の勝利』に最優秀上げたいぃぃぃ!って、すべての上演終わった後、ずーっと念じてた。まっ、僕がいっくら念力込めたってしょうがないんだけど。でも、そう願いながらも、きっと青森中央の『ともことサマーキャンプ』が勝つだろうなって予測はしていた。その通りになった。

 『ともことサマーキャンプ』(作:畑澤聖悟)は、いじめによる自殺を発端として、とことん白をきりとおそうとする加害者の女子高生たちと、我が子可愛さに証拠隠滅に走るその母親たちの姿をどこまでも妥協することなく描ききった作品だ。人間のえげつなさ、卑劣さ、醜さ、もう、これでもかってくらい見せつけてくれた。刻一刻と状況が変転し、その度に、深みにはまりこんでいく生徒たち、母親たち、畑澤さんの脚本は、揺れ動きながらも結局は自己保身へとはまりこんでいく様子を、実にスリリングに描がいていた。さらに、それをひるむことなくやり通した生徒たちの演技と気迫も凄いものだった。だから、最優秀だろうな、と半ば理解しつつも、『卵の勝利』(作:安保健)に勝たせたかったんだよぉぉぉ。

 理由その一。まず、暗いでしょ、救いがないじゃなか。もう、どうしようもないよ、あそこまでやっちゃったら。そりゃたしかに、人間にはああいう面があるってことは認める。僕だって、もし、加害者やその保護者になってしまったら、もしかしたら、同じように自己保身に走るかもしれない。だけどね、だからって、それ舞台で突きつけられたくはないだよ。甘いと言われるかもしれないが、どこかに救いが欲しいんだ。去年の青森中央の『河童』には、それがあった、救いがね。河童に変身していく少女を慕って自ら河童になることを願う男の子がいたもの。彼の純愛は切なく愛おしかったと思う。

 理由その二。これは生徒講評委員が勇気をふるって?発言したことだけど、ここに描かれたいじめと責任逃れの様子って、マスメディアが作り上げたイメージなんじゃないのって疑問。そう、僕も同じ感想をもったんだ。僕も高校教師だから、様々ないじめの現場に立ち会った。その経験を通して感じるのは、ここに描かれた世界とはかなり様子が違うんだ。加害者と被害者がこんなにくっきり区分けできなかったり、果たして被害って言えるのか?って場合も少なからずあった。こうやって、白黒つけちゃうとわかりやすいんだけど、どうも、現実から遠ざかってしまうような気がする。

 じゃあ、『卵の勝利』は、ってなると、これはもう、まるで正反対、完全受容、とことん許しの世界だから。癒しの究極ってことだ。突き詰めてしまうと、いじめで不登校になった下級生と白血病で余命幾ばくもない先輩との交流ってことで、まっありきたりの題材を二つ重ねた作品ってことなんだけど、描き方が、これは、もうもう、本当に心穏やかでおおらかで上質のユーモアに溢れていた。「がんばれぇぇぇ」「いいと思うよぉぉぉ」突飛な行動を繰り返す下級生にかけるこの脱力系のおおらかなせりふは、今大会の流行語大賞に輝いたものね。誰が決めたんだそんなもの?観客全員!間違いなし!だったよね。

 次々繰り出されるギャグも、知的で品が良くて、こういう笑いって多分高校演劇では初めてなんじゃないのかな?五体倒地とか、なんたらって言う回転宗教やら、こんなのギャグになるんだぁぁって目から鱗の連続だったもの。それと使ってた歌も良かったねぇぇぇ。井上陽水の『傘がない』をもだえ苦しみながら歌うシーなんて、もう、僕一人で笑ってた。つまり、他の観客は引いてた?『チャンチキおけさ』がホームレスの望郷の歌だなんてのも、強引ですっごく納得できた。そして、チャックベリーだよ!ロックンロールを脱力系で踊るって、これ凄いよ。見る者全員が心の底から癒された1時間だった。もちろん、三人の役者が演技力も高く個性的で、役にぴったりはまってたってこと、当たり前だよ、あの三人に当て書きしたに違いないもの、東京の春フェス、見に行こうか?ってついふらっと思ってしまったほど良い舞台だった。

 最後に八戸聖ウルスラの『わがうちなるラピュタ』。もう、プロです。役者たち。昨年『どんがら山奇譚』のお婆ちゃん役で注目されたミドリが5人もそろったって感じ、こんなことってあるんだ。誰もが感じたことでこの舞台もお見事でした。

 こんな素晴らしい作品がそろった東北大会、参加できたってこと、幸せの一語だね、まあ、願わくば、置農もベスト4に入れてたらもっとね。

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まずは憂さ晴らし:高校演劇東北大会殴り書き①

2008-12-23 11:29:24 | 演劇

 大会ってほんと健康によくない!体中にむらむらが溢れてるからね。そう、だめだった!わけ東北大会。散々だったわけ。最優秀はおろか、優秀にも入れなかった。でも、それはまあ、今回は優れた作品が多かったので、上位4校のうち3校は納得。残る1校については見ていないので、保留。

 問題は置農に対する講評だ。いやはや、一つも評価してもらえなかった。誇張じゃない。言葉通り、文字通り!!まず、台本やストーリーについては、盛り込みすぎて言わんとするところが不明、これで終わり!役者や演技については一切言及なし!その後出てくるのは、すべてダメだし。まず衣装、黒い軍足はおかしい、裸足か足袋のほうがいい、あんなスリッパが1946年当時あったか、服装も当時らしくない。コーラは飲んだらよかった。次に装置、吊りもの、照明の影が出てて失敗、あれならやらない方がいい、最後のシーンはパネルだけでなく吊りものもとばした方がよかった。

 どう?この講評。辛口批評の人なのか?って言うとそうでもない。他の舞台は絶賛だったり、ほどほどに褒め言葉も織り交ぜたりしていたから。よほどうちの作品が気に入らなかったんだろうね。共感のひとかけらもない。

 ってことで、昨夜から僕の心の中はぶすぶすと不完全燃焼の怒りがくすぶり続けている。このまま、そんな熾きをため込んでおくのは、絶対健康に良くない!早く消火して放り出してしまわなくちゃなんない。で、このブログってことだ。

 まずは、講評に対する反論だ。

 ①詰め込み過ぎって指摘は確かにその通り、でも、だから、言いたいことがわからんって言うのは、えっ?ちゃんと見てた?って言いたい。言いたかったことは『生きろ』ってことだよ。バンバンの幸子が人生のやり直しを決意するのは、民子の「生きて、何したっていいから、生きて」のせりふだし、兄が隠し持っていたジャズのレコードを聞いて、民子が聞き取った兄のメッセージも「生きろ、そして、俺も行きたかった!」だ。時間が前後するけど、民子が幸子を励ましたのは、前夜兄の真情を知ったからだった。身巧者なら、その辺は見抜けるって思う。そして、最後のシーン、ジャズを踊り終えた民子が語るジャズの魅力も「生きることが楽しい、それがジャズ」って、これだけ言ってるのに、なぜ?生徒講評委員はしっかりとこのメッセージ受け止めてくれたって言うのに、なぜ?

 ついでに言うなら、『生きろ』って言葉は、命の価値がますます希薄になっている今の時代に向けたメッセージのつもりだったんだけど、気づいてくれた人はいたんだろうか?

 ②衣装について。舞台で裸足はないでしょう!絶対危険だもの。じゃあ、足袋?足袋ってどんだけ高いか知ってますか?スリッパが当時のものじゃない、そうでしょ、きっと。でも、そこまで見る?それって粗探しってことじゃない?そりゃ、アディダスやらアシックス履いてたら、芝居の興を著しく削ぐと思う。でも、黒軍足とスリッパは許容範囲だと思う、金と蓄積のあるプロ劇団ならともかく。聞いてみたいね、観客に、役者たちの足もとが気になって集中できなかった人がどんだけいたかって。衣装についても同じ。多分らん子先生のモガ時代のドレスのこと言ってんだと思うけど、まあ、多少切れ込みが大きすぎでセクシーになりすぎてしまったってことはあるけど、生徒がネットで調べながら作ったものなんだ、そんな冷たい言葉で切り捨てて欲しくはない。講師も僕も1947年の生まれ、なんか勘違いしてないか?プロだから、あの時代のことは自分の方がよく知ってるって。例えば、こういうこともあった。公演後の研修会で、他の審査員から、コーラがこの時代山形にあったか?って質問を受けたんだ。これどうも、審査員会で話題になったらしいんだ。彼が言うには東根の神町に進駐軍がいたからなんたら、って、おいおい!せりふ聞いてたのかよ!あのコーラは東京で闇屋やってる義男からのプレゼントって言ってるだろ。当然、東京の進駐軍からの横流し品だよ。もう、そこまで説明しなくちゃなんないの?

③最後に装置の件。開き足、平台でステージを作り、18枚ものパネルを組んだことに対する評価が一切なかったってことには触れない、ってまあ、言っちゃったけど。吊りものと照明がけんかしたってことだけど、講師の言うように一番前のバトンに吊ってるんだ。サスの影が出るってことは百も承知だ。そんなこたぁ、わかってるよ。だから、地元でうちだけの公演打った時は、さらに前のボーダーに吊った。でも、大会じゃできないでしょ。ボーダーとばしっぱなしにするわけにいかないんだから。それとサスの高さだってこっちの希望じゃ変えられない。リハーサル前の30分で吊ってみて、初めてどんな影が出るかわかるんだ、それが高校演劇の大会ってもんなんだ。そこで、瞬時にどう判断するか、体育館の照明が梁より上にあったってことだって考えられる、とすれば、梁の影がフロアに出ていても不自然じゃない。よし、行け!この判断、そんなにまずいですか?さらに、ラストシーンで吊りものも同時にとばした方が良かった、って、あのね、山形県では、綱元はプロのスタッフ以外一切触れないの!そして、スタッフはほとんど舞台には一人しかいないの!!だから、同時に二つの吊りものとばすなんてできない相談なんだ。今回の岩手では高校生も綱に関わっていたけど、そんなの会場来て初めてわかったことだから。こういう、舞台裏の現実を無視したアドバイスってまるっきり!意味なし!!

 どうですか?もう、体中が怒りの炎に焼かれるのがわかるでしょ。要するに、こういうこっちゃないか?なんか漫然と見てたらいろんなエピソードが次々出てきて、せりふ追えなくなった、だから、詰まらない、となると、末節の欠点が気になる、さらに、舞台への興味が薄れる、流れが反対かもしれない。まっ、こういった1時間を過ごしたんだろね。

 高校演劇の審査・講評は好意的に励まし的に行うのが基本だなんてことを持ち出そうと思わない。何も無理してリップサービスしてほしいなんて言うんじゃない。高校演劇の舞台作りの現場をしっかり理解して批評してほしいってことと、台本よく読んで、芝居をしっかり見てほしい、それだけだ。僕は、一つ一つのせりふを伏線としての意味も含めつつ吟味して書いている。もっとしっかり聞いてほしかった、せりふの意味もせりふのニュアンスも。

 こんな言われ方しなくちゃならない作品だなんって、ぜーーーーーーーーーーーーーーーったい!!思えない!!!理不尽な評価をされたときの、衆目の前で一方的に批判される側の、この怒りのボルテージをしっかり心してほしい、審査・講評に当たる人は。

 ちなみに、県大会では、三人の審査員全員が、詰め込みすぎだが、それを不自然に感じさせない力があった。それは台本の巧みさだって言ってくれた。今回とのこの違い!なによ!!救いは、生徒講評委員が優れた鑑賞眼を保ってくれたってことだ。そう、高校生の目の確かさ、次回触れたいと思うけど、これはこの大会の大きな収穫だった。凄いぞ!高校生!お見事!生徒講評委員会!!

コメント (2)
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