ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

演出の力!

2008-12-25 20:01:46 | 演劇

 高校演劇東北大会のこと、書くと思うでしょ。違うんだなぁ、これが。こまつ座『太鼓たたいて笛吹いて』のことだよ、昨夜(ゆんべ)見ちまったからね。そう、もちろん置農演劇部も全員参加だ。なに?東北大会帰ってきたばっかなのにってか?なんも驚くことはない。この程度のスケジュールは置農演劇部にも、僕にもごくごく当たり前のことだもの。前にも書いたけど、1月の東京公演では、着いたその日に会場下見をしてすぐ、新国立で観劇だから。

 さて、芝居の話しだ。よかった!実によかった!置農の『Let's Dance1946』とかぶる内容だったから、ますます興味深かった。て、言うより、さすが井上ひさしさん!脚本見事だよ。同じようなテーマで書いても僕の作品なんか足下にも及ばない。当たり前か。深いんだよなぁ。いいせりふたくさん有るんだよなぁ。極めつけは「滅びるにはこの日本、あまりに美しすぎるわ」かな。歌もよかった。「ひとりじゃない 心の声に耳をかたむけるなら・・・・」とか、「文字よ 飛べ飛べ」なんかも。時代は物語を必要としているんだ、なんて認識もはっとさせられた。それと、三木卓役の木場さんにびっくりした。歌、上手いもの!声いいもの!!

 でも、昨夜の舞台で一番心惹かれたのは、実は演出なんだ。この芝居5年前の初演の時にも見ている。なのに、ほとんど覚えていないって、こりゃ僕の単なる老化現象なんだけど、今回、はっとするようなシーンが幾つもあった。

 例えば一幕のラスト。脚本では、芙美子の「私は兵隊さんが好きだ、・・・・」で始まる戦争賛美の詩の朗読がラジオから流れる中、キク、こま子、時男の三人が身を寄せ合って聞く、となっているんだけど、そこで演出の栗山民也さんは、時男をにぎりめしを頬張りながらうかれはしゃがせたんだ。しかも、シルエット!しかも、朗読の声は徐々に不気味な共鳴となって会場をぐるりと一巡したんだ。

 どうさ、このシーン?美しく始まった芙美子の言葉はしだいに現実から遊離した魔物になっていく。悪魔のたたく太鼓、吹く笛へと変わっていく。時男のような庶民を踊らせて戦争へと駆り立てていく、鳴り物。その先には間違いなく戦場での死か、大きく狂わされる生活が待っている。

 たった一つのシーンにこの芝居のすべてを描ききってしまっているじゃないか。これが演出ってものなんだ!演出の力ってものなんだ。演出は台本を舞台に可視化させるだけのことではない。大胆に作者の思いを作者の下意識を引きづりだす仕事なんだ。そんな発見をさせてくれたこの舞台、僕にとって一つの出発点になるよ、きっと。もちろん、脚本書くって立場からも、うん、もっともっといいもの書かなくちゃ!

コメント
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