ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

凝り固まった”表現”をときほぐす

2011-01-16 11:12:59 | 教育

 生徒制作の校内公演が間近に迫っている。だから極力稽古に時間をあげたい。でも、土日くらいは、基本稽古もしっかりやりたいって思うじゃないか。また子どもミュージカルの制作に入れば怒濤の超多忙に追い込まれるわけだから。せめて冬場くらいじっくりと。

 いつもいつも頭を悩ませているのは、部員たちの表現力の硬さだ。強ばっている。ガチガチだ。せりふ読んでも一通りか二通り、せいぜいが強弱で変化つけることくらいしかできない。笑えと言えばにこにこ笑い。ほほえみとか忍び笑いとか馬鹿笑いとか嘲笑とか失笑とか、いろいろあるだろ、笑いって言ったって。いや、にこにこ笑顔だってできない奴がいる。楽しいダンス踊っていても不細工面の仏頂面、いい加減にせえよ!

 身体も同じこと。例えば自由に身体動かして踊ってみよう、ステップなんてどうでもいいから、こんなテーマでも、出てくる動きは日頃手慣れたありきたりのステップだけ。よし、そのステップでもいいから、振りを大きくしてみよう、ムリムリ!ともかくいつもやってる通り、これはもう惰性・慣性としか言いようがない。それをなんとかときほぐそう!ってのが最近の努力目標になっている。

 昨日の稽古で試したのは、音楽に乗ってゆっくりと身体を動かすこと、次に最高速で動き回ること、こんなことをやってみた。ゆっくり動かす時には、手足はもちろん、首や顔や腰や膝やいろんな所を意識して動かす。普段自分がやってみたことのないような身体の傾きや回転やひねりや、ともかくいろんな部分を動かす。それを組み合わせる。そして、一瞬ストップモーション。自分が奇妙な形になっていることを認識する。さらにまた動く。こうやって、いつもと違う身体の形を実感する。フルスピードの動きは、めちゃめちゃ動くことでいつもの身体のリズムと違うものを感じ取る。こんなことをやってみた。

 さらに、この動きにテーマを設ける。大喜びとか、絶望とか、満足とか、比較的くっきりとした目標を与えてそれをゆっくりと超スピードで表現する。その時注意するのは、表面だけの表現にならないこと!あくまで気持ちを作って、心からその感情を身体表現するように指示する。

 こんなことを半分は思いつき、半分は熟慮の結果として取り入れてみている。ともかく大切なことは、部員一人一人、自分の身体や表現の硬さを実感することと、まったく違う動きが自分の身体や脳の中に隠れているってことを感じ取ってくれることだ。

 人は無意識のうちに自分のパターンを作り上げている。話し方にしても、表情にしても、身体のこなしにしても、そうだ。これからなかなか抜けだせない。でも、実は日常生活の中でいろんな表現をしているものなのだ。いつだってワンパターンなんて人間は極めて稀だ。それがいざ演じる、表現するとなると、一つの形に凝り固まる。そんな多彩な日頃の何気ない表現に気づくことなんだ。それがさらには他の人の感情表現への関心につながっていく、そんな道筋を考えている。

 自分は多様、自分は複雑、そんな実感を持ってほしいんだ、まずは手始めとして。

 

コメント
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