ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ぼやき、つぶやき「イーハトーボの劇列車」

2013-12-01 11:24:05 | 劇評
 それ違うだろう。最初の上野行き列車の賢治、変な岩手訛りでもうすでにでくのぼうじゃない。場面変わって永楽病院。第一郎、三菱の超エリート社員?なんかペテン師野郎みたい。ケイ子も声も顔もがさつ、大金持ちの令嬢とは思えない。さらに、とし子、聡明で優しくどこか生きることを諦めたような透明感のあるとし子のイメージ完全に狂わされた。動物と人間との交歓を言いつのるせりふも、秘めたるひたむきさが迸るって感じにはほど遠いよなぁ。
 
 山男は騒ぎ過ぎだし、三十郎は猟師の凄みまるでないし、曲馬団の女も切々した悲哀が感じられない。そうそう、女が腹を空かす山男と三十郎に、おたべ、と餅を渡す時、もろ肌脱ぎになったのにはびっくりした。あのシーン、いんちき曲馬団に絡め取られた男たちと女との淡やかな心の通い合いだって思ってた。だから、後のシーンで女は男たちを身を張って逃がすんじゃないのかい?

 キャストで言えば、辻萬長さんが父親政次郎と花巻署刑事伊藤儀一郎を二役兼ねたのもがっかりだった。父親は、まあそうだろう、萬長さんだろな。でも、刑事はね、立派過ぎるんだよ。もっと下積みの卑しい風体の役者にやってもらいたかった。でないと、賢治のお坊っちゃま性を激しく責める下層階級(儀一郎は多分貧しい水呑み百姓の出だ)の恨み辛みが噴出しないじゃないか。萬長さんだと、お小言くらってるみたいになる。

 下宿の未亡人も、歳取り過ぎてるし、中年故の押しの強さが前面に出ていて、政次郎が出会いで語る、若い下宿人と未亡人がなにになるってせりふがまるで現実感がなかった。

 でも、一番の違和感は賢治だろうな。まず背が高すぎ!スタイル良過ぎ!最初の上野行きはやたらぼんくらを作っていて気に障ったし、二回目以降は颯爽としていて、自信満々、あれって世渡り下手な賢治なの?常にどこかに出自への卑下を隠している賢治なんだと思うんだけど。それと、賢治の服装、そして髪型、本当にあれでいいの?いかにも田舎のお金持ちの道楽息子ってスタイルに見える。実を言うと、菜の花座も3年前にこの作品上演している。そのときは、賢治役の役者、決まると即座に坊主頭にしてきたんだ。花巻農学校で教師やってたときの賢治、写真では坊主頭だものね。少なくともあの7・3分けはないでしょ。

 そうなんだ。自分たちでやったことあるからどうしても違和感が噴出してきてしまう。役の1人1人、せりふの一つ一つに思いが残っているからね。僕なりの理解てものもある。特に好きなシーン、大切だと感じて作ったシーンやせりふには思い入れ一杯なんだ。だから、だから、期待も大きかったんだ。プロだもの、そうか、そういう理解もあったか!そんな表現もできるんだ!って圧倒してほしかったんだ。蹴散らかしてほしかった。

 演技はともかく、演出は斬新だった。傾斜のある円形舞台を回しながら様々なシーンを作って行くなんてさすがだと思ったし、プラザで宙吊りを初めて見せてもらった。下宿屋もたった2本の柱で二部屋を分けて見せたり、列車座席を円形舞台上とその下の上下に分けて設えたり、列車の擬音を椅子叩きの音で表現したり、いやあ、あんなことしていいんだ!!ってこれは素直に勉強になった。もちろん、生演奏付きってのも、いいよね。結構大変な舞台転換を出演者たちが列車の擬音を発しながらやっていたのも参考になった。でもね、それってずるいでしょ!感はぬぐいきれなかった。

 井上さんの台本では、列車は上野に向かって出発し走り続けるんだよ。菜の花座でどんだけ苦労したことか!!!見送りの政次郎が花巻駅の表示(なんて言ったけ?)と一緒に遠ざかっていったり、車窓を踏み切りのシグナルが何度も通過ししたり。極めつけは客車が動いた!まっ、多分、そんなことは本質的でないって考えたんだろう。思い切って中心のボックスだけ円形舞台に上げて話しを進めていた。でも、あれで夜行列車の猥雑な感じとか疲れ果てた乗客たちとか、表現できたか?って問われれば、上手にあしらった分、大切なものが抜け落ちたな、ってのが僕の感想だ。

 最後の銀河鉄道、もうこれは、詐欺だ!って叫びたくなった。井上さんの台本、下手に展望車のような客車の後部が現れ、死者たちは次々にそれに乗り込んで行くってことになっている。そして、最後に賢治役の農民を乗せた列車は夜空に向けて旅立って行く。銀河鉄道どんなの出てくるんだ?どうやって出発しどうやって空を行くのか?期待大きかったんだ。なのに!唖然!死者たちを乗せた円形舞台が回転するだけ!それだけ?それだけ!

 死者たちを見送った車掌が託された思い残し切符を客席にばらまくシーンも後ろに死者たちがいるので車掌に集中できず、印象薄い幕切れになった。

 最後に、この芝居に井上さんが託した大切な思い「広場があればなぁ!」この賢治役の農民の台詞。広場が無かったことへの慚愧の念、それ故に広場を渇望する熱い思いを表現できていただろうか?その切望は、賢治の数々の思い残しに通じるものだろう。死を前にしてでくのぼうの自覚にいたる、諦念を抱えつつ悟りに至る賢治の痛く優しく激しく静かな思いを演じ切れたのかどうか。

 菜の花座の舞台、正直言って成功にはほど遠かった。作品が菜の花座の身の丈を越えていた。でも、これはと思うシーンは幾つもあったし、この役者は結構引け取らないかも、なんて感じてもいる。おこがましいって言やその通りだけど、こんな作り方もあったってことで、皆さん、ついでに見てください。



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