山形市市街を回り尽くす山形まるごとマラソン。これまでのハーフマラソン自己ベストを10分以上も短縮して、1時間53分13秒(ネットタイム)で目標の2時間切りを達成した。つい嬉しさのあまり、久しぶりのFB投稿までしてしまった。まさかここまで記録を伸ばせるとは思わなかったなぁ。幸せ!
もちろん!準備はしてきた。1ヶ月前には21kmを2回走っていたし、それ以外にも14kmを早いペースで走る練習を続けてきた。練習走のタイムも確実にアップしてきていたので、確実に脚力、心肺能力は上がってきているのは実感していた。
でも、不安もないわけじゃなかった。それは、2週間前にコント大会、1週間前に米沢市芸文ステージフェスティバルと2回もの大きな仕事を抱えて十分なトレーニングができなかったこと。とりわけステージフェスの方は仕込みからリハーサル、ゲネプロ、本番とほぼ1週間まるまるつぶれたこともあって、間10日ほどまったく走れなかった。
これそうとうピンチ!ようやく終わった翌日の14kmでは、6分/kmがようやく!目標の2時間切りには5分30秒が必要だっていうのに。疲れが抜けた2日後はどうにか5分20秒~30秒のタイムに戻ったけれど、すごい心配だった。まさか、本番4日前に長い距離走るわけにはいかんしなぁ。
と、言うことで、不安を抱えながらのレース当日となった。前夜に焼いたご飯パンの紅大豆餡パンを真っ黒焦げにするなんてショックもあって、気分はどん底。寒い!気温15度曇りただし無風。なんと出走者のほとんどがタイツはいてるし!こっちは大会仕様の短いランパンにアンクルソックスで素足もろだし。なんだなんだ、まだ10月はじめだぞ、軟弱者めらが、などと一人毒づきつつも取り残された不安しきりだった。
体を温めるためにアップは入念に!スタート位置に入ってからも30分近く待たされるってことも前回東根さくらんぼマラソンで学んでたから、ぎりぎりまでジョギングとウォーキングを繰り返した。スタートポジションは最後方のDブロック、仕方ない、2時間切れてないわけだからな。まずは自分のペースで走ること、これが大切だ、何度も自分に言い聞かせた。
さぁ!スタート、3600人が一斉に走り出す、なんてことは当然あり得ない。Aブロックが走り出した後、B、C、Dと係員に誘導されながらスタートラインを超える。号砲が鳴ってからこの間2分弱、おっ!意外とスムーズじゃないか。東根ではたしか4分以上かかっていた。しかも、走り出し直後の芋洗い状態が比較的ゆるやか、前がつかえて進めない、なんてこともない。無理すれば、前の走者の間を縫うように走ってピッチを上げることもできないわけじゃない。東根とは大きな違いだ。やっぱりエントリー数を3600人に絞ったことが大きいね。道幅も比較的広く、数分走るうちには、自分のペースで走れるようになった。ストレス無用!快適快走!
さて、レースをどうコントロールするか?これとっても大切って前日の「ランスマ」(毎週土曜NHKBSで放映のランニング番組)でも金さんが強調していた通り、僕も入念に計画を立て、事前のイメージトレーニングを繰り返していた。インターネットでコース図を確認し、コース高低表を頭にたたき込んだ。勝手知ったる山形市、これが大きい。コースの大部分はかつて通ったことのある馴染みの道だ。コース図をみるだけで町の様子まで浮かんでくる。
スタート地点の運動公園からかすかな登りで市の繁華街へ。町の中をぐるぐると巡る道筋はほぼ平坦だ。問題は小白川から馬見ヶ崎川沿いを上流にたどる4kmの登り坂、登りきれば折り返しで14km地点、あとは7km下る一方というコース。2時間を切るには、下りは少々疲れていても5分30秒/kmで走れるだろうから折り返しを1時間20以内で通過できればぎりぎり頑張って2時間を切れる。ということは、登りは6分/kmに落ちるとして24分差し引いて10km地点は56分以内、となると最初10kmのペースは5分30秒、と、こう入念に計画を立て後は、本番で走りの調子を見ながら修正するということにした。
事前の練習もこのコース高低表を参考にして10kmから14kmが登りになるように組んだ、って言うより、家の場合、トレーニングコースはどう取っても、最後は登りなんだよね、山の中だから。しかもその距離3km強、さらに高低差も本番と同じ70m!これを繰り返し走れたのが大きな自信になった。坂道でも5分40秒程度で走りきれるようになっていたから。
実際走ってみて、コース高低表にはあらわれないアップダウンもないわけじゃなかったが、まずは想定内!5分20秒ペースで快調に走る。次々Cブロック、時にはBブロックの走者を抜き去るのが実に快感!難所の登坂も歩幅を小さくピッチを上げてひたすら我慢でしのぎきり、最後の下り坂へ。ここからはみんなとばすし、もうここまでくればなんとかなると思い切ってペースを上げた。それでも、ラストの2kmでばてた前回の苦い思い出があるので、やや慎重に進めたが、ゴール間近には十分過ぎる余裕があったので、最後100mはスパート、なんてお恥ずかしい!
やはり、コースをよく知っているってこと、それに基づいてレースプランを入念に立てられたこと、そのプランに沿った事前練習を積み上げられたこと、要するに「想定すること・備えること」がしっかりできたことが今回の勝因ってことなんだな。仕事はなんでも同じことだが、事前によく調べ、計画を練って、あらゆる局面に対応すべくイメージし準備する、これが成功の秘訣ってこと、改めて実感できたマラソン大会だった。
それが上手く行かなかった失敗例が、7月のトライアスロン長井大会。思い返すだに、屈辱!初トライアスロン挑戦が無惨にも打ち砕かれたのは、想定外の現実をレース直前に突きつけられたことだった。苦手な水泳のタイム制限が5分も短縮!聞いてないよ!!そんなこと。どうにかこうにか制限タイムで500m泳ぎ切れるかどうかって実力なのに、さらに5分、もう無理無理無理!と。激しく動揺。さらにあの狭いコース(中学校の25mプール)を5人で同時に泳ぐなんて、聞いてはいたけど、事前に練習できっことない。で、人間度を失った時に、どれだけうろたえてしまうものなのか!息は上がり、体はこわばり、疲れは極点へ!ほとんど溺れているの同じ状態で手足をばたつかせた。500mどころか、300m泳いだところで肩たたきにあって水泳は打ち切り、失格!ライドに入れって!もうやめようか、どうせ途中失格なんだから、とめいっぱい気が落ち込んだが、ここで自転車、さらにはランニングもリタイヤとなるとあまりに惨め、払い込んだ12000円が水の泡!と気を取り直し、必死で20km、5kmを走りきった。
そう、事前に予想していない事態に遭遇すると人はどれほど愚かになり自制心を失うものなのか、トライアスロンの失敗は大きな人生勉強だった。って、おまえだけのことだって、うーん、たしかに想定外には弱いよなぁ、僕は。だから、これからもしっかり想定し、十分に準備して、何事にもあたって行こうってことだ。
もちろん!準備はしてきた。1ヶ月前には21kmを2回走っていたし、それ以外にも14kmを早いペースで走る練習を続けてきた。練習走のタイムも確実にアップしてきていたので、確実に脚力、心肺能力は上がってきているのは実感していた。
でも、不安もないわけじゃなかった。それは、2週間前にコント大会、1週間前に米沢市芸文ステージフェスティバルと2回もの大きな仕事を抱えて十分なトレーニングができなかったこと。とりわけステージフェスの方は仕込みからリハーサル、ゲネプロ、本番とほぼ1週間まるまるつぶれたこともあって、間10日ほどまったく走れなかった。
これそうとうピンチ!ようやく終わった翌日の14kmでは、6分/kmがようやく!目標の2時間切りには5分30秒が必要だっていうのに。疲れが抜けた2日後はどうにか5分20秒~30秒のタイムに戻ったけれど、すごい心配だった。まさか、本番4日前に長い距離走るわけにはいかんしなぁ。
と、言うことで、不安を抱えながらのレース当日となった。前夜に焼いたご飯パンの紅大豆餡パンを真っ黒焦げにするなんてショックもあって、気分はどん底。寒い!気温15度曇りただし無風。なんと出走者のほとんどがタイツはいてるし!こっちは大会仕様の短いランパンにアンクルソックスで素足もろだし。なんだなんだ、まだ10月はじめだぞ、軟弱者めらが、などと一人毒づきつつも取り残された不安しきりだった。
体を温めるためにアップは入念に!スタート位置に入ってからも30分近く待たされるってことも前回東根さくらんぼマラソンで学んでたから、ぎりぎりまでジョギングとウォーキングを繰り返した。スタートポジションは最後方のDブロック、仕方ない、2時間切れてないわけだからな。まずは自分のペースで走ること、これが大切だ、何度も自分に言い聞かせた。
さぁ!スタート、3600人が一斉に走り出す、なんてことは当然あり得ない。Aブロックが走り出した後、B、C、Dと係員に誘導されながらスタートラインを超える。号砲が鳴ってからこの間2分弱、おっ!意外とスムーズじゃないか。東根ではたしか4分以上かかっていた。しかも、走り出し直後の芋洗い状態が比較的ゆるやか、前がつかえて進めない、なんてこともない。無理すれば、前の走者の間を縫うように走ってピッチを上げることもできないわけじゃない。東根とは大きな違いだ。やっぱりエントリー数を3600人に絞ったことが大きいね。道幅も比較的広く、数分走るうちには、自分のペースで走れるようになった。ストレス無用!快適快走!
さて、レースをどうコントロールするか?これとっても大切って前日の「ランスマ」(毎週土曜NHKBSで放映のランニング番組)でも金さんが強調していた通り、僕も入念に計画を立て、事前のイメージトレーニングを繰り返していた。インターネットでコース図を確認し、コース高低表を頭にたたき込んだ。勝手知ったる山形市、これが大きい。コースの大部分はかつて通ったことのある馴染みの道だ。コース図をみるだけで町の様子まで浮かんでくる。
スタート地点の運動公園からかすかな登りで市の繁華街へ。町の中をぐるぐると巡る道筋はほぼ平坦だ。問題は小白川から馬見ヶ崎川沿いを上流にたどる4kmの登り坂、登りきれば折り返しで14km地点、あとは7km下る一方というコース。2時間を切るには、下りは少々疲れていても5分30秒/kmで走れるだろうから折り返しを1時間20以内で通過できればぎりぎり頑張って2時間を切れる。ということは、登りは6分/kmに落ちるとして24分差し引いて10km地点は56分以内、となると最初10kmのペースは5分30秒、と、こう入念に計画を立て後は、本番で走りの調子を見ながら修正するということにした。
事前の練習もこのコース高低表を参考にして10kmから14kmが登りになるように組んだ、って言うより、家の場合、トレーニングコースはどう取っても、最後は登りなんだよね、山の中だから。しかもその距離3km強、さらに高低差も本番と同じ70m!これを繰り返し走れたのが大きな自信になった。坂道でも5分40秒程度で走りきれるようになっていたから。
実際走ってみて、コース高低表にはあらわれないアップダウンもないわけじゃなかったが、まずは想定内!5分20秒ペースで快調に走る。次々Cブロック、時にはBブロックの走者を抜き去るのが実に快感!難所の登坂も歩幅を小さくピッチを上げてひたすら我慢でしのぎきり、最後の下り坂へ。ここからはみんなとばすし、もうここまでくればなんとかなると思い切ってペースを上げた。それでも、ラストの2kmでばてた前回の苦い思い出があるので、やや慎重に進めたが、ゴール間近には十分過ぎる余裕があったので、最後100mはスパート、なんてお恥ずかしい!
やはり、コースをよく知っているってこと、それに基づいてレースプランを入念に立てられたこと、そのプランに沿った事前練習を積み上げられたこと、要するに「想定すること・備えること」がしっかりできたことが今回の勝因ってことなんだな。仕事はなんでも同じことだが、事前によく調べ、計画を練って、あらゆる局面に対応すべくイメージし準備する、これが成功の秘訣ってこと、改めて実感できたマラソン大会だった。
それが上手く行かなかった失敗例が、7月のトライアスロン長井大会。思い返すだに、屈辱!初トライアスロン挑戦が無惨にも打ち砕かれたのは、想定外の現実をレース直前に突きつけられたことだった。苦手な水泳のタイム制限が5分も短縮!聞いてないよ!!そんなこと。どうにかこうにか制限タイムで500m泳ぎ切れるかどうかって実力なのに、さらに5分、もう無理無理無理!と。激しく動揺。さらにあの狭いコース(中学校の25mプール)を5人で同時に泳ぐなんて、聞いてはいたけど、事前に練習できっことない。で、人間度を失った時に、どれだけうろたえてしまうものなのか!息は上がり、体はこわばり、疲れは極点へ!ほとんど溺れているの同じ状態で手足をばたつかせた。500mどころか、300m泳いだところで肩たたきにあって水泳は打ち切り、失格!ライドに入れって!もうやめようか、どうせ途中失格なんだから、とめいっぱい気が落ち込んだが、ここで自転車、さらにはランニングもリタイヤとなるとあまりに惨め、払い込んだ12000円が水の泡!と気を取り直し、必死で20km、5kmを走りきった。
そう、事前に予想していない事態に遭遇すると人はどれほど愚かになり自制心を失うものなのか、トライアスロンの失敗は大きな人生勉強だった。って、おまえだけのことだって、うーん、たしかに想定外には弱いよなぁ、僕は。だから、これからもしっかり想定し、十分に準備して、何事にもあたって行こうってことだ。