ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

死相?見えたり。フルマラソンゴール直前!

2014-11-25 14:04:14 | ランニング
 写真って好きじゃない。顔に自信がないから?当たり!スタイルがかっこ悪いから?当たり!もっと大きな理由は、過去を振り返ることをしないから。だから自身のアルバムなんてものを持っていない。いろんな時に撮ってもらっても、そのまま机の引き出しの奥にお蔵入り。自分の中高時代はもちろん、担任時代の卒業アルバムもほとんど開いたことがない。なんか、過去の写真見ながら感慨にふけるってこと自体が、ひどくこっぱずかしい。はっきり言って、そんな暇あったら、台本書くよ、ってこと。前向きだなぁ!僕。(その自惚れの方がこっぱずかしい!)

 だから、どんな場面ても極力写らないよう心がけてきた。断るとか、撮り手に回る(演劇に関しては、僕は記録係なので役者たちの舞台姿は当然写す)とか、陰に隠れるとか、まっ、最近は、みんなが気持ちよく記念写真撮ろうとしている時は、あまり駄々をこねないようにしてはいるんだが。

 ところが、こちらの意向などお構いなく写真撮られる機会があるってことを、最近知った。そう、マラソン大会のカメラマンだ。いやいやアマチュアの写真家なんかじゃない。プロの写真屋さんだ。大会によっては何人ものカメラマンが、コースのあちこちに陣取ってバチバチと連写を続けている。笑顔!とか、手振ってとか、なんか注文付けてくる。時には頑張れ!って声援送りつつ仕事に専念している人もいる。ポイントを移動しつつ何カ所かで撮影するので、出場ランナー全員が10枚前後は撮られることになる。

 大会当日写された画像は、後日インターネットの写真屋さんのサイトで公開され、なんとゼッケン番号から自分の写っているすべての写真を見ることができる。もちろん、商売だからそれを販売して儲けを得ているわけだ。なるほどね、商機はどこにでもころがっている。たしかに、自分が走ってる姿って、スマホで自撮りするか、家族や友人に撮ってもらうしかないわけだから、ここぞの場面や全身像なんてのは、ご商売の方たちにお任せするしかないわけだ。

 プロが写す写真てのは、演出がつきものだ。ゴールなら両手を挙げてとか、完走の喜びとか、途中なら、笑顔でゆとりとか、スタート時なら、行ってきまぁぁすとか、ね。この演出されるのが実に嫌いなんだ。走り続ける一時一時、ひとそれぞれの思いがある。苦しくて苦しくて写真どころじゃないぜとか、ほとんど歩くようなスローペース、撮るな!って叫びたいとか、ゴールだって、みんながみんな完走の満足なんかじゃない。だから、途中、待ちかまえられてカメラ向けられると、なんか不機嫌になってしまう僕なんだなぁ。誰が笑ってやるもんかなんてね。素直じゃない!

 ところが、今回の飯坂茂庭っ湖マラソンの写真については、相当悩んだ。買うべきかどうか。高い!(一枚データもらうと送料込みで3000円以上)ってこともあったけど、思い出は頭と体の中にしっかり納められてる、それで十分!って思いが大きかった。大会走るたび自分のランニングポーズ見とれててどうする!写真には42.195kmは切り取れない!と、これまでの大会同様、見せてもらってフォームの確認だけさせてもらって終わり!ってつもりだった。

 なのに、買っちまったよ。十枚ほどあったうちから一枚。初フルマラソン完走記念てこともあったけど、この写真のあまりの形相、まさしく死相漂ってる、に打たれるものがあったのが最大の理由だ。この一枚、40km過ぎゴール直前の苦しい下り坂を必死で耐えているところ。30分前には両足が交互につり、完走危うし!ってどん底の危機からかろうじて立ち直り、坂の傾斜を頼りに惰性で走り続けているこの瞬間。この辛さ、この苦しさ、この必死さ、よくよく表れた一枚だと思ったんだ。悪くない、この死相!

 で、買った。ついでに、FBやブログのプロフィル写真にもしてしまった。当分はこの死と隣り合わせの形相を見ながら、ありとあらゆる場面で心引き締めて行こうなんて殊勝な決意を固めている。




 

 

コメント
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