デモクラシータイムス、ってYouTube番組、
今ちょっとはまってる、田んぼの除草しながら聞く動画ってことで。まっ、ながら視聴だから、絵は見られないが、いいのさ、ほとんどおしゃべりだから。
今日のお勧めは、
「切り取り民主主義」時代が始まった?!【畠山理仁の選挙男がいく】
映画「NO選挙NOライフ」の畠山理仁、選挙の追っかけを命にしているフリージャーナリストが都知事選を振り返ってさまざま語ってる。
なにかと想定外やら桁外れが噴出した今回の選挙、泡沫候補と蔑まれる、なんで出てんの?この人的な立候補者にもリスペクトを失わず選挙戦を並走した畠山、彼ならではの貴重な裏話がたくさん聞ける。
選挙ビジネスを狙ったN党の思惑や、公示看板からはみ出してしまった2名、実は3名の怒りとか、一躍2位に躍り出た石丸の選挙戦の分析とか、興味深いんだが、中で、
注目ポイントは、
石丸の元に集まったボランティアのことだ。
次々内幕暴露されで胡散臭さ駄々洩れ状態の石丸、あっ、昨日は「少子化対策にゃ一夫多妻制」なんてとんでもを口走ったって、で、
その石丸の街宣、聴衆多数ったってどうせ隠れ動員、あっ、選対では統一教会関係者や自民党の関係者も蠢いてるって情報ありだし、主体的なボランティアや支持者ってわけないだろが、なんて見下していたんだが、
違うみたいなんだなぁ。
石丸の熱気に魅せられて参加した初ボラティアも数多くいたってことなんだ。
畠山が言うんだ、信じるよ。
その話題の対照として出て来たのが「ひとり街宣」、新しい流れだってことはすでにこのブログでも触れた。
「選挙は多彩に面白く」
blog.goo.ne.jp/taowatarukaze2014/e/7124a349e3f271b8f8bf25d3a59fc03e
石丸ボラとひとり街宣比べたら、リベラル界隈としちゃ、ひとり街宣を民主主義の新潮流として持ち上げたくなるよな、勇気のいることだもの主張を掲げて人前に立ち続けるって。
石丸のボランティア5000人?そんなのより都内の各駅に立った3000人だろ、って意識だったんだ、が、
畠山の話し聞いて、石丸ボラだってひとり街宣だって、主体的行動って点じゃ変わらないんじゃないか、既成勢力の腐敗・堕落をぶちのめせ、は相通じるんだしさ。
いや、現状の掘り下げ深度から言ったら、そりゃひとり街宣さ、小池の杜撰さにも蓮舫の公約の優位性も理解している。石丸ボラは漠然としたヒーロー渇望が主体だからな。ただ、
投票以外のことで自ら進んで政治に能動的にかかわろうとしている点では同質なんじゃねえか?ってことさ。意欲的に政治勢力に関わって行く、それもごくごく普通人が、これ、今までにない動きだって感じんのよ。もちろん、れいわ新選組のボランティアも同じ、てぇか、れいわは先輩なんだけど。
政治?そんなもん関係ない、投票?どうせ変わりゃしない、政党に関わるなんて真っ当な人間のすることじゃない、政治活動に首突っ込むと就職に響くぞ、的な、危ないもの、ばっちいものには近寄らないの態度がもっぱらだった、いや今もほぼ大勢。
それがどうも、違い始めてるらしいってことだぜ。
って、見方から振り返ると、思い浮かんで来るのが、参政党や、日本保守党の大フィーバー、そして、ここで石丸だ。
どうも、アイドルのライブに熱狂するように、政治に没入する楽しみ方が少しずつ広がってきてるんだしゃないかってことさ。
この肌身で政治に接したい、自らの手で社会を少しでも動かしてみたいって思い、これからじわじわと広がって、いや、ある時、一気に!ってことだってあるかも。
これって好ましい兆候だと思う。政治を身近に感じること、自身の暮らしに政治は濃厚にかかわってるってことを意識し始めたってことだから。
ただ、この流れが、怒りの奔流となってあらぬ方に押し流される可能性は、よくよく気をつけにゃならんことだけど。