菜の花座5月公演台本、いよいよ、大詰めだ。ラストは決まっている。出演者全員がソ連参戦後の悲惨な状況をモノローグで語る。そこへどう繋ぐか、今日、一番の考え所だ。締め切りは明日。
『おんなたちの満州』、今回この作品を書こうと思った動機、いろいろある。歴史を身が手に書き換えようとする浅はかな行いの横行、自らの負の側面にひたすら目をつぶり、他者を貶めて喜ぶ下司根性の蔓延、レッテル貼って袋叩きにする忌まわしい過去の再現、いい加減にしろよ!しっかり見るところ見て、そこから考えようじゃないか、まずは、ここだ。
それはそれ、関係本など読んでいて、面白いと思ったのは、大陸の花嫁候補として満州に渡った女性たちが、なかなかどうして、したたかな側面を持っていたことだ。開拓女子義勇隊、当然周囲からは、満州に渡った開拓者の花嫁養成機関と見なされていた。ところが、意外なことに、研修には参加したものの、嫁には行かないと主張する娘たちがかなりの数いたようなのだ。もちろん、多数派ではないだろうが、とりあえず満州を体験してみたかったとか、満州で働いて力を発揮したいとか、中には、厳しい現実を目の当たりして、本土の帰りたいと強く願う者などもいたようだ。
実際、募集要項の方は、必ずしも花嫁養成とは書かれていなかったし、集めて回る市町村の担当者や後押しした教育関係者なども、その点は曖昧にして勧誘を進めた。まっ、行ってしまえば、嫁に行くしかないさ、と高を括っていた部分があるのだろう。しかし、現実には、娘たちの考えはそうそう軟弱でもなく、半年の研修の終了時点では、嫁として送り出したい管理者と丁々発止の駆け引きが行われた。これは思いがけずの面白さだ。まず、これを書きたいと思った。戦時の女性たち、決して男や国の言いなりじゃなかった、これ痛快じゃないか。
一方、そうだろな、そこは当時の限界なんだよな、と得心せざるを得ない部分もあった。それは、現地、満人、実は漢民族や満州族、や朝鮮人への強固な差別意識だ。例えば、混雑する列車の中で満人が座っていれば、その前に立ち、どけの一言で座席を奪うことを誰もが当然のことと感じていた。だから、どんなに嫁不足ではあっても現地の女性を娶るという意識はまったく生まれなかった。それどろか、政府が出した「開拓女塾経営方針」には、はっきりと大和民族の純血を守るためと書かれていた。五族協和を謳った王道楽土の満州国においてさえだ。日本人の中に深く根付いてしまった近隣諸民族への差別意識、これが日清戦争以降全面的な戦争へとなだれ込んでいく一番の原因だったのではないか、今はそう思っている。
だから、仮に満州に大規模な移民を敢行したとしても、その地の人たちを身内として巻き込んでいく意識があったなら、開拓政策が成功することはないにしても、その後の悲劇の幾分かは防げたのではないだろうか。実際、引き上げで苦労した人たちの体験談には、満人との良好な関係を結んでいたために助かったとか便宜を図ってもらえた等の記述もある。もちろん、強引な開拓と全体を覆った差別意識は、そんな個人的な関係など吹っ飛ばしてしまう場合がほんどだったわけだが。
ここは残念でならないところだ。もしも、日本人開拓者が満人や朝鮮人嫁ととし、日本の女性もそのような人たちと結ばれていたならば・・・・そんな現実にはあり得なかった可能性を書いてみたいとも思った。今、世界に吹き荒れる民族抗争、宗教対立、その根っこをときほぐすことにつながるかもしれない。これも一つの動機だ。
歴史の中で実際にあったことに共感して書く、現実にはあり得なかった歴史を仮に再現してみる、そんなことができるのがフィクションの世界なのだろうと思う。その作品が、リアリティをもって受け止められるか、ばかばかしいとうっちゃられるか、それはまた、別の問題だけどね。
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