朝からずしっと重いもんを投げ込まれちまったなぁ。それでなくても、もたれ気味の胃が、きゅっと悲鳴を上げたぜ。
「抹殺や弾圧は想像できるようになりました。アーティストを監視する権力の姿もアートを憎む市民の姿も想像できます。」
「たった数年でこれだけ悪く変わってしまったということは、今からさらに数年後には・・・・」
朝日新聞オピニオン&フォーラムに載った、芸術家集団「Chim↑Pom」メンバー卯城竜太さんのインタビュー記事だ。現代芸術についてはまったく疎い。このグループのこともまったくの初耳だ。
ぎりぎり先端で表現活動を展開する彼らには、襲い来たりにじり寄る圧迫の強度は死をも覚悟させるほどの緊迫感を伴っているのだろう。キツイところで踏ん張ってるなぁ、でも、それ考え過ぎだろ、なんて言いやしないぜ。あいちトリエンナーレの脅迫劇見れば、やり玉に挙げられた表現者の恐怖は相当のものだと想像できる。
市長って公権力がなりふり構わず芸術表現、自己主張を叩き潰しにかかったんだからな。しかも、それを、「われわれ」とか「国民」とかと勝手に僭称した者たちが脅し続けたわけだから。さらに、その強迫を取り締まることなく、主催者にイベントの中止を勧告するなんて、とんでもの警察の意向見えたわけだから。
卯城さんたちの作品『気合い100連発』が国際交流基金からクレームを付けられたのは5年前だと言う。「放射能や福島はNGワードだと言われました。そういい状況になったのは第二次安倍政権以降だ、とも(言われた)。」
この間、ネトウヨと呼ばれる人たちは、電話攻撃で彼らの「正義」を実現する方法を獲得し、権力者も、「憲法違反かも・・」というためらいを振り捨てた。急激な悪化の理由は、
「3.11とそれに続く五輪誘致がきっかけになったと見ています。・・・みんなで復興しよという意識の高まりが、・・・『日本人なら、みんな同じ感情を持つべきだ』という方向へ流れた。民主主義ではあるけれど、個を前提とする民主主義ではなく、『個を消してみんなのために動こう』という民主主義に変わった・・・。」
「アーティストは、社会でどこまで『エクストリーム(極端)な個』の幅を広げられるかを模索する存在です。極端な個が消えたら。次に消えるのは『常識的な個』です」
そうなんだ、そこが恐いんだ。俺が「女たちの昭和」を書き始めたのも4年前からなんだ。それまでのコミカル路線から大きく踏み出して、歴史に翻弄される女たちを描き始めた。『エクストリーム』で突っ走った女たちじゃなく、『常識的な個』として頑張ったそこら辺の女たちを。歳も歳だし、いつまでも時代を韜晦しちゃいられねえぜ、いつか見た光景の再現なんて真っ平だ、って意識からだった。先端で体張る表現者たちとは、緊張感で比ぶべくもないが、気付いた者から鐘を叩き続けるしかないんだぜ。
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