ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

震災!でもミュージカルは創る!!

2011-03-14 21:14:15 | 地域文化

 こんなもん書いてていのか?

 数万人もの命が失われているのに。数十万人の人たちが1日おにぎり一個なんて避難所生活しているっていうのに。福島第一原発では次々に原発建屋が爆発してるっていうのに。

 ほんじゃ何する?何できる?せいぜいが義捐金に応じるくらいのことだ。

 こういう大災害が起きるといつも感じる。被災地とそこから離れた者との落差。いくらテレビに釘付けになっていたとしても、ニュース報道に心を奪われ、被災者の境遇に涙したとしても、やはり仕事には向かい、雑談をし、食事をし、本を読み、ブログを書く。日常はしたたかにふてぶてしい。

 学校は明日、明後日の登校日が休業となった。列車も運休が続きガソリンの供給もほぼ払底して登校の手段がないためにとられた対応だ。当然と言えば当然だ。なのに、演劇部の生徒たちは昨日も今日も半数以上が登校して活動している。無理するなよ、休んでいいんだからな、と言い含めたにもかかわらずだ。

 新作子どもミュージカル『どんでん森は、どっきどき』の初日が迫っているからだ。3年生が抜けた新チームで取り組む最初の大きな公演、部員たちにはなんとしても成功させたいものなのだとの意識が強烈なんだ。男子生徒は自転車をこいで、女子生徒は親たちに無理をねだって登校してきた。

 保護者の中には、こういう緊急事態なのだから、公演そのものも中止または延期をしてもいいのではないか?との提案もあった。僕としてもそれを考えないわけではない。先日の演歌ショーのように主催者から中止の提案があるかもしれない。

 でも、こうも思うのだ。ほんじゃ止めてどうする?被災地に思いを馳せながら過ごすのか?ボランティアに飛び込むのか?

 やはり遠く隔たった我々には、日々の課題を一つ一つ誠実に受け止めていくしかないので゜はないか?心には被災者の苦悩の万分の一でもとどめつつ、今やるべきことに全力を傾けるしかないではないか。そして、置農演劇部がしなくてはならないこと、それは食育子どもミュージカル『どんでん森は、どっきどき』を仕上げること以外にない。僕にできることは、部員たちのほとばしる熱意をしっかりと形に仕上げていくことしかない。

 こんな状況だから、みんながつらい現実を目の当たりしているから、夢のある舞台をしっかり作っていきたいと思う。もしかして、この舞台を被災地の子どもたちに披露出来る日が来るかもしれない。そんなことを思いつつ、明日も朝から晩まで衣装や装置つくりに精出すこととしよう。

 

 

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またまた生地屋さんで楽しむ

2011-03-07 18:39:03 | 演劇

 生徒たちは、ただ今試験中。それが終われば今度は入試で登校禁止。うーん、なかなか稽古も物作りもままならない。食育子どもミュージカル『どんてん森は、どっきどき』、まだ本読みだって終わっていない。初日は月末の29日だって言うのに、困った。ともかく試験明けたら、一気に取りかかるしかない。そのための準備万端怠らぬように、ってことで、今日は衣装の生地を仕入れに行った。

 いやぁぁぁ、楽しいよね。生地屋さんの店内を見て回っていると、ほんと時間が経つのを忘れる。去年あたりまでは、なんか恥ずかしくて、居心地悪くて、それこそどっきどきで、買い物済ませてお店出るころには血圧がグイーンと上がっているのがわかったほどだった。だって、生地屋さんは女性のテリトリーでしょ。いい年したおっさんがうろつき回ってたら、目障りだし不審者だよ。当然、お客さんからは、あからさまな、あんたなに?光線が注がれいるものね。でも、今日あたりはそんな物怖じをさっぱり感じなくなっていた。こういかにも服飾のプロみたいな振りしてね、あっち引っ張り出しこっち手に取りして存分に楽しんだ。

 今日の買い物総額、なんと28000円也!高校演劇の一つの出し物に使う金額じゃないよね。衣装以外に装置のための木材とか塗料とか、さらにかぶり物の発泡スチロールとかあるし、小道具もある。ってことはこの舞台の制作費総額は?贅沢な芝居作りさせてもらってます。協力いただいているみなさんありがとう。

 こんなに買って衣装どんだけ作んの?って話しだけど、毎年毎年作ってる食育子どもミュージカルの舞台でしょ、常に前作を超えなくちゃ!っていうアクセルがかかるわけ。台本はもちろんだけど、装置や衣装も、おおっ、今年も凄いじゃない!ってもの作らないとならない。それと今年有能な衣装チーフが卒業したので、なおのこと、衣装作りの技術を部に定着したいって思いもあって、かなりの数を作ることにしたんだ。

 衣装チーフを引き継いだ生徒も、先輩からたくさん服飾の本やら型紙やらもらって、ぜったいやります!って気合い入っているんでね、その気概を生かして行こうって意味もある。苦労はすると思う。多分また泣くことになると思う。でも、きっと去年を上回る楽しく美しい衣装の数々が完成するに違いないと信じている。ねっ、信じてるよ、アイちゃん!!

 これが伝統を積み上げるってことなんじゃないかな。何かの分野でそれまでを超える技術が生み出される、それをその時のメンバーの特技に終わらせることなく、苦手な後輩がその技をマスターしていく。そうすると、そのレベルは置農演劇部の基本になっていく。そうやって毎年毎年水準が上がって行くのだと思う。いや、実際上がってきたんだ。装置作りもトラックの積み込みも舞台の立て込みも小道具製作も役者の演技力やダンスの力量も。

 さあ、初日までに残された日数は2週間!目一杯走るぞぉぉぉぉぉ!

 

 

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『おなかポンポンショー』て何だ?

2011-03-03 20:52:08 | 劇評

 最終日は下北沢、ってちょと問題ないか?帰りの列車、連日の観劇疲れ以上にげんなりってことにならないか?そうなんだ、これは冒険だ、最後が下北沢って帰る日は確実に間違いなく、来てかった!また、来よ、東京!って思えるそこそこの劇団、それなりのホール選ぶ方が無難なんだ。

でも、それっぽいチケット取れなかったから、仕方ない、ってことで下北OFFOFFシアターだ。

温泉きのこ?これが劇団名らしい。『おなかポンポンショー』これが舞台のタイトルらしい。50の座席は満席、自由席という名の桟敷席にもぎゅうっと詰め込まれて80人ほどの観客か。客層は、学生とか演劇サークル関連者って感じかな。開演前には歌謡曲が次々と流れ、おっと、これもしかすっと面白れぇかも!?って期待を抱かせた。

で、始まったら薄汚い男たちが「金妻のパロディ!ちょっと、いいやかなり引く!途中マイクを握ってカラオケも入るのだけど、これまた下手でさらに引く!!次のコントは「踊る陰陽師、サトル」なるどたばたコント。餃子とシュウマイと春巻きのかぶり物かぶった中国妖怪と陰陽師サトルが戦う。受けない。すーっと引く。さらに癌の宣告を受けたサラリーマンが初恋の人に手渡せなかったラブレターを渡すためにじたばたするってコント。ほとんど笑い無し。ドン引き!

ようやく笑いが起こったのは、重病のヤクザ組長をへんてこな医術の大家が究極の治療をするシーンだった。まず、早着替えしてきたメンバーの一人(女性)が背広を裏返しに着て出ちまった。落ち着かせるってことで罰ゲーム的に座長がキッス!えっ、キッス!?女装の主治医に笑いをこらえられなくなった女優陣を、気合いが足りないと、次々にキッス責め。おいおいやるか?そんなこと!羨ましいじゃないか!さらにこの大家の秘術がへんてこな言葉発しながらで大笑いだった。

あとは最後のウサギのミュージカルかな。歌って踊った女優(たにぐちいくこ)は歌も踊りも安心して見ていられた。でも、かなりまっとう、なんで?このミュージカルにギャグやコントを盛り込めたらもっと面白いのにって思った。

こんな調子で、全2時間、客席しら~~~なんてなんのその!彼等のエネルギーは凄まじかった。何度も何度も着替えはするし下手でも歌うし下手でも踊るし女優はビキニで登場するし、楽しめたろって?てうーん、微妙!ここまで間近だと見てる方が恥ずかしさ感じてしまう。ストリップ見に行ったわけじゃないから。心構えできてないから。そうそう、組長の究極の治療、これなんと、組長の嫌いなものを食べさせるってことで、組員たちが準備したのは、豆板醤、タバスコ、練りわさび、胡椒、練りカラシ!驚いて起きあがろうとする組長を女医が押さえつけ医術の大家が無理矢理口を開けさせて、・・・・・・・!やったよ、情け容赦なく!!ここまでやると趣味の悪さはさておいてよくやった!おまえら!!って気持ちにもなった。

この思い切りのよさ、徹底的な悪趣味、とことんのサービス精神、はちゃめちゃなおふざけ精神、そして、がむしゃらなエネルギー!心地よい家路のお供にはならなかったけど、まっ、見たぞ!ど根性!感じたぞ!とことん精神!!まっ、納得感だけはもらったかな。あっ、僕の趣味では絶対に!絶対に!!ないからね。

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なんだこのもやもやは?:スタジオ・ライフ『11人いる!』

2011-03-02 21:52:03 | 劇評

うわーっ!力入ってるぅぅ!やる気満々!って思ったんだ、最初は。中央円形舞台の上にイントレの柱が2本その上には鉄製の円形フレーム。そのフレームを行き来する2枚の巨大な扉、そして始終上がり下がりする円形のスクリーン、そこには手の込んだ映像が投影されている。宇宙を表現する星空は観客席の上にまで及ぶ。

ね、読むだけでも凄そぉぉぉぉって感じるでしょ。

ところが、あれあれあれ!なんなのこの手応えのなさは?さっぱり宇宙船が浮かび上がって来ない。命がけの宇宙大学最終テストの緊迫感が迫って来ない。生き残りを賭けた宇宙のエリートたちの息吹が伝わって来ない。

原作は萩尾望都のマンガだ。読んだことはないが名作との評判は耳にしている。その舞台化だったわけだが、一言で言えば残念!ってことだろう。見ていてやりきれないもやもやの発生原因はなんだったろうか。

まず第一は舞台装置やシーン設定で宇宙船の内部を表現仕切れなかったことだろう。さらに、乗り組みの11人のキャラが一部を除き際だたなかったこと。さらには、最終試験の困難な課題って奴がピンと来なかったこと。さらに、11人の衣装!いいのか、こんなんで?ここまでは脚本と演出の問題だ。

次に役者の技量にも大きな限界を感じた。若い男ばかり20名近くで演じている(この劇団、男だけ!がポリシーだった、今頃気付くな!)っていうのに笑いがおよそお寒い笑いの単発銃の銃弾はしけったままって、信じられない。高校生の舞台だってもっと笑いが取れるぞ!ってつっこみたくなった。性がまだ確定していないって役を演じた青年はとってもきれいで、だみ声とのアンバランスがとってもよかったけど、それ以外はねぇ・・・・。面白く成るはずの役さえ、わざわざつまらなく演じてんじゃないかって感じたほどだった。これは役者の責任。

こういう作品で、こういうメンバーで、若い女性中心の観客相手にやるなら、もっともっと楽しく面白く、サービス精神旺盛でやってほしいな。例えば歌やダンスだよ。一部ラップときわめて簡単なヒップポップダンスも披露していたけど、これだけ若い連中でやってんだから、もっともっともっとダンスは力入れてほしいよね。なんだか、役者たちが鈍くさく見えてしまった。これは劇団首脳陣の問題だ。

と言うわけで、途中まだ終わんないのか?って時間を気にしてしまう舞台だった。わずか2時間弱の芝居だって言うのにね、ああ、もうこのもやもやはなんなんだ!!若い女性たちを満席で集めてこのつまらなさってどういうこと?世の中ぜったい理不尽だよ。

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悲しい時代:『コラボレーション』

2011-03-01 18:42:37 | 劇評

昼の部は紀伊国屋ホールで加藤健一事務所『コラボレーション』だ。その前に脚本を4冊買った。五反田団の前田司郎『生きているものはいないのか』、チェルフィッシュの岡田利規『エンジョイ・アワー・フリータイム』、中島かずきの『ジャンヌ・ダルク』、それと如月小春の『精選戯曲集』。置農の定期公演の台本探しのつもりだったけど、果たしてどうだろう。前田と岡田とかは菜の花座でやれるかな?まっ、出来ないとしても今注目の人たちだからね。読んでおきたい。

さて、『コラボレーション』だ。うむ?昨日と同じ書き出し?いかんぞ、ワンパターン!

『コラボレーション』を見た。リヒャルト・シュトラウスとシュテファン・ツバイクとのお話だった。知らなかった。全然中身とかチェックしないで見に行くってこのいい加減さ!許してください。舞台は真剣に見ましたからね。

まず舞台装置に感心した。9尺×3間、高さ一尺の長方形の移動ステージ2面が下手奥から客席に向かって斜めに突き出す形で設置されていて、それを交互に出し入れしてシュトラウス邸とツバイク邸になっていた。短時間の暗転の中で、何度もシーンを変化させることができて、スムーズな転換に効果的だった。ただ、二つの舞台の調度が似通っていたのが残念だったかな。装置に関して言えば、最後ツバイク夫妻の自殺のシーンで大げさに照明音響が騒いだ割に、ただ暗幕が辺りを中途半端に覆っただけだったのは、かなり物足りなかった。自死した2人がその幕をたくし上げて奥に消えるという演出は、シーンの重さを打ち消してしまった。

舞台は重厚な対話劇だ。ナチスがヨーロッパを席巻する中、ドイツ音楽界の重鎮シュトラウスとユダヤ人作家ツバイクとの友情とその亀裂が丁寧に描かれていた。晩年を迎えツバイクの台本に触発されることでオペラ作曲を続けるシュトラウスはナチス文化省の警告を無視してツバイクとの共同製作を貫徹しようとする。しかし、シュトラウスの息子の嫁はユダヤ人。当然孫たちもユダヤの血を引く。嫁や孫の安全を人質にとられナチスへの協力を余儀なくされていく。一方、ツバイクは創作の場を奪われるどころか、生命の危険を感じイギリスさらにはブラジルへと追われるように亡命していき、ついには自殺する。

一番の見せ場は、なんとか2人のオペラ作品の上演を実現しようとするシュトラウスに対して、名目はシュトラウスの身の上を案じて、心底にはユダヤの同胞への忠誠から上演やその先の共同制作を断り続けるツバイクのせめぎ合いだろう。あくまで芸術の不可侵性を信じるシュトラウスに対して、現実の重みを主張するツバイク。どちらにものっぴきならない緊張の糸が張りつめる。互いに敬愛し尊敬し合う2人がついには声を荒げてしまうまでに引き裂かれる当時の現実、それは本当に悲しい時代の実相なのだ。どちらの切実さにも強く心打たれた。

芝居は2人の苦悩をクライマックスとして描かれていて、ともかく作曲を続けることでしか正気を保つことのできないシュトラウスとヨーロッパ文化というの創作の基盤を根こそぎされるツバイクの苦悩が中心的なテーマなのだが、この後日談となる終幕場面どうも訴える力が足りなかった気がする。ツバイクの自殺も唐突な描かれ方だし、戦後ナチズム協力に関して査問に引きだれた時のシュトラウスの弁明も自己弁護の様子が強く感じられて果たしてあれでいいのか?との疑問を感じさせた。ナチスへの協力という局面をどう見つめるか、その部分が不徹底だった気がした。ツバイクが自殺に追い込まれる過程も同様だ。なまじ当人の弁明のシーンなど準備せずに、事実のみを字幕で伝えるといった手法の方が、観客に伝わるものは大きかったのではないだろうか。これはまあ、脚本の問題なわけだけど。

だからと言って、あの悲しい時代を精一杯誠実に生きようとした2人の苦悩と真実は今時の僕たちごときにとやかく言えるものて゛ないのは事実なのだけれども。

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