石丸、玉木、斎藤の圧勝劇、共通するものがあるってのは、だれも認めるところだよな。
SNSを徹底的に使いこなしたこと、大方の認識。
それ以外に何がある?
まずは外観から。
適度のイケメン、それもやや華奢な容姿、マッチョではない。
これ大切なポイントかもしれない。支えて上げたい、押し上げてあげたい、この感覚、もしかして、これって推しの感覚なのか?特に斎藤元彦の場合、この傾向は大きかったんじゃないの、おばさま族に。
少なくとも、引っ張られたい、ついて行きたいというカリスマ性とは違うんじゃないか。
経歴、履歴についても共通項はあって、東大卒とか、官僚経験とか、留学とか、安心できる良品パッケージに包まれているってことね。要するにエリート。アメリカその他のポピュリズムとそこが違う、てのは今日の朝日新聞耕論で指摘されていた。うーん、何故なのか?が気になるが、
つまり、中身は問わない、まずは外見と品質保証ってことだ。
ネット販売のスイーツとかと一緒、見栄えの良さと〇〇賞受賞、これがクリック・ポチを後押しする。
年齢は大きい。
若者ではない、が、若者の兄貴的年齢、これとっても大切で、三人の人気の裏側には、年寄りずるい!意識が潜んでいる。そう、世代間対立を煽って成功しているってこと。
これが若年層の支持が高い最大の理由だな。
ポーズや立ち姿はどうだ?
反権威、反既得権益の立場に立つ、うん、かっこいい!喝采送る側は今の体制に蹴散らされて恨みを抱えているからね。
ただし、そのアンチ意識は、本当の支配層、自民党や財界、裕福な支援者には向かわない。高齢者であったり、高齢者に多いリベラル層だったり、上から目線がウザいんだぜジジイ、って。叩きやすい相手だってこともある。
シチュエーションとしては、孤立せる反逆者。
理不尽な社会から追い詰められ、いじめられ苦闘する反逆者の立ち位置は必須だな。石丸と斎藤にとってはそれは旧態然たる、と彼らが見做した、議会や職員だったし、玉木は追い出し迫害した、と彼が見做した、立憲民主党なわけだ。
孤立無援の中で、節を通して凛と立つ者、いや、激しく抗う者、罵倒する者?これが受けるストーリーの定番だ。
ただし、やられっぱなしじゃ人気は取れない。プロレスでさんざん痛めつけられた正義のレスラーが猛然と反抗に立ち上がる、あの力強さが人々の心を惹きつける。
その手段は、生ぬるいもんじゃダメ、徹底的に相手を叩きのめす、強力な反撃力こそが、見る側に爽快感をもたらすのだ。多少の反則、ウソやフェイクや非論理などは武器の一つとして許容される。やれやれやっちまえ!
熱烈に応援する側にとっては、堂々と戦い、押しまくり、勝ちぬけて見えることが大切で、多少の脛の傷などどうってことない。裁判で負けようと不倫が暴露されようとパワハラだろうとおねだりだろうと、構うこっちゃねえ!勝て、勝てばいいんだぜ。
行け行け熱狂、盛り上がれ、舞い上がれ!俺たち主流、ざまぁ、見やがれ。
こんな選挙なら楽しいんだぜ、これが政治なら街頭にだって出かけるさ、選挙だって投票するぜ。
ビジョンがない?政策がはっきりしない?そんなもん関係ない。俺たちの代表らしけりゃいいの。103万円の壁押し上げたからって、大して収入増えるわけでもない、とか、新自由主義の弱者切り捨てがいつか手前に降りかかって来るかも、なんて考えない、考えない。
雰囲気、ムード、それらしさ、それが決め手なのさ。
なんたって、SNSの時代だからさ!
今やこのスタイルが政治の世界を席巻しつつある。
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