今回のカテゴリは、『「大学」のこと』になるかな。
国内大学並みの税免除。その必要ありやなしや。
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Google Newsで記事を検索していたら、米国に本校がある「テンプル大学ジャパン」(東京都港区)が、日本の大学と同様の税制優遇措置を求め、日本政府への働きかけを強めているということだ。
学校側は米国の大学カリキュラムをそのまま持ち込んでいると主張し、国内制度とそぐわない点は、大学設置基準の緩和や新制度創設を訴えている。
文部科学省は「専修学校として認可を受けるのが現実的」とする。
専修学校の認可権限を持つ東京都は難色を示している。
→三者の議論は平行線をたどったままだそうだ。
テンプル大は米ペンシルベニア州立総合大学。
1982年に日本校が設立。大学や大学院など国内の学生数は合わせて約2600人。6割弱を日本人が占める。(日本校に日本人以外が4割在籍しているんだね)
大学自体は有名な大学だと思う。
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バブル景気の1980年代、外国大学日本校の設立ブームが起きた。一時は40~50校あった。当時日本の大学はまだ今ほど入りやすくなかった。学生数も多かったし、それに加えて、大学の入学定員も少なかった。
当時からいわれていたことだが、外国大学日本校は国内の教育制度上の位置づけもはっきりしていなかった。これらは学校教育法の第1条に規定されている、「大学」ではないし、その他個別法による大学校でもない。また、認可を受けなければ専修学校でもない。一般的な教育機関とすると、各種学校や私塾と同じである。
2004年末、文部科学省は国内大学との単位互換などを可能にする、「外国大学日本校指定制度」を新設した。だが、制度には大学などの学校法人に認められる優遇税制措置は含まれていなかった。このためテンプル大学ジャパン、在日米国商工会議所(ACCJ)とともに、内閣府に事務局がある市場開放問題苦情処理体制(OTO)に「外国大学日本校法人制度」設置などを求めている。同校のカーク・パタソン学長は「米国の本校と同じ基準で運営しているところに独自性がある。学生にさまざまな選択肢を与えるべき」と訴える。
この訴えは、大学としてもうちょっと別の認知がほしいと言うよりは、税制面で日本の法律に基づいて存在する大学と同じに扱ってくれという主張のようだ。これに対して、行政側は次のように反応している。
文科省:
「食品の安全基準と同じように、大学の設置基準にもその国ごとの考え方があり、米国で認めたからといって、そのまま認めるということはできない」
「専修学校として認可を受けるのが一番現実的」
東京都:
「校地・校舎の自己所有」「負債額は学校法人資産の30%以内」
「専修学校と大学は違う」と「大学」の名称を使うことにも違和感。
簡単な日本語にすると、「無理じゃん」ということのようだ。
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この対応について考えてみた。
今年の1学期に放送大学大学院で勉強したのは、「人間情報科学とeラーニング」だった。この中に大学の有り様(教育内容の質の認証,確認)についての述べた章があった。やや長くなるが思い出して書いてみる。
情報通信ネットワークが発達する前。アメリカでは大学の教育課程や学位など、個別大学の教育の質を認証するのは国の仕事ではなく認証団体の仕事だったそうだ。(「そうだ」といってしまうと今は違うみたいだが、今もそうである。)
この団体は全米で六つあり、それぞれの地域にある大学について認証業務を行っている。しかし情報通信ネットワークが充実(ブロードバンド環境)し、大学に行かなくても学ぶことが現実に可能になった。元々広大な国土を持つアメリカには、通信等を利用した教育システムをはぐくんだ伝統がある。これらを基礎にその最終形(とは違うかな)とでもいうべきものが、インターネットを使った、いわゆる、e-learningやdistant learningである。
これらの教育システムの大学(営利大学等)が、どんな形(方式)であれ、アメリカ国内に住む人に教育をし(知識を販売し)、その教育内容が通学生・集合型教育の大学における教育内容と同等と認められるのならば、学位を授与する分には別に問題ない。それは国内問題なのである。
でも、たとえば僕がアメリカの大学のe-learningコースを受講して、何かしらの単位や学位をもらったとしたら、それはどこで有効なのか。法的にも、社会通念上も。。。 それはアメリカで有効なのである。日本で有効である保証はない。認めるか否かは、認める方の勝手なのである。実際に留学して学んだとしても、e-learningでも実態としては、よその国の大学制度で学んだことには変わりないのである。もちろんA氏はハーバードでMBAをとりましたといえば、そりゃすごいですねえということにもなるし、実態としてそれでかまわないとも思うのだが、100%保証にはならないのである。
外国大学の日本(分)校はにおける教育は、知識を情報通信網で販売するか、出先に支店を作って販売するかの違いこそあれ、この状況とにたところがある。これらは日本の大学と100%社会システムのなかで互換性・動作保証・相互認証済みという訳ではないのだと思う。大学だけではないが、教育システムは、それができた国の社会システムで認められることが前提である。だから、文科省の言うように、「大学の設置基準にもその国ごとの考え方があり、米国で認めたからといって、そのまま認めるということはできない」というのは、意地悪でも何でもない、正しいことなのだと思う。
日米両国の教育行政は、それぞれの国の教育行政を司ることはできるが、自分の基準が相手の国の基準に常になるかどうかは、別問題である。そうともいえるし、違うともいえる。
東京都の反応を見る限り、専修学校としての認可は無理そうである。当然「大学」という用語を使うことも無理そうである。ただ、これを「ユニバーシティー」にしても偽物っぽいので、テンプル大学日本校はいやがるだろう。そうなると、国が税法上の特例扱いを作るか、「外国大学日本校法人制度」設置を個別法か学校教育法に基づき、大学設置基準か何かを書き換えて作るかの問題になる。前者なら実を、後者なら名と実を取ることになるが、さて、どうなるか。注目すべきかも知れない。