今年の全英連東京大会のウェブサイトが徐々にデザインを手直ししている。情報もちょっとずつ更新されている。
数日前に見たら、今年の大会のGuest LecturerのDr. Richard Cauldwellによる講演概要が掲出されていた。
こういう概要・レジメ等は、英語で読むと何が言いたいかわかるんだけど、それを日本語にするのがすごく難しい。意地の悪いいい方をすれば、それでは、わかったことにならないのかもしれない。母語で理解し、それを母語に正確に表せないのでは、何となくわかるとしか言えないのかもしれない。
以前、夏休みの研修としてMLKのLet Freedom Ringを日本語にしてみたことがあった。内容をまとめることはそれほど難しくはないが、実際の演説原稿に似せて日本語で書き直すのは非常に難しかった記憶がある。今回、ちょっと難しいけど、講演概要を日本語にしてみた。
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発音(pronunciation)と聞くこと(listening)は、異なるタイプの別個の技術(スキル)としばしば見なされます。発音は書くこと(writing)とともに、「productive skill(生産的技術)」と、および、聞くことは読むこと(reading)とともに「受信する技術(receptive skill)」としてペア(組み合わせ)になります。
しかし、私は、適切な組み合わせは、発音と聞くことの組み合わせであるべきだと信じます。私はこの組み合わせにフォーカスを当てることにします。これらはコインの両面なのです。発話(speech)という名前のコインの。
英語を教える時、私たちは、どれくらい緊密にこの二つの面が関連づけられているか、認識する必要があります。これが、発音と聞くことが別個のスキルではなく一つのスキル(発話をコントロールする力)なのであると考えることに役立つと信じます。
私たちは発話を口と耳両方を使って統御(handle)しなければなりません。私たちの口は自然で、わかりやすく、おもしろいスピーチをしなければなりません。私たちの耳は、様々な速度とアクセントのスピーチを知覚し理解しなければなりません。
スピーチの扱いに関して、私たちが学生に与える情報は、首尾一貫していなければなりません。そこにおいて、聞くことと発音に、等しく役立つべきです。しかしながら、私たちの発音学習(学習・work)は、しばしば私たちの聞く学習と矛盾します。
私たちが注意深く正確な発音を(生徒に)教えるほど、私たちは、(生徒が)聞き手として対処しなければならない発話について、より不正確な情報を(生徒に)与えることになります。これは、発話が単語の音の形(the soundshapes)を過激に(激しく)変更することによります。それは私たちが発音学習で練習する安定した音の形とはとても異なるのですが。私たちが発音練習で練習する音の形はまれなのです。この結果、私たちは、学生がいい聞き手であることを不可能にするのです。
この研究会における私の仕事は、発音を寄り自然に、聞くことをより簡単にする、発音と聞くことを組み合わせる手段をお見せすることです。そしてスピーチをすることを教えることを、より首尾一貫としたものにする方法をお見せすることです。
私は音の形が、私たちが発音練習の中で使用する辞書形式に似ていない(違っている)という事実を実証します。それらは多くの場合、短く、素早く、そして個別の単語の前後の言葉と混ざっています。また、一文が様々な方法で話される(発音される)こともお見せします。自然な発話というものは、流動的で柔軟でstreamlikeです。
私は、教科書に取り上げられている材料から発音練習を構築する際に、どのようにこのstreamlikeな柔軟性を活用できるのかお見せします。これらの活動は、聞くことと発音の技能を同等に促進(上手に)するでしょう。
私は「5つのpart pattern」をお見せします。それは、教科書から一文を取り、その文を、(a)発話(発音)を自然に興味深くする。(b)聞き手に訓練(の方法)を提示する。例文とするものです。この「5つのpart pattern」はどんな教科書でも、様々な場面で使用することができるものです。私は、中学校と高等学校の教科書から得られた材料を使用して、このパターンをお見せします。
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日本語もう少し直さないといけないな。オリジナルはこちらです。
東京大会まであと100日あまり。。。