5月12日に読売新聞(のWebsite)他で取り上げられていたことだ。しばらくいろいろ資料を読んで考えていた。
記事タイトル:「大学授業の丸投げ禁止、来春から設置基準を厳格化…文科省」
文科省は11日、規制緩和に伴って大幅に緩やかになっていた法令「大学設置基準」を一部改正する方針を固めた。大学の自主性に委ねられている授業形態について、基本的なルールを明文化する。
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大学設置基準は1991年以降の改正で、細かい規制が減らされ、最低限の条件が記されるだけになった。その結果、株式会社の大学設立や、英語の授業を英会話学校に委託するような「授業の外注化」も可能になったと記事には書いてあった。株式会社立の大学設置は、これだけではないと思うけど、まあ、それはここでは言わないことにしよう。
僕は「授業の外注化」自体を絶対ダメとは考えていない。大学全入時代になり、もはややむを得ないのはわかりきったことだと思うからだ。
いわゆる大学全入時代である。自分は英語の教師なので英語のことを考えてみよう。ここ数年、大学の勉強の基礎レベルまで、英語の場合なら「大学生として必要な学力」が心許ないものも大学生になりはじめている。大学の先生方・システム・常識・経験が通用しないレベルの生徒も大学生になる時代、それに対応できなければ、対応できるところの力を借りるしかないだろう。ある程度英語が得意、出来る、好きな学生集団を相手にするならばともかく、そうではない場合、きびしいと思うからだ。こんなのは、大学の先生には難しい(やりたくない・できない)ことかもしれない。モチベーションの低い(大学に受かってしまった)学生への対応は難しいと思う。それでも入学させた以上何とかしなくちゃいけない。大学生なんだからといって、自学自習を当然のように求められる大学がいったいいくつあるか、ちょっと考えればわかることなのだ。
…もっともこれは高大の連携を図る教育方法改善の問題かもしれないけど。
今回、文科省が方針を変更したのは、LEC大学のようなこと(資格取得予備校と大学が混然一体となった授業)をきちんと規制、指導が出来なかったからだ。「大学なんだから当然…」が、通用しない大学が存在する以上、文科省も授業形態の多様化といっても、限度があると考えるようになったのだろう。記事にも大学設置基準には授業形態に関する明確なルールが定められていないとあったが、新しい形の大学・社会情勢に法整備が追いつかなかったのだ。ただ、規制緩和を自分の都合のいいように解釈してしまった大学があるのだから、ルールをどう決めてもダメなのかもしれない。それでも、何もしないわけにはいかないので、設置基準をきびしくすることになっちゃった。これを、規制緩和への逆行とはいえないかな。ある程度の引き締めもやむなしなのかもしれない。
記事に、今回の改正のポイントが書かれていた。
〈1〉授業科目の開設は(大学が)自ら行う。
当たり前だろう。外注がいつの間にかノータッチ丸投げになっていたのなら、普通に考えてもダメである。
〈2〉大学が専用の施設を有する。
英語だけどこかの語学学校に派遣しちゃダメですよということだ。
これくらい決めても、問題ないだろう。
しかし、このことが大学の教育課程(授業・講義運営)を以前のように縛ってしまったり、ようやく問題視され始め、様々な解決策が模索されている高大連携に冷や水をぶっかけるようなことになったら、まずいだろう。きっかけを作ったLEC大学の責任も重い。