NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の放映が始まり半年が経ちますが、聞こえてくるのは視聴率の低さ・・・故の雑音です。
当初キャスティングを見て、これなら若い人たちも取り込んで高視聴率だと確信していたので、この不評をちょっと残念な思いで見ています。
文春文庫の全4巻の「世に棲む日日」は前半が吉田松陰を中心に、後半が高杉晋作を中心に書かれています。
司馬さん自身は松陰をあまり好きでなかったようですが、晋作を書くのに避けては通れないというところもあり、前半びっしりと松陰になっています。
私の松陰のイメージは、教科書に載った肖像画と「松下村塾」の数行の知識しかなくピンとくる人物ではありませんでした。
この本を読んでいくうちにその考え方が少しずつわかり、ドラマの楽観的で明るい「伊勢谷松陰」でイメージが一変し、「狂いなさい」のセリフが心に残りました。
主人公の「文」は、本では「杉家」の家族構成の一員としてわずかに出てくるくらいですが、この女性を主人公にしてストーリーを広げていったところが脚本家のすごいところだと思います。
2巻めで、司馬さんが松陰の革命についての考え方を3つに分けているのが、このドラマをざっと理解するのに役立ちます。
①革命の初動期は世の中から追い詰められて非業の死を遂げる、例えば松陰。
②中期には卓抜な行動家が現れ奇策縦横の行動で彼らもまた多くは死ぬ、高杉晋作や坂本竜馬。
③次にそれらの果実を採って先駆者の理想を容赦なく捨て、処理可能な形で革命の世をつくり大いに栄達する「処理家」、伊藤博文など。
『松陰の松下村塾は世界史的な例から見てもきわめてまれなことに、その三種類の人間を備えることが出来た』と書かれていますが、長州藩の特異さもあったと思います。
藩主毛利敬親は何にでも「そうせい」という台詞をはき、ともすれば「そうせい侯」と揶揄的に言われますが、この時代にトップの坐にある人が、他人の意見を聞くという姿勢に敬親の力量を見る思いです。
松陰が長州の人たちを作り上げたのでなく、松陰の考え方が育成される土壌がすでに長州藩そのものに存在していて、新しい考え方をしようとする若者を吸引していったように思います。
ドラマも後半に向かっています。②から③へ。文が鹿鳴館の衣裳を身につけているチラシの写真を見ましたが、それが③の部分でしょうか。
視聴率を上げるべく「大奥」のきらびやかな場面が設定されているとのこと・・・。視聴率を気にしない番組もあっていいと思うのですが。