新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

『9000マイルの約束』 (ドイツ映画)

2015年07月09日 | 映画

市民にも開放されている福大ドイツ語学科の映画鑑賞会も今回が前期の最後の日です。前回に紹介されていたので心待ちにしていた映画でした。

実話に基づいたベストセラーの小説を完全映画化したもので、2001年制作、158分間。原作はヨゼフ・マーティン・バウアー。数々の映画賞を受けています。

  

第二次大戦後の1945年、ドイツ人中尉クレメンス・フォレルは戦犯としてシベリアに送られることになりました。
酷寒のシベリアを鉄道と徒歩で1年かけて東北へ。気の遠くなるような大陸の最果てはデジネフ岬でした。3000人いた捕虜も1200人余りに減り、環境に耐えられない捕虜は自然淘汰されることは計算済みの護送でした。

待っていたのは、残酷で劣悪な収容所生活と鉛の鉱山での命がけの強制労働。
しかしフォレルは出発時に誓った娘との約束「必ず帰る」を心の支えにこの人間性のかけらもないラーゲリに立ち向かって働きます。

2年経った頃、脱走を試みるも失敗に終わりカメリアフ中尉からの過酷な罰を受けますが、止むことない家族への熱い思いが再び危険な脱走を計画させます。それを知った診療所のドイツ人医師が自身のために用意した脱走計画をフォレルに託しました。逃亡の為の装備と生きるためのアドバイスも・・・。医師はこの時がんに侵されていたのです。

たった一人広大な雪原に放り出されたフォレルは、方位磁針と歩いた歩数で大まかな位置を計算しながらとにかく西へ向かって歩き、歩き、歩き続けました。寒さと、孤独と、飢えと、危険と戦いながら、不安におびえながら・・・。
途中で二人組の盗賊に出会って一緒に旅をしたり挙句の果ては殺されかけたり、オオカミに襲われたり・・・。そんな時に少数民族のシャーマンに助けられ温かい看護を受け、匿われながら回復に向かいました。

1951年夏にはやっと緑のモンゴル国境へ、52年夏にはボロボロになりながらもコーカサスへ到着。ここで偶然にもユダヤ人の地下組織の力添えで偽のパスポートを作成してもらい、どうにかソ連から脱出しペルシャ国境に到着しました。

成功に見えた大逃亡も、執拗に追いかけてきた収容所のカメリアフ中尉が先回りして策略をめぐらしていたので、ソ連のスパイ容疑が掛けられて逮捕されてしまいました。

本当の自分を証明できなかったら死刑が待っています。3年にも及ぶ逃避行が水泡に帰してしまいます。最後の頼みはアンカラ滞在の叔父に身分を証明してもらう事だけでした。

もう15年も会っていない叔父はフォレル本人を確認できないでいます。そこで持ち出された古いアルバムで子供の頃の記憶をたどった二人は、叔父と甥であることを確認し喜び抱き合いました。後は家族の待つドイツへ。

こうしてクリスマスの宵に教会で、娘と、妻と、信じられない再会を果たすことができました。おそよ人間のでき得る能力を超えた逃亡劇は、シベリアの雪とは対照的に優しく舞う雪の夜、美しい家族への愛で締めくくられました。

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映画の最後はハッピーエンドとはいえかなり重苦しい空気でした。日本人のシベリア抑留のことが重なって胸が痛みます。
旅でシベリアの上空を飛ぶ時、眼下の広大な雪の大地の美しさへの感動とは別に、何か落ち着かない物悲しさが胸をよぎるのは、あの冷たい無表情な大地が飲みこんだ数えきれない苦しみや悲話があるからでしょうか。

この日は前期講座の最後という事もあって、先生・学生・市民参加の打ち上げという事になりました。地下鉄で10分ほど行ったところに、ドイツ料理のお店「シュタット マインツ」がオープンしたということで。
 
   

久しぶりに学生気分に戻り若返りました。これから生きて行く若い人は輝いていてまぶしく感じられます。大学の近くに住んでいるというだけで、こんなチャンスに恵まれて感謝しています。 
このきめ細かな泡の出る注ぎ方もオーナー自身から教授されました。キンキンに冷えたグラスのビールはやはりおいしかったです。

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