<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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娘との約束を果たすため、大阪の旧サントリーミュージアム天保山で開催されている「ツタンカーメン展」を訪れてきた。
大変混雑することがわかっているGWにも関わらず、勇気を振り絞って訪れてきたのだ。

尤も、混雑への対策は予め講じてから訪れるのことにした。
以前、ルノアール展に行って、京都市美術館で3時間も並んだことがあるので、十分な対策を考える必要があった。
まず、チケットは会場で買わないことにした。
会場のチケット売り場で買い求めると、チケットを買うために並び、入館するために再び並ばなければならないからだ。
私は天保山に向かう途中、セブンイレブンでチケットを購入した。

ちなみに大阪市内の金券ショップではディスカウントチケットは見当たらなかった。

次に、訪れるのは早朝ということにした。
開場1時間前に行けば、さすがに空いているだろう。
iPhoneの新型を買うためにアップルストアに一週間前から並ぶ変な人々は天保山にはいないはずだ。
ということで、開場9:00の1時間前、8:00に開場へ行くことにした。

しかーし、これだけの準備をしたのにも関わらず、娘を伴い8時に現地へ到着すると、

「わ~~~、すごい人や~~~。USJみたいや~~」

と娘が感嘆するくらい既に入り口には長蛇の列ができていた。

「1時間前に到着してよかった。阪神高速道路の料金けちって下道で来たらアウトやった」

と、値上がりしたばかりの900円の高速道路料金をケチらなかった判断をした私は、自分自身で褒め称えたのであった。

結局、繰り上げ開場となった8:30にもなると、すでに列は敷地の外に向かって延びており、ツタンカーメン展の人気の度合いがよくわかったのであった。
しかし、8:30分開場ではあったが、私たちが入場したのはそれから30分後。
入場した時はすでに疲労困憊していた。

ところで、ツタンカーメン王の王墓からの出土品が日本で展示されるのは実に40年ぶりなのだという。
40年前は朝日新聞社が主催して各地で開催したようだが、その展示会を見ている人というのは大阪万博を覚えているような世代で、もはや殆どが初めて見るという人たちなのであった。
もちろん私も初めての鑑賞。
大阪万博は都合5回は親に引っ張り回され迷子バッチを胸につけて歩きまわったのを覚えているが、こんな古代の出土品に当時は関心などなく、私はエジプト文明のような考古の世界ではなく、人類の進歩と調和を信じる未来を見つめる小学生なのであった。

先日、とある交流会に出席した時、話題提供者がこの展示会を監修している元早稲田大学古代エジプト調査室の廣田吉三郎先生であった。
先生のお話によると、今回の展示会はおそらく日本での開催は最後になるだろうとのことだった。
というのも、ツタンカーメンの出土品が長年のドサ回り、もとい、世界中での展示に供されてきたために痛みが激しくなりエジプト政府も、今後の海外持ち出しは保存のために考えていないということなのだ。
少なくともあと50年は日本に来ることはないという。
50年後いうと、たぶん私はツタンカーメン王の出土品を見る方ではなく、ツタンカーメン王と一緒に一杯やっているかもわからない立場になっている確率が非常に高い。
ということは、今生では今回が日本で見る最後のチャンス。
しかも大阪というところで見ることのできる絶好の機会なのであった。
次の会場、東京上野での展示が終了したら全ての出土品はエジプトに帰る。
そして何の因果か、日本がODAで建設している新博物館の最新式の日本製収蔵庫に永年保管されることになっているのだ。

以上、余談。

ということで、すでにヘトヘトモードで美術館に入ると、まず真っ暗なシアターに40人ぐらいのグループで導かれ、説明映像を見させられるのだ。
これはUSJのアトラクションに酷似しており、入場料が大人2800円であることを考えると主催者はどれほど儲けとるんじゃい、と感心することしきりなのであった。

で、会場は予想通り、満員なのであった。

「展示のケースは触れると警報がなるかも知れません」

というベンツのような陳列ケースもまた見づらい要素となり、全約50点の展示品をゆっくり見るのは容易ではなかった。
しかも数メートルおきに、黄色いTシャツを着たスタッフが、

「立ち止まらないで次の方に譲ってください」
とか、
「順番はありません。空いているところから御覧ください」
とか、
「リュックは手に持ってください」
とか宣うので煩わしくてしかたがない。
このスタッフの人数が半分にでもなれば、会場も少しは広くなるものを、と思ってしまうくらいの混雑なのであった。

それにしても、ひとつひとつが3000年以上も前の物とは思えないほど、素晴らしい保存状態と細工だった。
当時の職工の技術は現在のそれとあまり変わらないのかもしれないと思った。
少なくとも、磁器類は最近通い始めたばかりの陶芸教室で作る私の作品よりは、はるかに素晴らしい品ばかりだった。

「あ。不機嫌な時のお母さんに似ている」

と娘が指さしたのは牛の頭部をデフォルメした像。
お母さんはGWでありながら仕事に出かけていたので発言でトラブルになることはなく、事無きを得たが、思わず私が同意したことは内緒にしなければならない。

見られるのではと期待していたミイラは展示されていなかったので見ることができなかったが、黄金のカノポスやツタンカーメンの像、チェストなど素晴らしい出土品には大いに感動させられたのであった。

会場を出ると、入場者の列は短くなっていた。
「何故なんだ?」
と思ってアナウンスに耳を傾けると、
「整理券をお配りしております。次の入場は○○時です。」
展覧会は2時間待ちになっており、チケットと引き換えに順番の整理券が配られているのであった。
まるでテーマパークのようなシステムになっているんだ、と益々感心した。

その感心モードでミュージアムショップに立ち寄ると、様々な記念のスーベニアと一緒に、「ツタンカーメン麺」なるラーメンが....。
USJの「スパイダー麺」を思い出したのは言うまでもない。



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