<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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私の住んでいるところでは、古紙回収を町内会で行なっている。
その販売益を子ども会の運営費の補助に充てるためだ。
それがどれほどの金額になるのか知らないが、制度として無くならないところを見ると、古紙集めという労働に対するだけの価値があるのかもしれない。

この古紙。
我が家では1ヶ月の間にだいたい3束の量がたまっていく。
新聞を四つ折りにし、それを高さ30cmほどに積み上げたサイズが1束なので、3束というと結構な量だ。
我が家だけがそんなに多いのかと思って近所の古紙量を観察すると、うちより多いところもある。
毎月毎月これだけの量の紙を処分していると考えると、全市的、全府的、全国的にいったいどのくらいの紙が消費されているのか気になってくるのだ。

紙というのは記録するためのメディアというよりも、もしかすると作っては捨てて、作っては捨ててという、単なる消耗品という存在であることのほうが多いのかもしれない。

我家では購読紙は日経。
私は「日経はネット版で十分」というのだが、なぜかカミさんが「ネット版より紙の日経」とこだわりを持つ。
そもそも私は日経よりも産経のほうが好みなので、ビジネスウーマンでもないカミさんが日経にこだわるのは、なんだか少しばかり変のように思う。
もっとも、経済面ではなくて文化欄が魅力だからだそうで、それだけなら図書館でそのページだけを読めば、まずは我が家の古紙処理の手間と新聞代金を省力化することができるのに、と思うことが少なくない。

日経は一部の夕刊を除き、結構ページ数がある。
その大部分は私のあまり興味のない株価や物価指数である。
そういうページを見ていると、時として面白いのだが、どちらかというと競馬の予想新聞と同種のつまらなさを感じるのだ。
それに、こういうものこそネットで見れば良いわけで、でかい紙面をぶわわわ~~んと広げて見るのは、いささか「お金いのち」みたいで品格にもかけるような気がする。
日曜日に競馬新聞を広げて電車に乗っているオッサンらと何ら変わらない気もするのだ。

さらに宅配の新聞というのは、折込広告が大量に挟まれている。
土曜版、日曜版は特に多く、その処理で古紙回収袋はどんどん膨らんでいく。

折込広告はだいたい内容が決まっていて、マンション、建売などの不動産関係、パチンコ屋関係、スーパーの特売、家電量販店のセール、自動車ディーラー、求人広告がほとんどだ。
不動産は関係ないし、パチンコは生涯で3度しかやったことがないほど興味がなく、スーパーマーケットは行くところがだいたい決まっているので見ることはない。
家電の価格チェックも折込じゃなくて価格ドットコムでチェックするから折込不要。
さらに頻繁に自動車を買うほど生活に余裕はなく、古い車に乗り続けても日本車なので故障もせずに走り続ける。
自動車買うなら旅行するのが我が家の方針だ。
かといって旅行会社の折込が入っても見ることはない。
ツアーで出かけることは国内外でもまず無いし、旅行者のツアーよりも面白いツアーを企画する自信があるので見ることはないのだ。

だから折込広告は、読まずにそのまま回収袋行きになる。

で、どうせ捨てるのならトイレットペーパーに印刷してはどうなのかと思ったりするのだ。

トイレットペーパーは使ったらすぐに捨てられる運命にあり、それに記事を印刷したら一石二鳥。
紙資源も報われるというもの。
それに日頃の鬱憤を晴らすのにちょうどいいかも。

「今日はこの記事でお尻拭こう」
と嫌で嫌いな政治家の顔写真を取り出して、トイレに流す。
しかも、トイレに新聞持って入っては長く占領するオトウサンにもメリットが有り、トイレットペーパーの記事を読むだけなので、
「新聞、汚~い」
といわれることも無くなり、清潔でもある。

ということで、新聞雑誌(とりわけ朝日新聞や琉球タイムズのような新聞社の記事は)トイレットペーパー印刷で良いと思う。

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