<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





大阪のランドマークと言えば、なんといっても通天閣。
高さはなんとたったの地上100メートル。
展望台の位置はさらにたったの地上約70メートル。
正直いって、そこら辺の高層ビルよりも圧倒的に低いタワーなのだ。
それでも子供の頃は、

「通天閣に上がりたい」

と動物園に行った帰りに母にお願いすると、

「高いところは危ないからアカン!」

と言われたくらい、高所恐怖症の母には危険に感じられるところなのであった。

ところが、通天閣へ上がると今でも展望台としての役割を果たしていることに驚きを感じることになる。
見晴らしがいいのだ。
通天閣は新世界地区の中核を成し、その周囲には通天閣より高い建物がない。
だから、結構遠くまで見渡すことができる。
西は南港大橋。
東は生駒山。
北は日本橋の電気街からなんば・梅田の高層ビル。
南はジャンジャン横丁から釜ヶ崎。ちょっとそのヨコを見ると通天閣の3倍の高さのあべのハルカスがずずず~んと建っている。
主要な大阪観光が一発で完了できるような場所なのである。
だからかどうか知らないが、休日は観光客がエレベータに列を成し、さながら大阪のスカイツリーという様相だ。
通天閣はスカイツリーと比べると高さはスカイツリーの第一展望台と第二展望台の差程度しか高さがない。

その通天閣が今年で100歳の誕生日を迎えた。
東京スカイツリーの百倍のご年齢なのであった。

尤も、現在の通天閣は2代目だから、建物は100歳ではないのだが、通天閣という名前は100年目を迎えるということになる。
初代通天閣はご存じの方も多いように戦争中に鉄骨材としてお国のために解体して差し出された悲しい歴史がある。
そんな悲しい歴史を乗り越えて昭和31年に建ったのが現在の通天閣。
2代目だが、それももうじき還暦を迎えるような建物なのだ。

この、通天閣とそのお膝元、新世界はお世辞にも綺麗な街とは言えなかった。
私が大学生だった頃の1980年代が最悪だったかもしれない。
釜ヶ崎という労働者の街が近くにあるために繁華街は日雇いの労務者が多く、昼間でも酒を飲み、くだを巻いている連中がそここにいた。
畢竟、若者はなかなか寄り付かず、天王寺動物園や市立美術館への玄関口であるにも関わらず「小汚い街」という印象が離れなかった。

そんな通天閣と神世界に異変が起きている。
アートな街として少しづつ変貌しているのだ。

先々週に新世界界隈で実施された「ツムテンカク」なるイベントは、数多くの若手アーティスが新世界地区を舞台に様々なパフォーマンスを実施するという、大規模なものであった。
たまたま実行委員の一人が交流会での知り合いであったので出かけてみたが、普段は寂れた商店街やちょっといかがわし気なレトロなエリアも若者を中心としたアーティストのパフォーマンスですっかり華やぎ、30年ほど前のグレーな雰囲気はどこかへ消えてしまっていた。
通天閣こそイベントには参加していないかったが、通天閣が呼び込む多くの観光客やその周辺に点在する観光ガイドでお馴染みの「串カツ屋」などに列をなす人々がまたアートイベントを楽しんでいた。

100歳通天閣はくすんだ街に新しい色を付けるエネルギーを放っているのだった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )