大阪駅は現在でも在来線の駅の中では全国最大級で毎日45万人の人々が利用している。
この駅は昔も大きく、私が小学生だった昭和40年代の小学館の図鑑には、
「大阪駅のプラットホームは日本で一番長い」
と書かれていた。
「お、東京駅よりも長いんや」
と、しょーもないことに感動していたことを記憶している。
この長いプラットホームだからこそ同じプラットホームの前と後ろでは行き先の違う電車が発着していたようだ。
現在は大阪駅に出入りする電車の最長編成は多分新快速の12両編成。
首都圏のように15両も繋いでいる快速電車は走っていないが、やはり関西なのでそこそこの長さの電車が走っているのだ。
昔は8両だとか6両だったみたいで長い大阪駅のホームでは確かに2本の電車が1本のプラットホームに停車していたこともあったようだ。
で、私の最も古い記憶はこの長いホームに起因する事件なのだ。
その日、母は幼い私の手を引っ張り父のふるさとである岡山へ向かうため急行鷲羽号に乗るため大阪駅を走っていた。
鷲羽号は岡山県の宇野まで走っている四国へ連絡する急行列車でうちのような一般大衆の帰省に使われた165系湘南色の電車であった。
この日、なぜ母が焦っていたのかわからないが、母は慌てて電車に飛び乗ったのであった。
宝塚行きに。
果たして同じホームから岡山を目指す電車と宝塚を目指す電車が出ているとは思わなかった。
このこと。
私はもしかすると完全に母の勘違いだったと今は思っている。
当時、宝塚線は電化されておらずディーゼルかディーゼル機関車が引っ張る客車タイプが走っていたはずだからだ。
で、その電車は宝塚方面に向かったので当然山陽本線の線路ではなく福知山線の線路を走って北進したのだった。
乗り間違えた母の慌てようは小さくなかったのだろう。
私は宝塚駅で下車をして、反対の大阪へ戻る電車を待っていた風景を今も覚えている。
大阪駅からの小さな旅が、私の最初の記憶なのだ。
なお、これを話すたびに母は、「くどい」と言う。
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