ablution 跡隠しの雪
第76話 霜雪act.1-side story「陽はまた昇る」
雪が舞う、初雪だ。
灰色の空から白く舞う、もう冬がいる。
いつもの街は未だ秋の気配、けれど今ここはコートの黒色ひるがえす。
仰いだ空に吐息も白い、小雪の風に髪なぶられ凍えて額に頬に冷たくかかる。
雪、風、白くなってゆく空、ただ凛と凍えてゆく感触が懐かしくて英二は独り笑った。
「寒いな、」
凛と頬吹く風は山からだろう、その冷感に雪嶺は遠く白い。
いま佇んだ墓碑も枯れた花に霜あわい、この花は誰が供えたのだろう?
誰かはわからない、けれどこの墓に参る誰かがいる、それがすこし不思議で微笑んだ。
「…殺人者もひとりじゃ生まれないよな、」
人間なら誰もが親から生まれてくる、だから犯罪者にも親族はいる。
それでも血縁あれば共に暮らすわけじゃない、けれど血縁を絶つことなど結局は出来ない。
そう今は知っている、だから今この墓に眠る男にも血縁者があるのだと納得するまま微笑んで気配に振り向いた。
ほら、やっぱり来てくれた。
「こんにちは、」
声すこし高めに微笑んだ先、墨染の袖が雪ひるがえす。
箒を携えた老人は白雪を踏んで来る、その皺深い瞳ゆっくり瞬き笑んだ。
「ああ、おまえさんか。ずいぶん久しぶりじゃなあ、10年は来ていないな?」
ほら、やっぱりここに来ていた。
また推定ひとつ当っている、それが嬉しいまま英二は綺麗に笑った。
「15年近くなります、その間も来てくれたようですね?」
きっと誰か来ている、この枯れた供花に秘密の鍵はある?
そんな期待を隠しこんだまま笑いかけた先、墨染の老人は涼やかな頭すこし傾げた。
「おお、あの記者さんのことかな?彼もよく来てくれとるよ、」
ほら、追いかけている人間「彼」が他にもいる。
―これで3人目だ、
警察学校で同じ教場だった安本、同期で大学時代を知る蒔田、そして3人目。
この3人目は本人と直接の関わりがあるのだろうか、無いだろうか?
どちらにしても報道関係者なら好都合だ。
「彼は毎年ずっと来てくれていますか?」
毎年か、去年と今年に久しぶりなのか、どちらだろう?
知りたくて問いかける声すこし高くして、そんなトーンに疑いなく老僧は微笑んだ。
「よう来られるもんじゃと感心しとるよ、こんな山奥まで雪の時節になあ、」
「彼も律儀な人ですからね、」
知っている、そんなトーン答えながら墓参者に考え廻りだす。
―鷲田の祖父と関わりないと良いな、あの男には関わってるとしても、
あの男、観碕征治。
その記者も観碕の操り人形かもしれない?
そんな推定は容易い、この墓の死者すら「罠」に使っても観碕らしい発想だろう。
―墓参する人間を見張っているのかな、それとも真相を知った追悼か、
もう一人ここに訪れる男は何を求めている?
その意志と痕跡を掴みたくて英二は嘘を笑った。
「実は彼の名刺を失くしてしまったんです、だから久しぶりに今日は来ました、ここで会えるかと思ったので。でもニアミスでした、」
名刺なんか貰っていない、彼の名前すら知らない。
けれど今から知れるだろう?そんな予想に笑いかけた真中で老人は白髯そっと撫でた。
「それは残念じゃったな、ちと探してみようかの?前にお布施をされたときもらっとるはずじゃ、」
ほら提案してくれる、この期待どおりが嬉しい。
だけどすぐ頷けない、その思案と穏やかに笑いかけた。
「ありがとうございます、でもお手間を申し訳ないです、」
「おまえさんがここに来るよりは手間じゃないだろう、来なさい、茶を熱く淹れよう、」
枯れた声すこし笑って踵返してくれる。
ゆったり行く墨染姿に微笑んで墓そっと見返り、その向こう山が白い。
この山に墓の眠り人も登ったのだろうか?そんな思案と歩きだした横から白髯が微笑んだ。
「おまえさん、14年ぶりなのに老けておらんの、すこし若くなったくらいじゃが、」
ほら油断なんて出来ないな?
そんな相手なんだか愉しくて英二は笑いかけた。
「居場所を変えた所為かもしれません、」
居場所を変えたのは、事実だ。
14年前ここに来た男も、自分も、14年の歳月に居場所を変えた。
―馨さん、どんな想いで来ていたんですか?
14年前この石畳を歩いた人、その俤を懐隠した合鍵と足許に辿らせる。
コートの黒い裾ひるがえす小雪は地にふれて解けて、けれど白く染めてゆく。
森閑に深い底から仰いだ頭上は薄墨色に明るます、こんな空は雪の雲に厚い。
帰り道は雪景色だろう、そんな予想と歩く境内は白銀に靴音を消して、誰もいない。
visita gravem 墓参り
visitacion gravem 重たい面会
この2つが馨の手帳に記された「v.g」に共通する。
この言葉たちに示す想いを単語ひとつ馨は補足した。
expiationum 贖罪
罪の贖い、そんな意味が「v.g」に添えられる。
この3つの単語に本音の吐露はまた原点の言語で綴った。
Peccatum quod est non dimittuntur
赦されない罪、
そう馨が告げたかった真相は何を示す?
それは馨の行為と記憶、それから「罠」の原点を指すだろうか?
この真意を見つける為に今日は一人開放して一人また利用する、その自嘲そっと英二は微笑んだ。
「戻れないな、」
もう戻れない、今日これをしてしまったら。
けれど鼓動は規則正しく拍動する、脈拍ひとつ乱れもしない。
いま顔も微笑んでいる、只いつも通りな自分を鏡に見つめネクタイ締め直す。
ちいさく絹鳴り整った衿元にスーツ姿ひき締まる、そんな肩越し扉が開いた。
「み・や・た巡査部長、今日のスーツ姿もエロ別嬪だね?」
またそんな台詞で笑ってくれるんだ?
そんな感想から可笑しくて笑って英二は振り向いた。
「おはようございます、国村警部補。今日はお供させて頂きますね、」
「コッチこそお供だね、じゃあ行くよ、」
からり笑って端整なスーツ姿が踵返す。
鞄ひとつで廊下に出てくれる、同じに鞄携えて英二も施錠し歩きだした。
かつん、レザーソールの靴音に響く寮は午後の陽ゆるやかに静まらす、いま業務時間の無人に上司は微笑んだ。
「今日の研修会は全国から集まるけどね、宮田巡査部長は全国に面通しってカンジだよ?警視庁の新人エースで試験的役目としてさ、」
かつん、かつん、足音リズミカルに言葉を反芻させる。
この言葉通りを夏から見つめてきた、その覚悟ひとつ笑いかけた。
「試験的役目って救急救命士の件ですよね、他の救助隊でも候補は決まったんですか?」
「富山と長野は候補者が決ったよ、道警もほぼ決定だろね、」
いつも通りのトーン笑って応えてくれる、その雪白の笑顔は澄んでいる。
この笑顔にも今日から隠し事しなくてはいけない、それが寂寞だと傷む。
―ずっと光一には協力してもらってきたんだ、でも今日でもう、
ずっと協力させてきた、その信頼は今1年になる。
この1年間どれだけ援けられてきたのだろう、支えてもらったのか?
そんな記憶たち数えることなど出来ない、それほど信じて秘密の大半を打ち明けてしまった。
だけど今もう言えない現実と過去を区切らせる、そう決めたまま駐車場に出て四駆の扉開き微笑んだ。
「国村さん、俺の運転でよろしいですよね?」
「乗車したらプライベートモード解禁でイイならね、」
からり笑って助手席に乗ってくれる。
雪白の貌は変わらず秀麗で温かい、この笑顔は降車する時も同じだろうか?
―走りだしたら訊いてくれるんだろうな、昨日の行先も、今日のことも、
車出したら密談の時間、そんな暗黙の了解に繋がれる。
それは今日まで一年間ずっと当たり前だった、けれど自分から壊したい。
今まで信じて支えられて嬉しかった、嬉しくて大切で、唯ひとりのパートナーだと思っている、だから今もう巻きこめない。
もう身勝手な復讐劇に惹きこみたくない、そんな願いに澄んだテノールは問いかけた。
「で、英二?昨日は行ってきたんだろ、周太のオヤジさんの手帳のトコにさ。どんなヤツが墓参りしてたワケ?」
ほら、やっぱり察して訊いてくれる。
この答え言ってしまえたら楽だろう、話してアドバイスもらえたら役立つはず。
そう解っている、けれど護りたい相手と意地をフロントガラス見つめて英二は綺麗に笑った。
「訊いてくれてありがとな、でも話せない、もう俺だけで克たないと終われないから、」
自分だけで克たなかったら終わらない、終わらせられない。
この「罠」は誰の援けも今から求められない、利用はしても共犯は求めたくない。
唯ひとり自分だけ、そんな孤独すら克てないなら「罠」五十年の畸形連鎖は、たぶん破れない。
(to be continued)
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第76話 霜雪act.1-side story「陽はまた昇る」
雪が舞う、初雪だ。
灰色の空から白く舞う、もう冬がいる。
いつもの街は未だ秋の気配、けれど今ここはコートの黒色ひるがえす。
仰いだ空に吐息も白い、小雪の風に髪なぶられ凍えて額に頬に冷たくかかる。
雪、風、白くなってゆく空、ただ凛と凍えてゆく感触が懐かしくて英二は独り笑った。
「寒いな、」
凛と頬吹く風は山からだろう、その冷感に雪嶺は遠く白い。
いま佇んだ墓碑も枯れた花に霜あわい、この花は誰が供えたのだろう?
誰かはわからない、けれどこの墓に参る誰かがいる、それがすこし不思議で微笑んだ。
「…殺人者もひとりじゃ生まれないよな、」
人間なら誰もが親から生まれてくる、だから犯罪者にも親族はいる。
それでも血縁あれば共に暮らすわけじゃない、けれど血縁を絶つことなど結局は出来ない。
そう今は知っている、だから今この墓に眠る男にも血縁者があるのだと納得するまま微笑んで気配に振り向いた。
ほら、やっぱり来てくれた。
「こんにちは、」
声すこし高めに微笑んだ先、墨染の袖が雪ひるがえす。
箒を携えた老人は白雪を踏んで来る、その皺深い瞳ゆっくり瞬き笑んだ。
「ああ、おまえさんか。ずいぶん久しぶりじゃなあ、10年は来ていないな?」
ほら、やっぱりここに来ていた。
また推定ひとつ当っている、それが嬉しいまま英二は綺麗に笑った。
「15年近くなります、その間も来てくれたようですね?」
きっと誰か来ている、この枯れた供花に秘密の鍵はある?
そんな期待を隠しこんだまま笑いかけた先、墨染の老人は涼やかな頭すこし傾げた。
「おお、あの記者さんのことかな?彼もよく来てくれとるよ、」
ほら、追いかけている人間「彼」が他にもいる。
―これで3人目だ、
警察学校で同じ教場だった安本、同期で大学時代を知る蒔田、そして3人目。
この3人目は本人と直接の関わりがあるのだろうか、無いだろうか?
どちらにしても報道関係者なら好都合だ。
「彼は毎年ずっと来てくれていますか?」
毎年か、去年と今年に久しぶりなのか、どちらだろう?
知りたくて問いかける声すこし高くして、そんなトーンに疑いなく老僧は微笑んだ。
「よう来られるもんじゃと感心しとるよ、こんな山奥まで雪の時節になあ、」
「彼も律儀な人ですからね、」
知っている、そんなトーン答えながら墓参者に考え廻りだす。
―鷲田の祖父と関わりないと良いな、あの男には関わってるとしても、
あの男、観碕征治。
その記者も観碕の操り人形かもしれない?
そんな推定は容易い、この墓の死者すら「罠」に使っても観碕らしい発想だろう。
―墓参する人間を見張っているのかな、それとも真相を知った追悼か、
もう一人ここに訪れる男は何を求めている?
その意志と痕跡を掴みたくて英二は嘘を笑った。
「実は彼の名刺を失くしてしまったんです、だから久しぶりに今日は来ました、ここで会えるかと思ったので。でもニアミスでした、」
名刺なんか貰っていない、彼の名前すら知らない。
けれど今から知れるだろう?そんな予想に笑いかけた真中で老人は白髯そっと撫でた。
「それは残念じゃったな、ちと探してみようかの?前にお布施をされたときもらっとるはずじゃ、」
ほら提案してくれる、この期待どおりが嬉しい。
だけどすぐ頷けない、その思案と穏やかに笑いかけた。
「ありがとうございます、でもお手間を申し訳ないです、」
「おまえさんがここに来るよりは手間じゃないだろう、来なさい、茶を熱く淹れよう、」
枯れた声すこし笑って踵返してくれる。
ゆったり行く墨染姿に微笑んで墓そっと見返り、その向こう山が白い。
この山に墓の眠り人も登ったのだろうか?そんな思案と歩きだした横から白髯が微笑んだ。
「おまえさん、14年ぶりなのに老けておらんの、すこし若くなったくらいじゃが、」
ほら油断なんて出来ないな?
そんな相手なんだか愉しくて英二は笑いかけた。
「居場所を変えた所為かもしれません、」
居場所を変えたのは、事実だ。
14年前ここに来た男も、自分も、14年の歳月に居場所を変えた。
―馨さん、どんな想いで来ていたんですか?
14年前この石畳を歩いた人、その俤を懐隠した合鍵と足許に辿らせる。
コートの黒い裾ひるがえす小雪は地にふれて解けて、けれど白く染めてゆく。
森閑に深い底から仰いだ頭上は薄墨色に明るます、こんな空は雪の雲に厚い。
帰り道は雪景色だろう、そんな予想と歩く境内は白銀に靴音を消して、誰もいない。
visita gravem 墓参り
visitacion gravem 重たい面会
この2つが馨の手帳に記された「v.g」に共通する。
この言葉たちに示す想いを単語ひとつ馨は補足した。
expiationum 贖罪
罪の贖い、そんな意味が「v.g」に添えられる。
この3つの単語に本音の吐露はまた原点の言語で綴った。
Peccatum quod est non dimittuntur
赦されない罪、
そう馨が告げたかった真相は何を示す?
それは馨の行為と記憶、それから「罠」の原点を指すだろうか?
この真意を見つける為に今日は一人開放して一人また利用する、その自嘲そっと英二は微笑んだ。
「戻れないな、」
もう戻れない、今日これをしてしまったら。
けれど鼓動は規則正しく拍動する、脈拍ひとつ乱れもしない。
いま顔も微笑んでいる、只いつも通りな自分を鏡に見つめネクタイ締め直す。
ちいさく絹鳴り整った衿元にスーツ姿ひき締まる、そんな肩越し扉が開いた。
「み・や・た巡査部長、今日のスーツ姿もエロ別嬪だね?」
またそんな台詞で笑ってくれるんだ?
そんな感想から可笑しくて笑って英二は振り向いた。
「おはようございます、国村警部補。今日はお供させて頂きますね、」
「コッチこそお供だね、じゃあ行くよ、」
からり笑って端整なスーツ姿が踵返す。
鞄ひとつで廊下に出てくれる、同じに鞄携えて英二も施錠し歩きだした。
かつん、レザーソールの靴音に響く寮は午後の陽ゆるやかに静まらす、いま業務時間の無人に上司は微笑んだ。
「今日の研修会は全国から集まるけどね、宮田巡査部長は全国に面通しってカンジだよ?警視庁の新人エースで試験的役目としてさ、」
かつん、かつん、足音リズミカルに言葉を反芻させる。
この言葉通りを夏から見つめてきた、その覚悟ひとつ笑いかけた。
「試験的役目って救急救命士の件ですよね、他の救助隊でも候補は決まったんですか?」
「富山と長野は候補者が決ったよ、道警もほぼ決定だろね、」
いつも通りのトーン笑って応えてくれる、その雪白の笑顔は澄んでいる。
この笑顔にも今日から隠し事しなくてはいけない、それが寂寞だと傷む。
―ずっと光一には協力してもらってきたんだ、でも今日でもう、
ずっと協力させてきた、その信頼は今1年になる。
この1年間どれだけ援けられてきたのだろう、支えてもらったのか?
そんな記憶たち数えることなど出来ない、それほど信じて秘密の大半を打ち明けてしまった。
だけど今もう言えない現実と過去を区切らせる、そう決めたまま駐車場に出て四駆の扉開き微笑んだ。
「国村さん、俺の運転でよろしいですよね?」
「乗車したらプライベートモード解禁でイイならね、」
からり笑って助手席に乗ってくれる。
雪白の貌は変わらず秀麗で温かい、この笑顔は降車する時も同じだろうか?
―走りだしたら訊いてくれるんだろうな、昨日の行先も、今日のことも、
車出したら密談の時間、そんな暗黙の了解に繋がれる。
それは今日まで一年間ずっと当たり前だった、けれど自分から壊したい。
今まで信じて支えられて嬉しかった、嬉しくて大切で、唯ひとりのパートナーだと思っている、だから今もう巻きこめない。
もう身勝手な復讐劇に惹きこみたくない、そんな願いに澄んだテノールは問いかけた。
「で、英二?昨日は行ってきたんだろ、周太のオヤジさんの手帳のトコにさ。どんなヤツが墓参りしてたワケ?」
ほら、やっぱり察して訊いてくれる。
この答え言ってしまえたら楽だろう、話してアドバイスもらえたら役立つはず。
そう解っている、けれど護りたい相手と意地をフロントガラス見つめて英二は綺麗に笑った。
「訊いてくれてありがとな、でも話せない、もう俺だけで克たないと終われないから、」
自分だけで克たなかったら終わらない、終わらせられない。
この「罠」は誰の援けも今から求められない、利用はしても共犯は求めたくない。
唯ひとり自分だけ、そんな孤独すら克てないなら「罠」五十年の畸形連鎖は、たぶん破れない。
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