Rainbow of time 祈望の梯
第80話 端月act.8-another,side story「陽はまた昇る」
謎ふたつ、天窓の月に考えこんでしまう。
なぜ祖母からの封筒が勉強机から落ちてきたのか?
たぶん父がしまっておいた、それならなぜ父は手渡してくれなかったのか?
そして勉強机の重さが変化したこと、それは側板の二重構造に理由があるのだろう?
「…解からないことばかりだけど、ね?」
解からないことばかり、でも祖母の手紙と写真は届いてくれた。
ただ嬉しくて座りこんだ屋根裏部屋、天窓の月光とランプのした白い封筒の宛書は優しい。
“私の孫になる君へ”
やわらかに綴るブルーブラックのインクは祖父と父と同じ。
いま50年を超えてくれる筆跡に周太は微笑んだ。
「…君って僕だよ、お祖母さん…待っててくれてありがとう、」
万年筆あざやかな宛先に嬉しくなる。
生まれるずっと昔に亡くなった祖母、同封された写真の笑顔も今の自分と同じ年頃でいる。
けれど美しい笑顔は自分よりずっと大人に見えて、面映ゆく微笑んで封書にペーパーナイフそっと入れた。
さくっ…
紙音そっと天窓に響く、電気ストーブの音ちりり鳴る。
静かな正月の夜は寒い、ニットパーカーの衿元よせながらパジャマの膝ブランケットにくるむ。
冷えて風邪をひけば喘息の発作がスイッチ入ってしまう、それは避けたい用心と便箋そっと開いた。
「ん…いっぱいあるね、お祖母さん?」
真白に薔薇のうかぶ便箋は数枚を重ねてある。
こまやかな万年筆の文字は優しい、その枚数と筆跡に想いは伝わらす。
こんなに沢山を自分に伝えようとしてくれる、それが幸せでランプと月明りに読みだした。
……
愛しい君へ
はじめまして、未来に生まれている君へ。
私は君のお父さん、馨さんのお母さんで君にはお祖母さんになります。
名前は斗貴子「ときこ」と読むんですよ、旧姓は榊原といって世田谷にお家がありました。
その家は君がこの手紙を読むころには無いかもしれません、私は兄弟がいなくて一人っ子だから家を守る人がいないんです。
こんなふうに書くと分かってしまうかしれないけれど、私は君が生まれるよりずっと前にこの世から消えます。
私は喘息という病気で心臓も弱いの、長くは生きられません。君のお父さんが大人になる姿も見られず世を去るでしょう。
本当はもっと生きて馨さんが大人になったところも見たいです、入学式も遠足も一緒にしたいけれど叶いそうにありません。
でも、あなたに逢いたいです。
馨さんの子供である君に逢いたい、お祖母ちゃんですよと笑いかけて抱きしめたいわ。
どうしても君に逢いたいです、まだ生まれていない遠い未来の君に逢いたくて、つい馨さんの姿に想像します。
もしかして髪はくせ毛ですか、私がそうだから馨さんもくせ毛です。本は好きかしら、花を見るのも好きでしょうか。
こんなに想像するほど君に逢いたいです、だから手紙を書くことにしました。何年先になるか解からなくても必ず届く魔法で贈ります。
この魔法は叶っているはずです、何故って今こうして君は読んでいるでしょう?
君と一緒にしたい事はたくさんあります。
君と手をつないで庭を散歩したいです、私が好きな花を一緒に見たいわ、白い一重の薔薇ですよ。
本もたくさん読んであげたい、書斎はたくさん本があるでしょう?東側の飾棚は私が御嫁入りに連れてきた本です。
お菓子も一緒に作りたいわ、スコンは君のお祖父さんもお気に入りです、君も私みたいに甘いものが大好きかしら。
私の母校でも一緒に散歩したいわ、大きな図書館がとても素敵なのよ?君のお祖父さんの研究室も案内したいです。
お祖父さんの晉さんと私は大学の研究室で出逢ったの、フランス文学の研究室です。お互い本が大好きだから逢えました。
君のお祖父さんはフランス文学の学者です、戦争のあと独りでフランスに留学して一生懸命に勉強した立派な方です。
いろんなご苦労をされてきました、その苦労の分だけ濾過された心が本当に綺麗で瞳にも表れています。
私は君のお祖父さんの妻になれて本当に幸せです、そして教え子であることも誇りです。
私と君のお祖父さんは齢が十五歳も違います、でも共通点が恋になりました。
二人とも文学が大好きだという共通点です、フランス文学にイギリス文学、もちろん日本の文学も大好き。
私は体が弱くて学校に行けない日も多かったの、そんな私にとって本はいちばん傍にいる友達です。
それでも学校は好きだったのよ?だから尚更に学校へ行けない日もベッドで本を読み勉強しました。
そんな私だから君のお祖父さんが書いた本とも出逢えたの、彼の言葉たちは鼓動から響きました。
響いたから大学へ行きたいと夢を抱いたのよ、君のお祖父さんに逢いたくて。
君が生きる時代は女の子たちも大学に行きますか。
私の時代は女が四年制大学に行くことは珍しくて、合格も難しいと思われていました。
それでも私は大学へ行きました、君のお祖父さんと逢いたくて日本でいちばん難しい大学を受験したの。
病気がちで大学なんて無謀だとお医者さまにも叱られました、でも短い命ならばこそ夢を見に行きたいとお願いしたの。
どうしても君のお祖父さんに御礼を言いたくて、それには学生になって逢いに行くことが一番の恩返しだと想えて大学に進みました。
だって君、学問は受け継がれていくものです。
たとえば文学は文字を通して世界を伝えていくことができます、それを読んだとき人は希望を見つけることも出来るの。
病気でベッドにいる時間すらフランスの風景に連れていってくれた、この心の自由をくれたのは君のお祖父さんが紡いだ言葉です。
それは君のお祖父さんがこの世を去っても遺ります、文学が文字が世界にあり続ける限り、君のお祖父さんがつむいだ自由は生きています。
そして私も生かされました。
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
私が好きな詩の一部です、シェイクスピアというイギリスの詩人が詠みました。
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」ソネットという十四行詩です。
言葉は時間も空間も超えてゆく梯、想いつなぐ永遠の力があることを謳われています。
この詩は学問をあゆむ全ての人に贈られるものです、この通りに君のお祖父さんは生きています。
きっと君のお父さんも同じように生きるでしょう、そして私も詩のように生きたのだと自負しています。
君のお父さんの名前は馨ですが「空」でもあります。
馨、この「かおる」という音はラテン語の“ caelum ”カエルムを充てたのです。
若葉の佳い香がする5月の青空の日に君のお父さんは生まれました、だから“ caelum ”です。
馨という文字は言葉を伝える「声」が入っているでしょう?きっと文学を愛する人になると思います。
そうして君に本を読み聴かせてくれるのだと予想しています、お祖母さんの予想は当たっていますか?
君の名前はどんな願いの祈りに付くのでしょう。
考えるだけで幸せになります、そして逢いたくて祈ってしまいます。
馨さんが大人になって大切な恋をして、そして君が生まれてきてくれること。その全てが幸せであれと祈ります。
馨さんが結婚する相手は素敵な女性でしょうね、君のお母さんになってくれる人ですから。
きっと私はすこしだけ嫉妬してしまいます、なぜって今も手紙を書きながら馨さんを見ていて愛しいのです。
こんなに馨さんが愛しいもの、馨さんの子供である君も愛しくて宝物で、誰よりも幸せを願わずにいられません。
だからこそ君のお母さんが幸せである日々を祈ります、君が笑っていられるように。
君のお祖父さんに、新しい奥さんを迎えてとお願いしました。
私は君のお父さんのきょうだいは産めません、でも健康な新しいお母さんがきたら馨さんにきょうだいが出来るでしょう。
私はきょうだいが無いけれど仲良しの従妹がいます、顕子さんといって馨さんのことも可愛がってくれる頼もしい人です。
病気がちの私をいつも見舞ってくれたのも顕子さんです、彼女が従妹だから私はたくさん笑っていられました。
そういう信頼できる身内が馨さんにもいてほしくて晉さんに再婚を勧めています。
ですから私ではないお祖母さまが君にはいるかもしれません。
その方と君は血のつながらない家族です、でもどうか大切にして下さいね。
家族は血の繋がりだけではありません、心が結ばれたなら幸福な家族です。
私は本当に幸せに生きました。
君が今いるこの家で私は生きて笑っていました、屋根裏部屋が私の書斎で大好きな場所です。
鎧戸の小さな出窓があるでしょう、あの下は小さな隠し棚になっていることを君は知っていますか?
開け方のヒントは寄木細工です、板をずらすと開きます。そこに贈物をしまっておくので受けとって下さい。
それを見れば私は幸せだったことが解かるはずよ、そして君を愛していることも伝えられると信じています。
君は学問が好きですか?
たぶん大好きだろうと思います、学問に出逢った晉さんと私の孫ですから。
君のお父さん、馨さんも学問が大好きな人になると思います。今も絵本を見て笑っているわ。
まだ文字も読めないはずの赤ちゃんです、でも小さな指で文字をなぞりながら楽しく笑っています。
だから君も学問を愛する人になるかもしれない、そう想えるから学問にも役立つ贈物を選びました。
いつか時の涯に君と逢えるよう思えてなりません、そのときは笑顔で私を見つけてください。
そのためにも写真を同封しておきます、君のお父さんを、私の caelum を抱いている私です。
そこには君も抱きしめています、何故って君は馨さんを通して私の遺伝子と夢を継ぐのだから。
どうか君、幸せに生きてください。私は永遠に君を愛し護ります。
湯原斗貴子
……
こんな手紙が自分の机に隠されていたんだ?
そう見つめる視界は滲んで頬つたう、ブランケットの膝が水玉模様を描く。
この手紙に籠めてくれた祈りはきっと自分が知らないうちに護ってくれた、その証拠をポケットから出した。
「おばあさん、僕…おばあさんの端切れで御守をつくってて、ね?」
掌ひとつ、御守袋の紅い錦織は祖母が持っていた生地で作った。
こんなふう祖母は知らず寄りそってくれる、その温もりが文字から優しい。
“でも、あなたに逢いたいです。”
この言葉、どんな想いでどんな顔で綴ってくれたの?
“どうしても君に逢いたいです、まだ生まれていない遠い未来の君に私は逢いたくて…だから手紙を書くことにしました。”
自分こそ逢いたい、逢って今までの全て聴いてほしい、この自分を見てほしい。
そして全てを聴かせてほしい、だから今も手紙に逢える温もりは涙あふれる。
「…言葉は時間も空間も超えてゆく梯、想いつなぐ永遠の力があることを謳われて…ほんとにそうだね、おばあさん…」
祖母の言葉をなぞって微笑んだ唇、温もり一滴ふれて潮かすかにふくむ。
この涙すら祖母から受継いだ、その手紙に繋がれる願いと立ち上がった。
「出窓の…寄木細工?」
手紙なぞりながら小さな出窓に立ち、ランプの灯に確かめる。
壁から迫でる窓床は分厚い、その縁に板組みこんだ模様を見とめて指先ふれた。
「あ、」
かたん、
音かすかに鳴って横へスライドされる。
そこに把手を見つけて、そっと引いた奥から木箱ひとつ現れた。
「…ほんとにあった、ね?」
こんなこと宝探しみたい?
驚いて見つめて、ゆっくり手を伸ばし箱を出した。
「ね…お祖母さん、ほんとに宝箱みたいだね?」
呼びかけ微笑んだ真中、寄木細工の箱にランプ艶めく。
埃も被らず乾いている、この美しい手箱に留金かちり開いた。
「おばあさん…これ僕にくれるの?」
見つめる箱も中も滲みだす、また涙こぼれて頬濡れる。
この贈物たちに聲は五十年を超えて届く、その想いが箱あふれて温かい。
「…ありがとうお祖母さん、ごめんなさい…ありがとうずっと」
ありがとう、ごめんなさい。
それしか今は言えない、だって祖母の願いは真直ぐ響いて止まない。
この願いが自分を今に連れてきたのだろう、護ってくれるのだろう、その祈り五十年を超えて温かい。
そんな想い見つめる写真に笑顔は咲く、その眼差しは父そっくりでどこか自分とも似ている、そしてクセっ毛の髪。
“どうか君、幸せに生きてください。私は永遠に君を愛し護ります。”
今、幸せだ。
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】
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第80話 端月act.8-another,side story「陽はまた昇る」
謎ふたつ、天窓の月に考えこんでしまう。
なぜ祖母からの封筒が勉強机から落ちてきたのか?
たぶん父がしまっておいた、それならなぜ父は手渡してくれなかったのか?
そして勉強机の重さが変化したこと、それは側板の二重構造に理由があるのだろう?
「…解からないことばかりだけど、ね?」
解からないことばかり、でも祖母の手紙と写真は届いてくれた。
ただ嬉しくて座りこんだ屋根裏部屋、天窓の月光とランプのした白い封筒の宛書は優しい。
“私の孫になる君へ”
やわらかに綴るブルーブラックのインクは祖父と父と同じ。
いま50年を超えてくれる筆跡に周太は微笑んだ。
「…君って僕だよ、お祖母さん…待っててくれてありがとう、」
万年筆あざやかな宛先に嬉しくなる。
生まれるずっと昔に亡くなった祖母、同封された写真の笑顔も今の自分と同じ年頃でいる。
けれど美しい笑顔は自分よりずっと大人に見えて、面映ゆく微笑んで封書にペーパーナイフそっと入れた。
さくっ…
紙音そっと天窓に響く、電気ストーブの音ちりり鳴る。
静かな正月の夜は寒い、ニットパーカーの衿元よせながらパジャマの膝ブランケットにくるむ。
冷えて風邪をひけば喘息の発作がスイッチ入ってしまう、それは避けたい用心と便箋そっと開いた。
「ん…いっぱいあるね、お祖母さん?」
真白に薔薇のうかぶ便箋は数枚を重ねてある。
こまやかな万年筆の文字は優しい、その枚数と筆跡に想いは伝わらす。
こんなに沢山を自分に伝えようとしてくれる、それが幸せでランプと月明りに読みだした。
……
愛しい君へ
はじめまして、未来に生まれている君へ。
私は君のお父さん、馨さんのお母さんで君にはお祖母さんになります。
名前は斗貴子「ときこ」と読むんですよ、旧姓は榊原といって世田谷にお家がありました。
その家は君がこの手紙を読むころには無いかもしれません、私は兄弟がいなくて一人っ子だから家を守る人がいないんです。
こんなふうに書くと分かってしまうかしれないけれど、私は君が生まれるよりずっと前にこの世から消えます。
私は喘息という病気で心臓も弱いの、長くは生きられません。君のお父さんが大人になる姿も見られず世を去るでしょう。
本当はもっと生きて馨さんが大人になったところも見たいです、入学式も遠足も一緒にしたいけれど叶いそうにありません。
でも、あなたに逢いたいです。
馨さんの子供である君に逢いたい、お祖母ちゃんですよと笑いかけて抱きしめたいわ。
どうしても君に逢いたいです、まだ生まれていない遠い未来の君に逢いたくて、つい馨さんの姿に想像します。
もしかして髪はくせ毛ですか、私がそうだから馨さんもくせ毛です。本は好きかしら、花を見るのも好きでしょうか。
こんなに想像するほど君に逢いたいです、だから手紙を書くことにしました。何年先になるか解からなくても必ず届く魔法で贈ります。
この魔法は叶っているはずです、何故って今こうして君は読んでいるでしょう?
君と一緒にしたい事はたくさんあります。
君と手をつないで庭を散歩したいです、私が好きな花を一緒に見たいわ、白い一重の薔薇ですよ。
本もたくさん読んであげたい、書斎はたくさん本があるでしょう?東側の飾棚は私が御嫁入りに連れてきた本です。
お菓子も一緒に作りたいわ、スコンは君のお祖父さんもお気に入りです、君も私みたいに甘いものが大好きかしら。
私の母校でも一緒に散歩したいわ、大きな図書館がとても素敵なのよ?君のお祖父さんの研究室も案内したいです。
お祖父さんの晉さんと私は大学の研究室で出逢ったの、フランス文学の研究室です。お互い本が大好きだから逢えました。
君のお祖父さんはフランス文学の学者です、戦争のあと独りでフランスに留学して一生懸命に勉強した立派な方です。
いろんなご苦労をされてきました、その苦労の分だけ濾過された心が本当に綺麗で瞳にも表れています。
私は君のお祖父さんの妻になれて本当に幸せです、そして教え子であることも誇りです。
私と君のお祖父さんは齢が十五歳も違います、でも共通点が恋になりました。
二人とも文学が大好きだという共通点です、フランス文学にイギリス文学、もちろん日本の文学も大好き。
私は体が弱くて学校に行けない日も多かったの、そんな私にとって本はいちばん傍にいる友達です。
それでも学校は好きだったのよ?だから尚更に学校へ行けない日もベッドで本を読み勉強しました。
そんな私だから君のお祖父さんが書いた本とも出逢えたの、彼の言葉たちは鼓動から響きました。
響いたから大学へ行きたいと夢を抱いたのよ、君のお祖父さんに逢いたくて。
君が生きる時代は女の子たちも大学に行きますか。
私の時代は女が四年制大学に行くことは珍しくて、合格も難しいと思われていました。
それでも私は大学へ行きました、君のお祖父さんと逢いたくて日本でいちばん難しい大学を受験したの。
病気がちで大学なんて無謀だとお医者さまにも叱られました、でも短い命ならばこそ夢を見に行きたいとお願いしたの。
どうしても君のお祖父さんに御礼を言いたくて、それには学生になって逢いに行くことが一番の恩返しだと想えて大学に進みました。
だって君、学問は受け継がれていくものです。
たとえば文学は文字を通して世界を伝えていくことができます、それを読んだとき人は希望を見つけることも出来るの。
病気でベッドにいる時間すらフランスの風景に連れていってくれた、この心の自由をくれたのは君のお祖父さんが紡いだ言葉です。
それは君のお祖父さんがこの世を去っても遺ります、文学が文字が世界にあり続ける限り、君のお祖父さんがつむいだ自由は生きています。
そして私も生かされました。
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,
Nor shall Death brag thou wand'rest in his shade,
When in eternal lines to time thou grow'st.
So long as men can breathe or eyes can see,
So long lives this, and this gives life to thee.
私が好きな詩の一部です、シェイクスピアというイギリスの詩人が詠みました。
William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」ソネットという十四行詩です。
言葉は時間も空間も超えてゆく梯、想いつなぐ永遠の力があることを謳われています。
この詩は学問をあゆむ全ての人に贈られるものです、この通りに君のお祖父さんは生きています。
きっと君のお父さんも同じように生きるでしょう、そして私も詩のように生きたのだと自負しています。
君のお父さんの名前は馨ですが「空」でもあります。
馨、この「かおる」という音はラテン語の“ caelum ”カエルムを充てたのです。
若葉の佳い香がする5月の青空の日に君のお父さんは生まれました、だから“ caelum ”です。
馨という文字は言葉を伝える「声」が入っているでしょう?きっと文学を愛する人になると思います。
そうして君に本を読み聴かせてくれるのだと予想しています、お祖母さんの予想は当たっていますか?
君の名前はどんな願いの祈りに付くのでしょう。
考えるだけで幸せになります、そして逢いたくて祈ってしまいます。
馨さんが大人になって大切な恋をして、そして君が生まれてきてくれること。その全てが幸せであれと祈ります。
馨さんが結婚する相手は素敵な女性でしょうね、君のお母さんになってくれる人ですから。
きっと私はすこしだけ嫉妬してしまいます、なぜって今も手紙を書きながら馨さんを見ていて愛しいのです。
こんなに馨さんが愛しいもの、馨さんの子供である君も愛しくて宝物で、誰よりも幸せを願わずにいられません。
だからこそ君のお母さんが幸せである日々を祈ります、君が笑っていられるように。
君のお祖父さんに、新しい奥さんを迎えてとお願いしました。
私は君のお父さんのきょうだいは産めません、でも健康な新しいお母さんがきたら馨さんにきょうだいが出来るでしょう。
私はきょうだいが無いけれど仲良しの従妹がいます、顕子さんといって馨さんのことも可愛がってくれる頼もしい人です。
病気がちの私をいつも見舞ってくれたのも顕子さんです、彼女が従妹だから私はたくさん笑っていられました。
そういう信頼できる身内が馨さんにもいてほしくて晉さんに再婚を勧めています。
ですから私ではないお祖母さまが君にはいるかもしれません。
その方と君は血のつながらない家族です、でもどうか大切にして下さいね。
家族は血の繋がりだけではありません、心が結ばれたなら幸福な家族です。
私は本当に幸せに生きました。
君が今いるこの家で私は生きて笑っていました、屋根裏部屋が私の書斎で大好きな場所です。
鎧戸の小さな出窓があるでしょう、あの下は小さな隠し棚になっていることを君は知っていますか?
開け方のヒントは寄木細工です、板をずらすと開きます。そこに贈物をしまっておくので受けとって下さい。
それを見れば私は幸せだったことが解かるはずよ、そして君を愛していることも伝えられると信じています。
君は学問が好きですか?
たぶん大好きだろうと思います、学問に出逢った晉さんと私の孫ですから。
君のお父さん、馨さんも学問が大好きな人になると思います。今も絵本を見て笑っているわ。
まだ文字も読めないはずの赤ちゃんです、でも小さな指で文字をなぞりながら楽しく笑っています。
だから君も学問を愛する人になるかもしれない、そう想えるから学問にも役立つ贈物を選びました。
いつか時の涯に君と逢えるよう思えてなりません、そのときは笑顔で私を見つけてください。
そのためにも写真を同封しておきます、君のお父さんを、私の caelum を抱いている私です。
そこには君も抱きしめています、何故って君は馨さんを通して私の遺伝子と夢を継ぐのだから。
どうか君、幸せに生きてください。私は永遠に君を愛し護ります。
湯原斗貴子
……
こんな手紙が自分の机に隠されていたんだ?
そう見つめる視界は滲んで頬つたう、ブランケットの膝が水玉模様を描く。
この手紙に籠めてくれた祈りはきっと自分が知らないうちに護ってくれた、その証拠をポケットから出した。
「おばあさん、僕…おばあさんの端切れで御守をつくってて、ね?」
掌ひとつ、御守袋の紅い錦織は祖母が持っていた生地で作った。
こんなふう祖母は知らず寄りそってくれる、その温もりが文字から優しい。
“でも、あなたに逢いたいです。”
この言葉、どんな想いでどんな顔で綴ってくれたの?
“どうしても君に逢いたいです、まだ生まれていない遠い未来の君に私は逢いたくて…だから手紙を書くことにしました。”
自分こそ逢いたい、逢って今までの全て聴いてほしい、この自分を見てほしい。
そして全てを聴かせてほしい、だから今も手紙に逢える温もりは涙あふれる。
「…言葉は時間も空間も超えてゆく梯、想いつなぐ永遠の力があることを謳われて…ほんとにそうだね、おばあさん…」
祖母の言葉をなぞって微笑んだ唇、温もり一滴ふれて潮かすかにふくむ。
この涙すら祖母から受継いだ、その手紙に繋がれる願いと立ち上がった。
「出窓の…寄木細工?」
手紙なぞりながら小さな出窓に立ち、ランプの灯に確かめる。
壁から迫でる窓床は分厚い、その縁に板組みこんだ模様を見とめて指先ふれた。
「あ、」
かたん、
音かすかに鳴って横へスライドされる。
そこに把手を見つけて、そっと引いた奥から木箱ひとつ現れた。
「…ほんとにあった、ね?」
こんなこと宝探しみたい?
驚いて見つめて、ゆっくり手を伸ばし箱を出した。
「ね…お祖母さん、ほんとに宝箱みたいだね?」
呼びかけ微笑んだ真中、寄木細工の箱にランプ艶めく。
埃も被らず乾いている、この美しい手箱に留金かちり開いた。
「おばあさん…これ僕にくれるの?」
見つめる箱も中も滲みだす、また涙こぼれて頬濡れる。
この贈物たちに聲は五十年を超えて届く、その想いが箱あふれて温かい。
「…ありがとうお祖母さん、ごめんなさい…ありがとうずっと」
ありがとう、ごめんなさい。
それしか今は言えない、だって祖母の願いは真直ぐ響いて止まない。
この願いが自分を今に連れてきたのだろう、護ってくれるのだろう、その祈り五十年を超えて温かい。
そんな想い見つめる写真に笑顔は咲く、その眼差しは父そっくりでどこか自分とも似ている、そしてクセっ毛の髪。
“どうか君、幸せに生きてください。私は永遠に君を愛し護ります。”
今、幸せだ。
(to be continued)
【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」】
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