reunion いつか、

第80話 端月act.10-another,side story「陽はまた昇る」
薬品かすかな香、窓やわらかな光が白衣に明るい。
その横顔は微笑んでくれる、けれど眼差し少しだけ難しい。
だから見ただけで解って、謝りきれない想いに縮こまりたくなる。
―雪での訓練とかダメに決まってるもの…雅人先生ごめんなさい、
自衛隊駐屯地での訓練は雪ふる谷間だった。
あの寒風に晒された影響が怖い、そんな不安に白衣姿がふり向いた。
「湯原くん、無理したろう?」
ほら見抜かれてしまう。
当り前の反応に周太はそっと項垂れた。
「はい…すみません、雅人先生、」
本当に謝りきれない、だって真剣に診てくれているのに?
それなのに応えきれない自責にすくんだ向かい、精悍な瞳が笑ってくれた。
「ほら、謝るなって言ったろ?こんな時は何て言うんだった、湯原くん?」
笑いかけてくれる声は深く明るい、その眼差しも快活に笑ってくれる。
ただ温かくて、ほっと張りつめが解けた。
「雅人先生、僕…生きたいです、だって」
だって、祖母の手紙を読んでしまった。
そう言いかけて呼吸そっと呑んでしまう。
今このまま口開けば涙こぼれそうで、それは堪えたくて瞳ゆっくり瞬いた。
―こんなとき泣くなんてダメ、だって決めたんだ、
泣虫な自分、そういう本性は変えられないと解っている。
けれど今は少し強くなりたい、そう決めた想い微笑んだ。
「祖母から五十年前の手紙が届いたんです、喘息と心臓の病気で長くは生きられないけれど、その分も僕に幸せになってほしいと書いてありました…祖母は32歳で亡くなっています、」
祖母の願いを叶えたい、そう想ったから今すこし強くなりたい。
だから笑いかけた真中で主治医は笑ってくれた。
「お祖母さんの分も生きるぞ?いいな、湯原くん、」
ほら受けとめて支えてくれる。
この笑顔ひとつ信じて、それでも申し訳なくて頭下げた。
「秋までに僕は退職します、それまでは先生の言うとおり出来ないことばかりです、でも退職したら必ず治療に従います、救けてください…お願いします、」
「解ってるよ、そのつもりで治療も進めていくからな?大丈夫だ、」
大丈夫だ、そう笑ってくれる瞳が温かい。
この医師を信じていたら大丈夫、その信頼に訊かれた。
「それで湯原くん、10月に酷い発作を起こしたろ?11月の診察でも訊いたけど、10月の発作は風邪気味の時だったよな?」
「はい、すこし風邪っぽくて薬を買って飲みました、」
思い出しながら答えてすこし心配になる。
あれが何か良くなかったろうか?その不安に優しい瞳が微笑んだ。
「そうか、早く予防しようってがんばったんだな?そういう意志があるなら大丈夫だ、」
ほら、また大丈夫だと安心をくれる。
こんなふう誰かに大丈夫と言ってほしくて、それをくれる主治医に泣きたくなる。
こうして受けとめられる信頼は温かい、そんな陽だまりの診察室に低くアルトが笑った。
「ふうん、やっぱり吉村君は医者がサマになるわね?」
ショートカットの白衣姿が窓辺に笑ってくれる。
色白の笑顔はジーンズの脚かるく組んで、この気さくな女医に主治医は笑った。
「遠藤こそ白衣かっこいいよ、赤ひげ女版ってカンジだな?」
たしかにそんな感じだな?
つい感心した先で女医は笑った。
「褒め言葉ありがと、でも赤ひげは診察室のレンタルなんてしないんじゃない?」
「必要ならするだろ、」
さらり笑い返しながらカルテにペン走らせる。
その慣れた雰囲気と言葉に言われたこと想いだした。
―雅人先生と伊達さんのお母さんって同期だったね?
齢は違う、けれど二人には共通点がある。
そう教えられた記憶たどりかけて、けれど女医に訊かれた。
「湯原くん、東吾は元気?」
やっぱり会っていないんだ?
そんな質問すこし困りながら周太は頷いた。
「元気です、一昨日もお雑煮をご馳走してくれました、」
こんな答は申し訳なくなる、だって彼女は息子の雑煮を食べていない。
そこに母子の事情は見えて哀しくなる、けれど涼やかな瞳はからり笑った。
「東吾の美味しいでしょう?料理ほんと巧いのよね、警官なんてモッタイないわ、酒蔵レストランとかしたら良いのに、」
可笑しそうに笑ってくれる言葉に少しほっとする。
今こうして話す姿はまだ若い、けれど母親の温もりは確かだ。
―よく見てるんだ、伊達さんのこと…離婚してもちゃんと息子さんを見てて、
俺を十九で生んでるから若いんだよ、
そう伊達が教えてくれた通り彼女は若い、四十半ばの齢より若く見えるだろう。
それでも母として息子を理解し無事を祈っている、そんな笑顔に主治医が訊いた。
「遠藤、この薬ストックあるか?」
メモを手渡し訊いてくれる、さらり目を通し女医は尋ねた。
「あるわよ、確かに湯原くん風邪気味っぽいけど、これ使うってやっぱりそう?」
「ああ、年齢的に珍しいけどな、」
深い低い声が応えてくれる。
その言葉たちに少し不安なりかけた前、精悍な瞳こちら向いた。
「湯原くん、市販の風邪薬は飲まないでほしいんだ、解熱剤や鎮痛剤もダメだよ?薬に入っているアスピリンが君に合わないと思う、」
説明される言葉に記憶をたどりだす。
もしかして?気づかされた事実に口開いた。
「雅人先生、10月に実家で発作を起こしたとき僕、寝る前に風邪薬を飲んだんです…それが原因だったということですか?」
10月、入隊前休暇で帰った夜の睡眠中に昏倒した。
あの原因を今教えてもらえる?この不安ひとつ解く笑顔が言った。
「うん、だから今度からこの薬にしような?もっと早く気づけなくてすまない、」
謝って頭きちんと下げてくれる。
こんな謝ってもらうなんて途惑う、ただ驚いて見つめるまま穏やかな声が続けた。
「アスピリン喘息って言ってな、解熱や痛み止めにつかうアスピリンって薬が喘息に合わないことがあるんだ。三十代から出ることが多いけど当然いろんなタイプがある、11月の時すぐ俺も気づけばよかったのに解からなかったんだ、すまない湯原くん、」
説明して謝ってくれる、こんなこと困ってしまう。
だって自分こそ良い患者といえない、それなのに責めず謝ってくれる主治医は言った。
「遠藤に言われるまで俺も気づかなかったんだ、おかげで助かったよ?ありがとな遠藤、」
困ったような笑顔が白衣姿へ頭下げる。
そんな同期に女医はショートヘアかき上げ笑ってくれた。
「専門医じゃないとアスピリン喘息の判断は難しいわよ、お礼の期待しとくわ?」
さらり笑って白衣ひるがえす。
デニムパンツの脚リズミカルに歩いて、ぱたん、扉向うへ消えると主治医が笑った。
「遠藤と湯原くんが知りあいになるって面白いな、遠藤の息子さんと友達なんだろ?大学の知り合いって訊いたけど、」
友達、
そういうことにしてくれてある、それは守秘義務のためでいる。
だから嘘も吐かなくてはいけない、それでもなにか面映ゆくて微笑んだ。
「はい、違う大学ですけど部活とかで…僕も先生と伊達さんのお母さんがお知り合いで驚きました、」
「だろな?でも運が良かった、」
笑ってくれる言葉に頷けてしまう。
本当に運がいい、この幸運に主治医が笑ってくれた。
「遠藤は喘息が専門なんだ、だから俺も湯原くんのこと相談させてもらってたよ。すこしでも体調を崩したらすぐ診てもらうと良い、家も近いんだろ?」
「はい、ありがとうございます、」
頷きながら首すじ熱くなってゆく。
これは嘘への恥だろうか、それとも「友達」の所為かもしれない?
そんな想い途惑いながら頬そっと押えたとき、扉ノックに開き呼ばれた。
「失礼します、湯原、迎えに来たぞ、」
あ、来てくれたんだ?
来てくれるなんて意外だ、でも来てくれた。
こんな展開すこし途惑わされて、けれど理由なんだか解かるようで笑いかけた。
「迎えって伊達さん、すぐ近くなのに?」
「風邪ひいたらコトだろ、油断するな、」
応えながら黒いコート脱いで来てくれる。
薄手のニット一枚にカーゴパンツ、そんな薄着で先輩は頭下げた。
「吉村先生ですね?伊達と申します、いつも湯原が世話になってすみません、」
こんな挨拶してくれるんだ?
なんだか気恥ずかしくて首すじまた熱くなる、その前で主治医は笑った。
「吉村です、俺こそ湯原くんのことありがとう、伊達くんがここに連れてきたお蔭で助かったよ?」
深い低い声が笑いかけた先、沈毅な瞳かすかに顰めさす。
けれど変わらない落着いた声は尋ねた。
「どういう意味ですか?」
「君のお母さんに診せたのが正解ってことだよ、」
答えながら薬たち袋へ入れてくれる。
その長い指先とめずに主治医は言ってくれた。
「伊達くんも知ってるだろうけど喘息は専門医じゃないと難しいとこもある、君のお母さんが先月に診たからリスクが一つ減らせるよ、俺じゃ危なかった、」
話してくれる言葉に医師ふたりの会話が見えてくる。
もう事情を互いに話した、そんなトーンに鋭い瞳が微笑んだ。
「あの女が役に立ったなら良かったです、帰るぞ湯原、」
言いながら荷物籠のダッフルコート出して肩掛けてくれる。
今すぐ立ち去りたい、そう態度に告げる青年へ主治医が言った。
「伊達くん、あとひとつ薬を出したいんだ。いま遠藤が探してるから待ってくれないか?」
いま女医が薬を取りに行っている、その事実に低く声遮った。
「わざとですか?」
いつもの落着いた声、けれど怒っている。
このトーン心配で見あげた先、沈毅な横顔は言った。
「湯原の喘息は前から診てるんですよね?薬も用意してこられたはずです、あの女に取りに行かせたのは何故ですか?」
穏やかに落着いている声、それなのに突くよう鋭い。
こんな言い方をこの人がしている?ないか怖い想いごとニットの腕にふれた。
「伊達さん、僕が風邪気味だからお薬出してくれることになったんです、ごめんなさい、」
「湯原が謝ることじゃない、コートちゃんと着ろよ?外寒いぞ、」
すぐ返してくれる言葉も声も落着いている。
それでも沈毅な瞳は主治医まっすぐ見つめて動かない、その眼差しに雅人が笑った。
「なんか兄と弟ってカンジだな?伊達くん、さっきから俺を疑う言い方するな?そんなに気に障ること言ったなら謝るよ、」
「謝る必要はありません、疑問に思っただけです、」
坦々と答える声は冷静で低い。
それが休日の今と不似合いで、不思議でコート着ながら尋ねた。
「伊達さん、なんか職場の時みたいな話し方ですね?」
なんで仕事中みたいな話し方するんだろう、まるで上司といるみたい?
そんな様子に不思議でつい尋ねた先、横顔ふりむいて言った。
「それより湯原、マフラーちゃんと巻けよ?喉とか絶対に冷やすな、俺は外で待ってる、」
言いながら黒いコート羽織り踵返してしまう。
その背中すぐ扉むこうへ消えて、ぱたん、入れ替わり奥の扉が開いた。
「お待たせ、風邪薬と万が一の鎮痛剤よ。これならアスピリン使ってないから大丈夫、でも体調くずしたら早めにおいで?」
薬袋ふたつ携えて涼やかな瞳が笑ってくれる。
色白の顔は四十過ぎて見えない、この若い母親に申し訳なくて頭下げた。
「ありがとうございます、あの、色々すみません、」
「なんで謝るのよ?湯原くん何も悪いことしてないよ、忘れ物ないかな?」
笑いかけて荷物籠の鞄を渡してくれる。
薬袋たちもビニール袋ひとつ纏めて、渡しながら女医は微笑んだ。
「何でも東吾に頼ってやって?口重たいとこあるけど、寂しがりな分だけ優しい賢い男だから。信じていいよ?」
ほら、この人は母親だ。
だから気持ち少し解かってしまう、だって自分も母と時間を過ごしてきた。
そして祖母の手紙も読んだ、あの言葉たち裏切れなくて女医の手そっと引いた。
「遠藤先生の言う通り信じます、だから先生も信じて?」
「え?」
どういうこと?そんなトーン涼やかな瞳すこし大きくなる。
その眼に笑って扉開いて、すぐ黒いコートの手つかんで笑いかけた。
「伊達さん、お母さんに新年のおめでとう言いました?親を大事にしないとバチ当ります、」
こんな申し出は「おせっかい」だ?
それくらい解かっている、けれど祖母の手紙を読んだ今はおせっかいでも何でも良い。
だって世界中の誰にもあんな想いさせたくない、だから引きあわせた母子の息子がため息吐いた。
「…湯原を診てくれてありがとな、今年もよろしく、」
坦々とした声はいつも通り真面目で落着いている。
それでも少し逸らした眼は温かい、そんな息子に涼やかな瞳が笑った。
「今年も朝ごはん作ってよ?恩に着るならよろしくね、湯原くんありがとう、」
ありがとう、なんてやっぱり烏滸がましかったかも?
我ながら「おせっかい」に気恥ずかしくて頭下げた。
「僕こそすみません、あの…ありがとうございました、」
「また遊びにおいで?寒いから気をつけて帰りなさいね、喘息に風邪は禁物だよ?」
色白の手かるく振って送りだしてくれる。
その笑顔に会釈して歩きだした隣、ため息ひとつ先輩が言った。
「湯原はおせっかいが趣味か?」
あ、やっぱり少し怒らせた?
申し訳なくて、けれど可笑しくてつい笑った。
「そうかもしれません、僕にもおせっかいしたい理由が出来たから、」
この「理由」この人に話したら聴いてくれる?
そんな想い笑いかけてシャープな瞳も笑ってくれた。
「その理由って聴けるのか?」
「伊達さんが聴きたいなら話しますよ、おせっかいじゃなければ、」
笑って応えながら少しまた近くなる。
こんな冗談みたいな言い方も今は出来る、その相手も可笑しそうに笑った。
「おせっかいか、俺も大概だって言うんだろ?」
「はい、でも感謝してますよ?ごはん美味しいですし、」
「独り飯ってホントは苦手なんだよ、」
笑いながら並んで歩く道、街路樹の梢ならす風が冷たい。
そっとマフラーかき寄せると温かで、この贈り主また想い願いだす。
―英二がお祖母さんの手紙を読んだら気づいてくれるかな、それとも、
祖母の手紙は「母親」の願いごと、それを読んだら英二は何を思うだろう?
母親への頑なすこし解くだろうか、それとも尚更に反発して拒絶するだろうか?
それでも英二、あの手紙あなたにこそ読んでほしい、その時いつか訪れるように。
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第80話 端月act.10-another,side story「陽はまた昇る」
薬品かすかな香、窓やわらかな光が白衣に明るい。
その横顔は微笑んでくれる、けれど眼差し少しだけ難しい。
だから見ただけで解って、謝りきれない想いに縮こまりたくなる。
―雪での訓練とかダメに決まってるもの…雅人先生ごめんなさい、
自衛隊駐屯地での訓練は雪ふる谷間だった。
あの寒風に晒された影響が怖い、そんな不安に白衣姿がふり向いた。
「湯原くん、無理したろう?」
ほら見抜かれてしまう。
当り前の反応に周太はそっと項垂れた。
「はい…すみません、雅人先生、」
本当に謝りきれない、だって真剣に診てくれているのに?
それなのに応えきれない自責にすくんだ向かい、精悍な瞳が笑ってくれた。
「ほら、謝るなって言ったろ?こんな時は何て言うんだった、湯原くん?」
笑いかけてくれる声は深く明るい、その眼差しも快活に笑ってくれる。
ただ温かくて、ほっと張りつめが解けた。
「雅人先生、僕…生きたいです、だって」
だって、祖母の手紙を読んでしまった。
そう言いかけて呼吸そっと呑んでしまう。
今このまま口開けば涙こぼれそうで、それは堪えたくて瞳ゆっくり瞬いた。
―こんなとき泣くなんてダメ、だって決めたんだ、
泣虫な自分、そういう本性は変えられないと解っている。
けれど今は少し強くなりたい、そう決めた想い微笑んだ。
「祖母から五十年前の手紙が届いたんです、喘息と心臓の病気で長くは生きられないけれど、その分も僕に幸せになってほしいと書いてありました…祖母は32歳で亡くなっています、」
祖母の願いを叶えたい、そう想ったから今すこし強くなりたい。
だから笑いかけた真中で主治医は笑ってくれた。
「お祖母さんの分も生きるぞ?いいな、湯原くん、」
ほら受けとめて支えてくれる。
この笑顔ひとつ信じて、それでも申し訳なくて頭下げた。
「秋までに僕は退職します、それまでは先生の言うとおり出来ないことばかりです、でも退職したら必ず治療に従います、救けてください…お願いします、」
「解ってるよ、そのつもりで治療も進めていくからな?大丈夫だ、」
大丈夫だ、そう笑ってくれる瞳が温かい。
この医師を信じていたら大丈夫、その信頼に訊かれた。
「それで湯原くん、10月に酷い発作を起こしたろ?11月の診察でも訊いたけど、10月の発作は風邪気味の時だったよな?」
「はい、すこし風邪っぽくて薬を買って飲みました、」
思い出しながら答えてすこし心配になる。
あれが何か良くなかったろうか?その不安に優しい瞳が微笑んだ。
「そうか、早く予防しようってがんばったんだな?そういう意志があるなら大丈夫だ、」
ほら、また大丈夫だと安心をくれる。
こんなふう誰かに大丈夫と言ってほしくて、それをくれる主治医に泣きたくなる。
こうして受けとめられる信頼は温かい、そんな陽だまりの診察室に低くアルトが笑った。
「ふうん、やっぱり吉村君は医者がサマになるわね?」
ショートカットの白衣姿が窓辺に笑ってくれる。
色白の笑顔はジーンズの脚かるく組んで、この気さくな女医に主治医は笑った。
「遠藤こそ白衣かっこいいよ、赤ひげ女版ってカンジだな?」
たしかにそんな感じだな?
つい感心した先で女医は笑った。
「褒め言葉ありがと、でも赤ひげは診察室のレンタルなんてしないんじゃない?」
「必要ならするだろ、」
さらり笑い返しながらカルテにペン走らせる。
その慣れた雰囲気と言葉に言われたこと想いだした。
―雅人先生と伊達さんのお母さんって同期だったね?
齢は違う、けれど二人には共通点がある。
そう教えられた記憶たどりかけて、けれど女医に訊かれた。
「湯原くん、東吾は元気?」
やっぱり会っていないんだ?
そんな質問すこし困りながら周太は頷いた。
「元気です、一昨日もお雑煮をご馳走してくれました、」
こんな答は申し訳なくなる、だって彼女は息子の雑煮を食べていない。
そこに母子の事情は見えて哀しくなる、けれど涼やかな瞳はからり笑った。
「東吾の美味しいでしょう?料理ほんと巧いのよね、警官なんてモッタイないわ、酒蔵レストランとかしたら良いのに、」
可笑しそうに笑ってくれる言葉に少しほっとする。
今こうして話す姿はまだ若い、けれど母親の温もりは確かだ。
―よく見てるんだ、伊達さんのこと…離婚してもちゃんと息子さんを見てて、
俺を十九で生んでるから若いんだよ、
そう伊達が教えてくれた通り彼女は若い、四十半ばの齢より若く見えるだろう。
それでも母として息子を理解し無事を祈っている、そんな笑顔に主治医が訊いた。
「遠藤、この薬ストックあるか?」
メモを手渡し訊いてくれる、さらり目を通し女医は尋ねた。
「あるわよ、確かに湯原くん風邪気味っぽいけど、これ使うってやっぱりそう?」
「ああ、年齢的に珍しいけどな、」
深い低い声が応えてくれる。
その言葉たちに少し不安なりかけた前、精悍な瞳こちら向いた。
「湯原くん、市販の風邪薬は飲まないでほしいんだ、解熱剤や鎮痛剤もダメだよ?薬に入っているアスピリンが君に合わないと思う、」
説明される言葉に記憶をたどりだす。
もしかして?気づかされた事実に口開いた。
「雅人先生、10月に実家で発作を起こしたとき僕、寝る前に風邪薬を飲んだんです…それが原因だったということですか?」
10月、入隊前休暇で帰った夜の睡眠中に昏倒した。
あの原因を今教えてもらえる?この不安ひとつ解く笑顔が言った。
「うん、だから今度からこの薬にしような?もっと早く気づけなくてすまない、」
謝って頭きちんと下げてくれる。
こんな謝ってもらうなんて途惑う、ただ驚いて見つめるまま穏やかな声が続けた。
「アスピリン喘息って言ってな、解熱や痛み止めにつかうアスピリンって薬が喘息に合わないことがあるんだ。三十代から出ることが多いけど当然いろんなタイプがある、11月の時すぐ俺も気づけばよかったのに解からなかったんだ、すまない湯原くん、」
説明して謝ってくれる、こんなこと困ってしまう。
だって自分こそ良い患者といえない、それなのに責めず謝ってくれる主治医は言った。
「遠藤に言われるまで俺も気づかなかったんだ、おかげで助かったよ?ありがとな遠藤、」
困ったような笑顔が白衣姿へ頭下げる。
そんな同期に女医はショートヘアかき上げ笑ってくれた。
「専門医じゃないとアスピリン喘息の判断は難しいわよ、お礼の期待しとくわ?」
さらり笑って白衣ひるがえす。
デニムパンツの脚リズミカルに歩いて、ぱたん、扉向うへ消えると主治医が笑った。
「遠藤と湯原くんが知りあいになるって面白いな、遠藤の息子さんと友達なんだろ?大学の知り合いって訊いたけど、」
友達、
そういうことにしてくれてある、それは守秘義務のためでいる。
だから嘘も吐かなくてはいけない、それでもなにか面映ゆくて微笑んだ。
「はい、違う大学ですけど部活とかで…僕も先生と伊達さんのお母さんがお知り合いで驚きました、」
「だろな?でも運が良かった、」
笑ってくれる言葉に頷けてしまう。
本当に運がいい、この幸運に主治医が笑ってくれた。
「遠藤は喘息が専門なんだ、だから俺も湯原くんのこと相談させてもらってたよ。すこしでも体調を崩したらすぐ診てもらうと良い、家も近いんだろ?」
「はい、ありがとうございます、」
頷きながら首すじ熱くなってゆく。
これは嘘への恥だろうか、それとも「友達」の所為かもしれない?
そんな想い途惑いながら頬そっと押えたとき、扉ノックに開き呼ばれた。
「失礼します、湯原、迎えに来たぞ、」
あ、来てくれたんだ?
来てくれるなんて意外だ、でも来てくれた。
こんな展開すこし途惑わされて、けれど理由なんだか解かるようで笑いかけた。
「迎えって伊達さん、すぐ近くなのに?」
「風邪ひいたらコトだろ、油断するな、」
応えながら黒いコート脱いで来てくれる。
薄手のニット一枚にカーゴパンツ、そんな薄着で先輩は頭下げた。
「吉村先生ですね?伊達と申します、いつも湯原が世話になってすみません、」
こんな挨拶してくれるんだ?
なんだか気恥ずかしくて首すじまた熱くなる、その前で主治医は笑った。
「吉村です、俺こそ湯原くんのことありがとう、伊達くんがここに連れてきたお蔭で助かったよ?」
深い低い声が笑いかけた先、沈毅な瞳かすかに顰めさす。
けれど変わらない落着いた声は尋ねた。
「どういう意味ですか?」
「君のお母さんに診せたのが正解ってことだよ、」
答えながら薬たち袋へ入れてくれる。
その長い指先とめずに主治医は言ってくれた。
「伊達くんも知ってるだろうけど喘息は専門医じゃないと難しいとこもある、君のお母さんが先月に診たからリスクが一つ減らせるよ、俺じゃ危なかった、」
話してくれる言葉に医師ふたりの会話が見えてくる。
もう事情を互いに話した、そんなトーンに鋭い瞳が微笑んだ。
「あの女が役に立ったなら良かったです、帰るぞ湯原、」
言いながら荷物籠のダッフルコート出して肩掛けてくれる。
今すぐ立ち去りたい、そう態度に告げる青年へ主治医が言った。
「伊達くん、あとひとつ薬を出したいんだ。いま遠藤が探してるから待ってくれないか?」
いま女医が薬を取りに行っている、その事実に低く声遮った。
「わざとですか?」
いつもの落着いた声、けれど怒っている。
このトーン心配で見あげた先、沈毅な横顔は言った。
「湯原の喘息は前から診てるんですよね?薬も用意してこられたはずです、あの女に取りに行かせたのは何故ですか?」
穏やかに落着いている声、それなのに突くよう鋭い。
こんな言い方をこの人がしている?ないか怖い想いごとニットの腕にふれた。
「伊達さん、僕が風邪気味だからお薬出してくれることになったんです、ごめんなさい、」
「湯原が謝ることじゃない、コートちゃんと着ろよ?外寒いぞ、」
すぐ返してくれる言葉も声も落着いている。
それでも沈毅な瞳は主治医まっすぐ見つめて動かない、その眼差しに雅人が笑った。
「なんか兄と弟ってカンジだな?伊達くん、さっきから俺を疑う言い方するな?そんなに気に障ること言ったなら謝るよ、」
「謝る必要はありません、疑問に思っただけです、」
坦々と答える声は冷静で低い。
それが休日の今と不似合いで、不思議でコート着ながら尋ねた。
「伊達さん、なんか職場の時みたいな話し方ですね?」
なんで仕事中みたいな話し方するんだろう、まるで上司といるみたい?
そんな様子に不思議でつい尋ねた先、横顔ふりむいて言った。
「それより湯原、マフラーちゃんと巻けよ?喉とか絶対に冷やすな、俺は外で待ってる、」
言いながら黒いコート羽織り踵返してしまう。
その背中すぐ扉むこうへ消えて、ぱたん、入れ替わり奥の扉が開いた。
「お待たせ、風邪薬と万が一の鎮痛剤よ。これならアスピリン使ってないから大丈夫、でも体調くずしたら早めにおいで?」
薬袋ふたつ携えて涼やかな瞳が笑ってくれる。
色白の顔は四十過ぎて見えない、この若い母親に申し訳なくて頭下げた。
「ありがとうございます、あの、色々すみません、」
「なんで謝るのよ?湯原くん何も悪いことしてないよ、忘れ物ないかな?」
笑いかけて荷物籠の鞄を渡してくれる。
薬袋たちもビニール袋ひとつ纏めて、渡しながら女医は微笑んだ。
「何でも東吾に頼ってやって?口重たいとこあるけど、寂しがりな分だけ優しい賢い男だから。信じていいよ?」
ほら、この人は母親だ。
だから気持ち少し解かってしまう、だって自分も母と時間を過ごしてきた。
そして祖母の手紙も読んだ、あの言葉たち裏切れなくて女医の手そっと引いた。
「遠藤先生の言う通り信じます、だから先生も信じて?」
「え?」
どういうこと?そんなトーン涼やかな瞳すこし大きくなる。
その眼に笑って扉開いて、すぐ黒いコートの手つかんで笑いかけた。
「伊達さん、お母さんに新年のおめでとう言いました?親を大事にしないとバチ当ります、」
こんな申し出は「おせっかい」だ?
それくらい解かっている、けれど祖母の手紙を読んだ今はおせっかいでも何でも良い。
だって世界中の誰にもあんな想いさせたくない、だから引きあわせた母子の息子がため息吐いた。
「…湯原を診てくれてありがとな、今年もよろしく、」
坦々とした声はいつも通り真面目で落着いている。
それでも少し逸らした眼は温かい、そんな息子に涼やかな瞳が笑った。
「今年も朝ごはん作ってよ?恩に着るならよろしくね、湯原くんありがとう、」
ありがとう、なんてやっぱり烏滸がましかったかも?
我ながら「おせっかい」に気恥ずかしくて頭下げた。
「僕こそすみません、あの…ありがとうございました、」
「また遊びにおいで?寒いから気をつけて帰りなさいね、喘息に風邪は禁物だよ?」
色白の手かるく振って送りだしてくれる。
その笑顔に会釈して歩きだした隣、ため息ひとつ先輩が言った。
「湯原はおせっかいが趣味か?」
あ、やっぱり少し怒らせた?
申し訳なくて、けれど可笑しくてつい笑った。
「そうかもしれません、僕にもおせっかいしたい理由が出来たから、」
この「理由」この人に話したら聴いてくれる?
そんな想い笑いかけてシャープな瞳も笑ってくれた。
「その理由って聴けるのか?」
「伊達さんが聴きたいなら話しますよ、おせっかいじゃなければ、」
笑って応えながら少しまた近くなる。
こんな冗談みたいな言い方も今は出来る、その相手も可笑しそうに笑った。
「おせっかいか、俺も大概だって言うんだろ?」
「はい、でも感謝してますよ?ごはん美味しいですし、」
「独り飯ってホントは苦手なんだよ、」
笑いながら並んで歩く道、街路樹の梢ならす風が冷たい。
そっとマフラーかき寄せると温かで、この贈り主また想い願いだす。
―英二がお祖母さんの手紙を読んだら気づいてくれるかな、それとも、
祖母の手紙は「母親」の願いごと、それを読んだら英二は何を思うだろう?
母親への頑なすこし解くだろうか、それとも尚更に反発して拒絶するだろうか?
それでも英二、あの手紙あなたにこそ読んでほしい、その時いつか訪れるように。


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