To me alone there came a thought of grief 境界線の歌
第81話 凍歌 act.1-another,side story「陽はまた昇る」
低く静かに響く声、ひそやかに透って歌を紡ぐ。
歌詞は聞き取れなくて、けれど懐かしいような旋律が温かい。
どこかで聞いた歌だろうか?そんな思案と伏せる草地の上を歌ゆるやかに安らがす。
頬なぶる風に体感温度は零度を下がる、それでも温かな歌と凍えそうな空港の片隅に周太は微笑んだ。
「伊達さん、訓練中に歌なんて良いんですか?」
いま訓練の現場にいる、マスクの口もと透かして呼吸も凍てつく。
構えた小銃の望遠式ナイトスコープにジャンボ機を見つめてトリガーの指も冷たい。
この寒さ紛らしたい想いは同じ、それでも厳格な訓練に歌など良いのだろうか?その心配に鋭利な瞳が笑った。
「歌で紛らさないと辛いぞ?口から凍えそうだしな、湯原も寒いだろ?」
マスク越しの声は澱まない、けれど「凍えそう」は解かる。
伏せている体はシュラフに潜っていても寒い、その下に重ねる毛布もビニールシートも冷気は透す。
どれもが枯草色の保護色にそろえて草地へとけこんで、けれど消えない寒さに凍える口動かした。
「はい、マスクしても凍りそうで…ほんと寒いですね、」
「雪の耐寒訓練よりも空港の方が寒いんだ、海からの風が冷たくて、」
低い声の答えに冷風は塩気をふくむ。
寝そべったシュラフに被る毛布も凍てつく、アサルトスーツに重ねた防寒着を風はたく。
この寒さも事件が起きたなら構っていられない、そんな部署にいる現実を凍えるトリガーの指先そっと温もりふれた。
「人差指はとくに冷たいだろ?」
低く透る声に見た先、トリガーの人差指にカイロ当ててくれる。
この指だけはグローブも切られて素肌を晒さざるをえない、その冷たさに温度が沁みる。
「ありがとうございます、伊達さんこそ大丈夫ですか?」
「観測手は体を動かせるからな、」
応えながら左手は双眼鏡を構えて視線を逸らさない。
その右手がくれる温もりが有難くて、また信頼と感謝に前向いたまま尋ねた。
「いつも伊達さんは歌うんですか?」
「そうだな、ん…」
話しながら無線機かちり鳴る。
その気配に口噤んだ隣、低い声が告げた。
「エスワンからベース、Bチーム・シップ2・519、コックR動きなし。アッパードア異常なし。シップ2で青い光を確認、0.1秒、」
双眼鏡を覗きながら低く報告が透る。
その言葉どおりナイトスコープにジャンボ機の下あわい緑すぐ消えて、小銃を支える砂袋かさり鳴った。
「照準ずれてないか?直すぞ、」
無線を切り訊きながら砂袋を直してくれる。
いつもながら気遣いは温かい、このパートナーに視線は動かさず微笑んだ。
「ありがとうございます、戻りました、」
「スコープの光は大丈夫か、眼が疲れるだろう?」
また声かけてくれる気遣いに視界また赤くなる。
こんなふうナイトスコープは淡い緑や赤い発光が顔を映しだしてしまう。
そのため接眼部のゴム製ソフトアイに目を押しつけ続けて目が疲れて、けれど逸らせない視界に答えた。
「大丈夫です、」
応えながらも瞳孔から光線が射る。
こんな時間が空港の始まる1時間前まで続く、その凍てついた空気に低い声また歌う。
……
おーわいやれ おーわいやれおーわいやれ
おらえの子守コはどこさ行ったべ
あら町横町さ餅買いに おーわい
今えにくるから寝て待てろ
おーわい おーわい
寝ないとネズミにひかれるぞ
起きるとお鷹にさらわれる おーわい
坊やは良い子だ寝んねしな
おーわい おーわい おーわい
……
やわらかな旋律に訛りが優しい。
その紡がれる単語に気がついてスコープ見つめながら小さく笑った。
「…伊達さん、それ子守唄じゃないんですか?寝んねしなって…訓練中なのに、」
銃を構えた空港の片隅、子守唄なんて可笑しい。
つい笑った隣、低く透る声はさらり応えた。
「子守唄だ、落ち着けて良いだろ?」
冷静、けれど温かい声が笑っている。
そんな相手がまた楽しくて、つい微笑んだ隣から教えてくれた。
「これ歌うと変にテンション上げないで済むんだ、実家を想いだして冷静になれる、」
ああ、弟さんに歌っていたんだな?
そう気がつかされて切なくなる、だって「冷静になれる」理由が哀しい。
―実家を想いだして冷静って、それだけ家に複雑な気持ちがあるから…お母さんと弟さんと、
自分なら実家を想えば里心がつく、母を想いだしたらトリガー弾けなくなる。
それなのに伊達が冷静になれる底は多分、母への反発と弟の庇護者である自覚だろう?
家と弟を置き去りにした母、その全て背負ってきたプライドがあるからこそ「冷静になれる」と言う。
「伊達さん、この唄は…」
訊きかけて言葉を呑む、だって今ここで質問したら崩れる?
そんな想いに台詞すぐ切り替えた。
「眠気覚ましに歌うのに、子守唄って矛盾していませんか?」
スコープ見つめながら笑いかけた隣、低く透る声もそっと笑う。
空港ひろやかな闇の片隅、シュラフに伏せて監視する静謐に歌声また響く。
……
おーわいやれ おーわいやれおーわいやれ
おらえの子守コはどこさ行ったべ
あら町横町さ餅買いに おーわい
今えにくるから寝て待てろ…
……
低く静かな歌は凍夜に沁みる。
それは伊達の故郷が雪国な所為かもしれない、そう聞きながら懐かしい人また想ってしまう。
―英二は子守唄の記憶ってあるのかな…おばあさまや菫さんの歌はあっても、お母さんは…
祖母もナニーもあの人にはいる、母親もいる。
けれど母親は母として愛することが不器用で、だから歪な母子関係になってしまった。
『母は綺麗で優秀な息子にしか興味ないんだ、だから俺が怪我したら無視してたよ?母にとって俺は綺麗なお人形だ、』
ほら低く綺麗な声が自嘲に嗤う。
あの寂しい冷たい笑顔に比べたら今、隣の子守歌は温かい。
“伊達さん、この唄はお母さんが歌ってくれたんでしょう?”
そう訊いた時、いつか伊達は素直に笑ってくれるだろうか?
そうあってほしいと願ってしまう、だって隣の母親はずっと寄りそっていた。
『弟の小児喘息を治したのもあの女だからな。俺の父親もお人好しだから往診を許してたんだ、変な家だろ?』
そんなふう先月に伊達は話してくれた。
もしかして本人もあの日に知ったのだろうか、それが悔しいのかもしれない。
―往診のこと知らなかったら悔しいよね、家事も弟さんの面倒も自分がしていたのに…だからお母さんを責めたいのかな、
母が置き去りに棄てた家、弟、そして父。
その全てを自分が支えてきたはず、けれど棄てた本人が陰で支えていた。
それを「知らなかった」なら悔しいだろう?そんなことを考えていると泣きそうで、呼吸ひとつ切り替えた。
―今は現場にいるんだ、訓練中でも…今ここで考えるならもう一人のことだ、
今SATの訓練現場にいる、そこに相応しいのは「もう一人」だろう?
『今も使っているんだろう、同じ人間が2丁交互にな。そうすれば似たようなライフルマークになる、』
今も使っているのは見覚えのある「拳銃と弾丸」それは新宿署管内で押収された。
今も使っている、それなら今この現場のどこかに「同じ人間」がいる。
―お父さんを撃った狙撃手がいるはずなんだ、佐山さんに冤罪をきせた犯人がここに、
十四年前、父を撃ったのはラーメン店主の佐山じゃない。
あのガード下から暗い道に駆けて振向きざま急所を狙撃する、そんなこと素人に出来るはずがない。
まず普通なら目が眩むだろう、明るい所から暗い道に出てすぐ明るい方を振向けば瞳孔の収縮が間に合わない。
なにより「明るいガード下の人間」を暗い道から見たらシルエットになるはず、それを心臓を撃つなんて素人じゃない。
―どう考えても佐山さんには出来なかったんだ、偶然の一発なんてありえない、
初めて発砲した一発が心臓まっすぐ狙撃する、そんな確率は零パーセント近似値だ。
これくらい冷静に考えれば銃に携わる誰でも解かる、けれど今まで気づけなかったのは「2丁交互」を考えていない。
けれど本当は気づいていた人間もいたかもしれなくて、それでも隠匿された真相は今この場所にいるのだろうか?
―いま誰を狙っているんだろう、その人は…あの人の命令で誰かを?
睦月中旬の夜は凍える、その底で「もう一人」はスコープを覗くのだろうか?
それは自分と同じ時間でいるかもしれない、そしていつか照準は自分にも向くのだろうか。
そんな想い佇んだ凍夜の闇の底は海風が冷たく凍えて、それでも遠い街の灯と子守唄は温かい。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」/山形県民謡「おわいやれ」】
【資料出典:伊藤鋼一『警視庁・特殊部隊の真実』】
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第81話 凍歌 act.1-another,side story「陽はまた昇る」
低く静かに響く声、ひそやかに透って歌を紡ぐ。
歌詞は聞き取れなくて、けれど懐かしいような旋律が温かい。
どこかで聞いた歌だろうか?そんな思案と伏せる草地の上を歌ゆるやかに安らがす。
頬なぶる風に体感温度は零度を下がる、それでも温かな歌と凍えそうな空港の片隅に周太は微笑んだ。
「伊達さん、訓練中に歌なんて良いんですか?」
いま訓練の現場にいる、マスクの口もと透かして呼吸も凍てつく。
構えた小銃の望遠式ナイトスコープにジャンボ機を見つめてトリガーの指も冷たい。
この寒さ紛らしたい想いは同じ、それでも厳格な訓練に歌など良いのだろうか?その心配に鋭利な瞳が笑った。
「歌で紛らさないと辛いぞ?口から凍えそうだしな、湯原も寒いだろ?」
マスク越しの声は澱まない、けれど「凍えそう」は解かる。
伏せている体はシュラフに潜っていても寒い、その下に重ねる毛布もビニールシートも冷気は透す。
どれもが枯草色の保護色にそろえて草地へとけこんで、けれど消えない寒さに凍える口動かした。
「はい、マスクしても凍りそうで…ほんと寒いですね、」
「雪の耐寒訓練よりも空港の方が寒いんだ、海からの風が冷たくて、」
低い声の答えに冷風は塩気をふくむ。
寝そべったシュラフに被る毛布も凍てつく、アサルトスーツに重ねた防寒着を風はたく。
この寒さも事件が起きたなら構っていられない、そんな部署にいる現実を凍えるトリガーの指先そっと温もりふれた。
「人差指はとくに冷たいだろ?」
低く透る声に見た先、トリガーの人差指にカイロ当ててくれる。
この指だけはグローブも切られて素肌を晒さざるをえない、その冷たさに温度が沁みる。
「ありがとうございます、伊達さんこそ大丈夫ですか?」
「観測手は体を動かせるからな、」
応えながら左手は双眼鏡を構えて視線を逸らさない。
その右手がくれる温もりが有難くて、また信頼と感謝に前向いたまま尋ねた。
「いつも伊達さんは歌うんですか?」
「そうだな、ん…」
話しながら無線機かちり鳴る。
その気配に口噤んだ隣、低い声が告げた。
「エスワンからベース、Bチーム・シップ2・519、コックR動きなし。アッパードア異常なし。シップ2で青い光を確認、0.1秒、」
双眼鏡を覗きながら低く報告が透る。
その言葉どおりナイトスコープにジャンボ機の下あわい緑すぐ消えて、小銃を支える砂袋かさり鳴った。
「照準ずれてないか?直すぞ、」
無線を切り訊きながら砂袋を直してくれる。
いつもながら気遣いは温かい、このパートナーに視線は動かさず微笑んだ。
「ありがとうございます、戻りました、」
「スコープの光は大丈夫か、眼が疲れるだろう?」
また声かけてくれる気遣いに視界また赤くなる。
こんなふうナイトスコープは淡い緑や赤い発光が顔を映しだしてしまう。
そのため接眼部のゴム製ソフトアイに目を押しつけ続けて目が疲れて、けれど逸らせない視界に答えた。
「大丈夫です、」
応えながらも瞳孔から光線が射る。
こんな時間が空港の始まる1時間前まで続く、その凍てついた空気に低い声また歌う。
……
おーわいやれ おーわいやれおーわいやれ
おらえの子守コはどこさ行ったべ
あら町横町さ餅買いに おーわい
今えにくるから寝て待てろ
おーわい おーわい
寝ないとネズミにひかれるぞ
起きるとお鷹にさらわれる おーわい
坊やは良い子だ寝んねしな
おーわい おーわい おーわい
……
やわらかな旋律に訛りが優しい。
その紡がれる単語に気がついてスコープ見つめながら小さく笑った。
「…伊達さん、それ子守唄じゃないんですか?寝んねしなって…訓練中なのに、」
銃を構えた空港の片隅、子守唄なんて可笑しい。
つい笑った隣、低く透る声はさらり応えた。
「子守唄だ、落ち着けて良いだろ?」
冷静、けれど温かい声が笑っている。
そんな相手がまた楽しくて、つい微笑んだ隣から教えてくれた。
「これ歌うと変にテンション上げないで済むんだ、実家を想いだして冷静になれる、」
ああ、弟さんに歌っていたんだな?
そう気がつかされて切なくなる、だって「冷静になれる」理由が哀しい。
―実家を想いだして冷静って、それだけ家に複雑な気持ちがあるから…お母さんと弟さんと、
自分なら実家を想えば里心がつく、母を想いだしたらトリガー弾けなくなる。
それなのに伊達が冷静になれる底は多分、母への反発と弟の庇護者である自覚だろう?
家と弟を置き去りにした母、その全て背負ってきたプライドがあるからこそ「冷静になれる」と言う。
「伊達さん、この唄は…」
訊きかけて言葉を呑む、だって今ここで質問したら崩れる?
そんな想いに台詞すぐ切り替えた。
「眠気覚ましに歌うのに、子守唄って矛盾していませんか?」
スコープ見つめながら笑いかけた隣、低く透る声もそっと笑う。
空港ひろやかな闇の片隅、シュラフに伏せて監視する静謐に歌声また響く。
……
おーわいやれ おーわいやれおーわいやれ
おらえの子守コはどこさ行ったべ
あら町横町さ餅買いに おーわい
今えにくるから寝て待てろ…
……
低く静かな歌は凍夜に沁みる。
それは伊達の故郷が雪国な所為かもしれない、そう聞きながら懐かしい人また想ってしまう。
―英二は子守唄の記憶ってあるのかな…おばあさまや菫さんの歌はあっても、お母さんは…
祖母もナニーもあの人にはいる、母親もいる。
けれど母親は母として愛することが不器用で、だから歪な母子関係になってしまった。
『母は綺麗で優秀な息子にしか興味ないんだ、だから俺が怪我したら無視してたよ?母にとって俺は綺麗なお人形だ、』
ほら低く綺麗な声が自嘲に嗤う。
あの寂しい冷たい笑顔に比べたら今、隣の子守歌は温かい。
“伊達さん、この唄はお母さんが歌ってくれたんでしょう?”
そう訊いた時、いつか伊達は素直に笑ってくれるだろうか?
そうあってほしいと願ってしまう、だって隣の母親はずっと寄りそっていた。
『弟の小児喘息を治したのもあの女だからな。俺の父親もお人好しだから往診を許してたんだ、変な家だろ?』
そんなふう先月に伊達は話してくれた。
もしかして本人もあの日に知ったのだろうか、それが悔しいのかもしれない。
―往診のこと知らなかったら悔しいよね、家事も弟さんの面倒も自分がしていたのに…だからお母さんを責めたいのかな、
母が置き去りに棄てた家、弟、そして父。
その全てを自分が支えてきたはず、けれど棄てた本人が陰で支えていた。
それを「知らなかった」なら悔しいだろう?そんなことを考えていると泣きそうで、呼吸ひとつ切り替えた。
―今は現場にいるんだ、訓練中でも…今ここで考えるならもう一人のことだ、
今SATの訓練現場にいる、そこに相応しいのは「もう一人」だろう?
『今も使っているんだろう、同じ人間が2丁交互にな。そうすれば似たようなライフルマークになる、』
今も使っているのは見覚えのある「拳銃と弾丸」それは新宿署管内で押収された。
今も使っている、それなら今この現場のどこかに「同じ人間」がいる。
―お父さんを撃った狙撃手がいるはずなんだ、佐山さんに冤罪をきせた犯人がここに、
十四年前、父を撃ったのはラーメン店主の佐山じゃない。
あのガード下から暗い道に駆けて振向きざま急所を狙撃する、そんなこと素人に出来るはずがない。
まず普通なら目が眩むだろう、明るい所から暗い道に出てすぐ明るい方を振向けば瞳孔の収縮が間に合わない。
なにより「明るいガード下の人間」を暗い道から見たらシルエットになるはず、それを心臓を撃つなんて素人じゃない。
―どう考えても佐山さんには出来なかったんだ、偶然の一発なんてありえない、
初めて発砲した一発が心臓まっすぐ狙撃する、そんな確率は零パーセント近似値だ。
これくらい冷静に考えれば銃に携わる誰でも解かる、けれど今まで気づけなかったのは「2丁交互」を考えていない。
けれど本当は気づいていた人間もいたかもしれなくて、それでも隠匿された真相は今この場所にいるのだろうか?
―いま誰を狙っているんだろう、その人は…あの人の命令で誰かを?
睦月中旬の夜は凍える、その底で「もう一人」はスコープを覗くのだろうか?
それは自分と同じ時間でいるかもしれない、そしていつか照準は自分にも向くのだろうか。
そんな想い佇んだ凍夜の闇の底は海風が冷たく凍えて、それでも遠い街の灯と子守唄は温かい。
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」/山形県民謡「おわいやれ」】
【資料出典:伊藤鋼一『警視庁・特殊部隊の真実』】
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