萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 雪嶺 act.15-side story「陽はまた昇る」

2015-07-23 23:25:04 | 陽はまた昇るside story
And not in utter nakedness 発露一秒の前
英二24歳3月



第83話 雪嶺 act.15-side story「陽はまた昇る」

ざぐり、ざくっ、

アイゼン踏む雪が硬くなる。
もう雪崩の流域は超えた、森林限界も近くなる。
あと少し、息白く見つめる背中で咳まだ止まない。

「こんっ…こほっ、」
「周太、もう少しだぞ、」

背中へ声かけピッケルを前へ撃つ、フラットに踏みだしアイゼンの底を探る。
サングラスの視界まばゆく雪嶺ひろい、その涯から澄んだ声が徹った。

「みやたっ、こっちだ!」

呼ばれて見つめた先、スカイブルーのウェア姿が駈けてくる。
冬枯れた黒い森、白銀まばゆい急斜面、その境を仲間3人が迎えてくれる。
青い姿たちはサングラス越しにも眩しい、その先頭をきたザイルパートナーに英二は笑った。

「国村さん、出迎えありがとうございます、」
「礼はあとでキッチリ聞くよ、それより周太こっちに寄越しな、」

森へ引っ張りこまれ座らされる、その言動が意外で尋ねた。

「このまま俺が背負って降ります、」
「上官の言うことは聴きな、谷口、井川、SATサンの搬送よろしく、」

否応なくザックのハーネス外される。
肩もストラップ脱がされて瞬間、ずきり激痛はしった。

「ぅぐっ、」

声こぼれて激痛が左肩きしむ。
なにが起きたのだろう?現実の痛み驚きに言われた。

「雪崩に直撃したんだ、怪我ナンも無いわけないだろが?空身で下山してもらうよ、」

澄んだテノール言いながらサムスプリント出す。
慣れた仕草すぐ左の腕から肩に巻かれて、固定包帯で止めてくれた。

「おまえも下界でキッチリ診てもらうからね、さっさと降りるよっ、」

きれいな唇の端あげてサングラスの目が笑う。
底抜けに明るい眼差しは変わらない、ただ信頼と微笑んだ。

「ザックは預けます、でも周太を背負わせてください、」

あと少し、どうか自分が負って降りたい。
けれど上官はからり笑った。

「そりゃ無理だね、肩にヒビ入ってるやつに背負わすとか安全じゃない、」
「いま応急処置してくれたから大丈夫だ、」

大丈夫、そう言いながらも激痛じくり響く。
自分の体に何が起きたのか、もう解かるまま言われた。

「大丈夫じゃない、雪に埋まって冷えて痛み抑えられてるダケだ、肋骨もヤられてるね、全身打撲まみれだこの馬鹿たれっ、」

叱りつけてくれながらサムスプリントまた巻いてくれる。
あざやかな手つきに感謝しながら英二は微笑んだ。

「ありがとな光一、でも警察学校で周太をレスキューしたって話したろ?あのとき最後まで背負いきれなくて後悔してるんだ、もう後悔したくない、頼む、」

きっと肩甲骨いくらか割れている、肋骨も疼きだした。
それでも繰り返したくない後悔へきれいに笑った。

「お願いだ光一、これが最後のレスキューかもしれないから背負わせてくれ、頼むよ?」

この骨折が致命傷になるかもしれない。
そうなれば山岳救助隊はもちろんクライミング自体やめざるをえない。
だからこそ今この時を背負って後悔も未練も断ちたい、その願いに上官はため息吐いた。

「まったく馬鹿男だねえ、英二は、」
「俺は大馬鹿だよ、よく知ってるだろ?」

笑って立ちあがり、ずきり激痛が脊髄つんざく。
あのとき氷のブロックに乱打された、その痛み隠し微笑んだ。

「バカげた意地だって解かってる、でも周太は無事に下山させるから信じてくれ、」

笑いかけザイル掴み歩きだす。
ざくり、ざくっ、雪踏むごと痛覚ひき裂かれて熱い。

―鋸尾根のときも痛かったな、足首を脱臼して自分で嵌めて、

ちょうど去年の今ごろだった。
巡回中に遭った雪崩に流され谷底へ滑落した、あの痛みまだ生々しい。
いま同じ感覚が全身をくるんでくる、それでも一年前は耐えたプライドにザイルパートナーが言った。

「宮田のガイドロープは俺がやる、谷口は宮田のザックと最短距離よろしくね、井川は消防に連絡、喘息発作1名に全身打撲1名、」

指示に先輩ふたり頷いてくれる。
どちらも寡黙、けれど穏やかな強靭たちに頭下げた。

「谷口さん、井川さん、よろしくお願いします、」
「こちらこそ、」

肯いてくれる井川の笑顔はやわらかい。
この先輩とは未だ話しこんだことないな?そんな感想に意図を気づく。

―そうか、周太と面識がない人選だ、

谷口と井川の異動は12月、周太が七機から消えた後だった。
きっと「万が一」を配慮したのだろう、その周到に納得と笑いたくなる。

―俺が周太のマスクを外すことも計算済みか、さすが光一だな、

上司かつザイルパートナーに信頼また篤くなる。
ほんとうに自分をよく解ってくれてるな?感謝に微笑んで、ふっと視界ゆれた。

「…っ、」

ぐらり、

そんな感覚が背骨から襲う。
瞬きひとつ戻して、けれど背から額まで熱のぼせだす。

―傷の発熱だ、でも保つだろな?

ここまでくれば幕営ポイントは遠くない。
そこへ着けば勝利ひとつ決まる、痛み隠して雪に片膝ついた。

「周太、あと少しだ、一緒に帰ろう?」

笑いかけ背中むけ、ザイル絡め背負いこむ。
その腕が肩が熱うずいて軋む、それでも立ちあがった。

「…っ、」

神経が裂かれる、痛い。
けれど今ここで逃げるなんて嫌だ、絶対に一生ずっと後悔する。

―もう二度と投げ出さないって決めたんだ、何を引き換えにしても俺は、

この人を護るのは自分、そう決めている。
そのために手放したくない全ても自分は賭けた、今ごろは書類とっくに受理されている。

―朝一の郵便で届いたろうな、今ごろ中森さんに見せられて、

昨日、封緘一通を速達で出した。

だからもう届いているだろう、読んで、そして祖父は笑ったろうか?
もし笑ってくれたなら少しは孝行になるだろう、想い歩きだして息が白い。

―こんな所は知らないんだろうな、祖父は…父さんも、

あの祖父は山に登ったことがあるのだろうか?
そんな疑問ひとつに父も見てしまう、あの父は登山のこと少し言っていた。

『私には想像つかない世界だ、でも全く知らないわけでもないよ、』

全く知らないわけでもない、それは当然だろう?

―きっと馨さんから話を聴いてる、子供だった馨さんから、

周太の父親、馨と自分の父は母親同士が従姉妹だから再従兄弟、はとこの関係になる。
その幼い日ふたりは遊び仲間だった、そんな時間に父は山を聴いたろう。

―でも俺が周太を背負って歩いてるなんて、考えつかないだろうな?

ざぐりっざくっ、
アイゼンに雪を踏み降りてゆく、その音ごと現実は近づく。
この道を降りてしまったら自分たちはどうなるのか、そこにある未来が傷に疼く。

だって自分で決めてしまった、君の近くには長くいられない。

「周太、咳すこし楽になったか?我慢はしないで良いぞ、」

肩ごし笑いかけて、ほら黒目がちの瞳が近い。
長い睫すこし潤んで見える、発作で熱が出たのだろう、そんな眼差しが微笑んだ。

「ありがと…こほっ、さっき薬飲ませてもらったから、だいじょっ…こんっ、」
「無理に返事しなくてもいいよ、聴いててくれたら、」

笑いかけまた前を向き歩きだす。
うなじ時おり咳ふれる、その温もりすら今は愛しい。
愛しくて大切で、唯このひと時が永遠ならと願ってしまうのは慾深いだろうか?

「周太、また奥多摩の雪を見せたいよ?桜もいいな、」

背中ごし話しかけて、ほら、もう懐かしい。

―秀介は元気かな?藤岡と原さん柔道の稽古中だろな、岩崎さんは巡回で後藤さんも、

雪の森を歩く時間、あの懐かしい山嶺が映りだす。
あの小学生は勉強きっと頑張っている、同僚たちは汗を流す、それから山を駆ける。
そんな日常風景あざやかに銀色の木洩陽へ映る、あの場所にもういちど帰りたい、どうしても。

「帰ろうな周太、体治して奥多摩に行こう?」

願い言葉に微笑んで、そっと痛み軋んでしまう。
これは傷の痛みだろうか?前を向いたままの背に体温ひとつ、言葉こぼれた。

「あったかい、英二のせなか…」

ほら、君はそうやって引留める。

言葉が温かい、背中ふれる体温が温かい、だから離れられなくてこんな所まで追ってしまった。
それでも下りたら麓の現実がある、もう少しで手放さなくてはならなくなる。
その決心ずっと昨夜も見つめて、それなのに瞳から一滴こぼれた。

―離せない、どうしても俺は、

どうしても君を離せない、だって自分こそ温められている。
それでも離れないといけない、だって君を無傷で幸せにしたい。
君の幸せを完成させたい、護りたい、その願いごと呼吸ひとつ笑った。

「背中もぜんぶ、周太のものだよ?」

この自分は君のもの。

そう決めたのは自分、だから君のため何でも出来る。
そう信じて言い聞かせて今日まで自分はやってきた、だから今ここで君を救える。

それでもまだ完全に終わったわけじゃない、真実の救済はこの森の先に。



(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村

blogramランキング参加中! 人気ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第83話 雪嶺 act.14-side s... | トップ | 第83話 雪嶺 act.16-side s... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陽はまた昇るside story」カテゴリの最新記事