萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 雪嶺 act.26-side story「陽はまた昇る」

2015-09-01 22:58:38 | 陽はまた昇るside story
A Presence which is not to be put by 不可避の眼
英二24歳3月



第83話 雪嶺 act.26-side story「陽はまた昇る」

眠りの浮上、瞳ひらかれて月が遠い。

フロントガラスのむこう雲が動く、まだ昏い空を月は閃かす。
雪はもう止んだ、そんな夜空の車窓に英二は運転席をふりむいた。

「…ごめん光一、俺寝てたな、」

いつのまに眠ったのだろう?
もう高速道路を走る車中でザイルパートナーは微笑んだ。

「無理ないね、怪我の熱まだあるんだろ?寝たきゃ寝ときな、」

ほの暗い車窓、横顔は白い。
慣れた手つきでハンドルさばく上官に笑いかけた。

「ありがとな、今どの辺?」
「韮崎はこえたよ、まだ2時間オヤスミできるね、」

テノール謳うよう応えてくれる、そのトーンが優しい。
今それだけ気遣ってくれる理由に尋ねた。

「周太は?」

今、あの人はどこにいる?

『ん、また明日…』

また明日、そう笑ってくれた病室から今もう遠い。
明日また会いにくると自分も約束した、それなのに離れゆく車上テノールが告げた。

「警察病院へ護送中だよ、おふくろさんも一緒だ、あの黒虎みたいな男もね?」

その喩え肯けてしまうな?
こんな時なのについ可笑しくて笑ってしまった。

「たしかに黒虎って感じだな、あの門番、」

沈毅で深い瞳、シャープな頬のライン、小柄でも鋭敏ひきしまった体躯。
厳しい寡黙な貌のクセどこか大らかで優しい、そんな印象は大型野生獣と似ている。

―優秀で獰猛なくせに優しい、信頼できそうだな、

黒虎、そう呼ばれて相応しい男。
あの男なら「つかえる」だろうか、思案しかけて言われた。

「ふん、やっぱりオマエ周太のトコ行ったね?門番の貌を知ってるなんてさ、」

しまった、ひっかけられたな?

―こんな簡単なトラップに斯かるなんて、俺も甘いな、

自分で可笑しくて笑ってしまう、こんなに自分は隙だらけだ?
その隙突いた相手も瞳細め笑った。

「黒虎への嫉妬でつい言っちまったんだろ?ホントおまえは周太が弱点だね、」
「そのとおりだな、」

素直に頷きながら現状を掴みだす、きっとこのまま「尋問」だろう?
そんな車窓に月あおぎながら口火を切った。

「光一、周太の処分はどうなった?」

これだけは確かめないといけない。
その責任を夜の運転席は微笑んだ。

「まだ聞いてないね、どっちにしても黒虎クンが護ってくれるんじゃない?」

また引っ掛る言い方してくれる。
こんな態度もしかない責任に笑いかけた。

「迷惑ばかりごめん、光一と俺の処分はどうなった?」

狙撃員の素顔を曝した、その責任は不問になるはずがない。

『おまえが懲戒免職になるとか有得ないね、解かって言ってんだろ?警察きっての広告塔クン、』

さっき病室で言われたことは「不問」の代案を示す。
それが明日をどこへ向けるのか?気懸りへ横顔は笑った。

「周太の後で訊くんだからねえ、ホントおまえって周太が世界全部だね?」
「茶化さないで教えろよ、」

すぐ訊き返した車中、夜の窓に横顔ほの白い。
秀麗な面ざしは繊細で、けれど強靭まっすぐな瞳がふり向いた。

「宮田は警視庁山岳会の将来まるっと背負ってもらうよ、俺よりずっとリーダー適任だね、」

どういう意味だ?

「光一、おまえよりってどういう意味だ?」

今なんて言ったのだろう、何を背負えと言われた?
理解したくない言葉の続きをテノールは笑った。

「山岳レンジャーの幹部候補だった俺のポストにおまえが就くってコト、またご褒美の特進あるからね?」

なんだろう、肚底なにか砕けた?

「だった、って…どういう意味で言ってる?」
「おまえは巡査部長から警部補に特進ってコト、口封じもあるからさ、」

薄闇からりテノールが笑う。
いつもどおり声は澄んで明るい、変わらないからこそ本気だと解かる。

『報告ってほうがアタリだね、』

そう病室でも言っていた、今その通り「報告」されている?
そんな空気ただ穏やかに白い横顔は続けた。

「おまえは4月から救急救命士のガッコだからね、卒業まで2年間は黒木が小隊長してくれるから安心して勉強しろよ?ガッコと仕事の両立は大変だろうけどね、キッチリ資格とって就任したほうが誰もナットクしやすいだろ?シッカリ出世して山岳会に尽くしなね、今回かなり蒔田さんと後藤さんの世話なったからさ、」

昏い車窓をテノールが明るい。
そのままに横顔の眼ざしも澄んでいる、けれど自分は呑みこめず訊いた。

「4月から黒木さんが小隊長って、じゃあ光一はどのポストに就くんだよ?」

もし昇進なら「だった」なんて言わない。
けれど今たしかに言った相手はハンドル離さず笑った。

「俺は辞めるよ、」

いま、なんて言った?

「光一、辞めるってどういうことだよ?」

この男が「辞める」なんてあるのだろうか?
こんなこと信じられない、けれど明朗な横顔は笑った。

「警察を辞めるってコト、やっと自由だね、」

自由、そう笑った声が澄んで明るい。
嘘なんて欠片も無い透明な声、だから信じられなくて訊いた。

「やっと自由って光一、嫌々ながら警察にいたってことかよ?」
「だね、前にもソレ言ったはずだよ?」

謳うようテノール応えてくれる。
白い横顔まっすぐフロントガラス見ながらザイルパートナーは言った。

「俺が警察の山岳救助隊に入ったのは後藤のオジサンに勧められたからだって話したよね、で、従った理由は二つあるワケ。ひとつはオヤジと仲良かった後藤さんへの義理立てだよ、死んじまったオヤジの代りに俺をいっぱしの山ヤに育てようって気持ち解かるからさ、断れなかったワケ、」

話してくれる言葉に鼓動そっと軋みだす。
今やっと抱えていた本音を聴かせてくれる、その瞬間に問いかけた。

「もうひとつの理由は、雅樹さんだろ?」

きっとそうだ、この男には。
この一年半ずっと共に登ってきた、そして積まれた信頼に微笑んだ。

「雅樹さんが亡くなった現実から逃げたい気持ちが山にまとわりつくんだろ、でも山を棄てたくなくて、雅樹さんを追いかけたくて山を仕事に選んだろ?」

話しながら雪嶺の窓、槍ヶ岳の瞬間が映りだす。

『俺と約束してくれた、あのときの雅樹さんと同じ年になったんだよ!…雅樹さんと同じように、山で、レスキューしてんだよっ!』

記憶の底テノールが雪の尾根に泣く、あの涙が自分の何かを変えた。
あの瞬間から胸ふかく何か燈っている、だからこそ受けとめたい決断に訊いた。

「光一、警察を辞めて医者になるのか?雅樹さんと同じ医科歯科大で、」

この選択ずっと選びたかったのだろう?
そう今なら解かる、それだけ過ごした共通の時間の涯、ザイルパートナーは綺麗に笑った。

「正解、さすがザイルパートナーだね、」

ほら、もう前に進むんだ?

そんな笑顔は今まで見たどれより眩しい。
フロントガラス真直ぐな視線は迷わない、その横顔に引留める理由あるだろうか?

「かっこいいな、光一は、」

さらり本音こぼれて自分を省みる。
いま隣は新しい道を選んだ、そして自分はどこへ行くのだろう?

―俺は俺の選んだ道しかない、まったく違う道だけど、

いま隊舎へ戻る道、その先に自分が帰るのは隣と違う場所。
そこは大きく隔たった世界で、そう解かるから今この時が愛しくて笑った。

「医者になるなら光一、奥多摩で警察医もやるんだろ?警察官の経験が生きるもんな、」

あの人は故郷の警察医になると言っていた、だからその父親もデスクに写真を置いている。
その想い知る自分こそ理解してあげたい、そんな願いへ底抜けに明るい眼は笑ってくれた。

「そのツモリだよ、またオマエの同僚になるかもしれないけどヨロシクね?」
「こっちこそよろしくな、遠征訓練にもドクターとして指名させてもらうよ、」

新しい約束と笑いかけて、運転席の眼ざし一瞬だけ動く。
ほんの一瞬、けれど確かに見つめてくれた瞳は楽しげに笑った。

「山の医者としてオマエのサポートしてやるよ、だから最高の山ヤの警察官になりな?」

その約束、肯けたらいい。

―でもごめん光一、俺は警察にずっといられるか解からない…祖父の跡を継ぐから、

この約束に肯きたくて、けれど決めた選択も変えられない。
この不自由と引き替えに救いたい人がいる、その唯ひとり見つめたい名を言われた。

「英二、たぶん周太は除隊処分になるよ、覚悟しときな?」

やっぱり解かってくれている。

―覚悟って、光一もう解かってるんだ、俺のことも、

もう理解して、それでも約束を言ってくれた。
それだけの信頼と託してしまった責任に微笑んだ。

「ごめんな光一、名前を変えることも話したりして重たかったよな?」

もう自分は祖父の姓になった。
その手続きは当然の報告義務がある、だから昨日に書類は手渡した。
ただ書類一通、そこにある軽くない現実に上官の男は笑ってくれた。

「部下は重たいほどカワイイもんだね、あとちょっとだけど可愛がらせてもらうよ?」
「光一の可愛がるはシゴキだろ?」

笑いかえしながら肚深く熱くなる。
この明るい声に笑顔に自分はいくども救われた、その想い瞳あふれて窓に向き微笑んだ。

「それで光一、俺のこと尋問するつもりで同乗させたんだろ?聴きたいこと訊けよ、あの官僚のことでもなんでもさ、」

あと一ヶ月もない、こうして共に現場を駆けることは。
あと何日あるのだろう、考えながら目元ぬぐう傍から言われた。

「そうだねえ、おまえの正体を知っても身の安全が保障されるんなら訊きたいね?」
「それくらい俺も考えて話すよ、」

言いかえす声だけは笑って、でも頬ゆるやかに濡れてゆく。
こんなふう自分が泣くなんて知らなかった、すこしの途惑いに透明な声は微笑んだ。

「まず訊きたいのはね、警察を辞めてもアンザイレンパートナーは辞めないでくれるかってコトだよ?どうかね英二、」

そうか、こういう男だから自分は泣くんだ?

アンザイレンパートナーを辞めないでくれる、それは自分こそ願いたい。
だって自分には結局のところ「山」だけだ、その現実と本音に肚から笑った。

「光一が登ろうって誘ってくれる限り辞めないよ、俺だって八千峰に登りたい、」

この男しか自分にはいない、八千峰を叶えるなら。
そう信じて一年半を共に駈けた相手は大らかに笑った。

「八千峰に登るよ英二、何年かかっても踏破だ、」

透けるよう明るい深い声が笑う、その瞳は底抜けに明るい。
こういう男だから自分も「山」に惹きこまれた、そして唯ひとつ自由を見れる。

「そうだな、何年かかっても俺にビレイさせてくれ、」

笑って応える視界、窓の雪嶺やわらかく滲む。
頬ゆるやかに雫つたう、濡れてゆく肌感覚に温もり沁みてゆく。
こんなふうに泣けるほど信頼ふりつもっている、そして辿りついた涯の今、雪嶺の空は月まばゆい。


(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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