萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

secret talk16 短夜月―dead of night

2013-08-14 23:18:41 | dead of night 陽はまた昇る
嘘、優しい束縛



secret talk16 短夜月―dead of night

雫あわい肌の夢、抱いたまま瞳が開く。
腕に胸に夢は名残らす、けれど視界はシーツの空白だけ。
確かに抱きしめ微睡んだ、その記憶くゆらす肌に吐息こぼれた。

「…嘘、言ったんだな」

明日は6時半に出るから5時半に起こして?

昨夜そう言われたのに5時25分のベッドは独り横たわる。
いつも時間通り起きる体内時計に頼まれセットした時刻、それが嘘だった。
そう気づかされる空白のシーツは薄青い波ゆるやかで、幸せだった夏の海を見せられる。

-この桜貝ふたつ離れてないね…きれい、

波打ち際の貝殻は春の花と似ていた。
ゆるやかな黄金よせる海に素足を濡らす、あの足首の裾は自分が折り上げた。
ゆっくり沈む真夏の夕陽は波音ひそやかにざわめいて、長い影のキスは潮騒あまく香った。
あの日の幸福は時経るごと鮮やかで今、置き去りにされた目覚めに痛む。

「これで2度め、だな…」

記憶に独り言こぼれて、優しい声の嘘を数える。
初めて嘘を吐かれたのは梅雨の夕暮れ、恋人は独り泣くために行先を欺いた。
二度めの今は時刻で嘘を吐いた、そして見送りすら拒絶して独り行ってしまった。
そんな置き去りの暁に思い知らされる、幸せの時間は想う以上に短い。

「…見送りくらい、なぜ…だよ、」

零れる想い涙あふれて、空白のシーツに波紋ひとつ染みになる。
この白い波に昨夜は募るまま素肌を抱きしめて、濃く深く恋愛の繋がりを刻みこんだ。
愛しい肌交わす夜は短くて、けれど信じた以上に短い時だったと今この空白に思い知らされる。

-逢いたい、今すぐ、

空白の傷が本音を言う、けれど叶わぬ願いと解っている。
それでも体は起こされ床のシャツを拾い、コットンパンツ履いた脚が部屋から出た。
まだ薄暗い廊下、けれど微かな気配に隠した足音を辿らせる。

「間に合え、」

願い声に出して逢いたい想い駆け出してゆく。
微睡み前の静謐を自分の足音だけ目覚めだす、その視線に玄関先を窓が見せていく。
そして見つけたボストンバック提げる人影に英二は笑った。

「見つけた、」

時は短い、だから次を願う窓から黄金の暁に明るみだす。






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霹靂に秋、時狭間の宵は 

2013-08-12 22:16:02 | お知らせ他
こんばんわ、眠いです、笑

さっきUPの「初陽の音、睦月act.2」は加筆終わり、校正ちょっとです。
このあと「七彩の光The middle stage」を掲載予定しています。

今夜は雷雨の関東圏、夏の終わり告げる天候は秋を想わせます。





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向日葵、青×黄色

2013-08-12 00:15:03 | 雑談
空仰ぐ、



向日葵、青×黄色

こんばんわ、熱暑な日本列島でしたが無事ですか?

昼食べに出たついで、向日葵畑へ行ってみたらコンナ感じでした。
すこしずつ時期をずらして咲くよう播種されて区画ごと蕾・満開・種となってます。
そんなワケで今なら向日葵の生涯を見られるんですけど、そういうの自由研究にイイかもしれませんね、笑

向日葵、ひまわりは夏の代表的な花ですが。
強い日差しに透ける花びらも、グラデーションになる種たちも面白い花だなって思います。
で、自分はなんだか蕾が好きなんですよね、薄緑の色も細かい細工みたいな形も良いなって観てしまいます。



いま第67話「陽照2」加筆ほぼ終わりました、また校正ちょっとしますが。
このあと短編ひとつUPしたいけど、寝落ちしたら遅くなります。笑

取り急ぎ、



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第67話 陽照act.2―side story「陽はまた昇る」

2013-08-11 11:23:05 | 陽はまた昇るside story
炎陽、晩夏を灼く 



第67話 陽照act.2―side story「陽はまた昇る」

垂壁に登山靴の底が駈け、繰るザイルに熱を握りこむ。
見あげる空の炎天は本チャンと変わらない、けれどコンクリートの壁は素っ気ない。
無機質、そんな言葉が似つかわしい訓練壁を登りながら北西の緑が恋しくなる。

―奥多摩も晴れてるな、藤岡も原さんも越沢か白妙橋か、

同僚たちを想いながら一週間前の自分が羨ましい。
こんな想いに気づかされてしまう、きっと自分のアンザイレンパートナーはもっとだろう?

―光一は山に向きあうのが普通だったんだ、それが人工壁ばかりだと寂しいよな、

人工壁には、草も土も無い。
樹木の葉擦れも無く、大らかな空も風も無く、その分だけ危険は低い。
確かに訓練はしやすいだろう、けれど現場での変則的な地形変化へ対応するには足りない。
だからこそ奥多摩での合同訓練が行われる、それは訓練という意味以上に楽しみで待ちかねてしまう。

―山に帰りたい、

ザイルの彼方に広がる空へただ、山の世界を恋うる。
まだ異動して一週間、たった一週間なのに堪えきれない郷愁が山の記憶を辿りだす。
朝夕に巡回で駈けた御岳の登山道、あの木洩陽ゆれる風に水涼やかな苔の岩に心は帰ってしまう。

ほの暗い杉木立を辿る道、抜ける空に遠く摩天楼を眺めていた。
あの場所に大切な人が居る、そう想う距離に自分の立つ場所が誇らしかった。
山に廻らす生死へ立会う任務は楽しいことばかりじゃない、それでも誇りに初めて生きていると想えた。
そんな日々を共に駈けて教えてくれたパートナーは今、指揮官として同じこの人口壁の前に立ってくれる。

―ごめんな光一、おまえまで山から離して…でも、ありがとう、

ごめん、ありがとう、その想いは一週間ずっと廻る。
きっと自分と出会わなくても光一は異動して指揮官になったろう。
けれど連鎖には惹きこまれずに済んだ、その自責は光一を知るほどに篤くなる。
それでも光一が居なかったらきっと自分はここまで真相を追いかけることは難しかった。

この全ては光一が選んだ意志と解っている。
だからこそ借りだと想ってしまう、そんな想いに訓練ひとつも全力で向かわせる。
視界にコンクリートの壁を踏みしめザイル登りあげ、鉄塔を渡す向うへ繰るグローブに現実を行く。
ただ訓練に筋肉を動かし山へ想い馳せて、そうして意識を任務へ傾けても時折ひとつ考えてしまう。

“周太は今日、過去の現実に何を見るだろう?”

正午前、日中南時にかかる今は講義中だろう。
大学の講堂に座り友達と机を並べ森林学の世界だけを見つめている。
晉が教鞭を執り馨が学んだキャンパスの橋向う、周太の夢が今きっと広がっていく。
そんな時間を過ごし講義が終われば橋を渡る、それから、過去を知る人物に会いにゆく。

田嶋紀之 東京大学文学部 フランス語フランス文学研究室 教授

晉が愛した研究室の継承者、そして馨の友人だった男。
彼が「箱庭の住人」だという痕跡は見当たらない、恐らく彼は潔白だろう。
けれど自分は知っている、無意識と善意が常に幸運を運んでくるとは限らない。

―安本さんもそうだった、周太を守ろうとして事実を隠したから逆に、

武蔵野警察署で射撃指導官を務める馨の同期、彼に悪意など欠片も無かった。
馨の殺害犯だと気づけば周太が傷つく、そう心配してラーメン屋から周太を遠ざけようとした。
それは真直ぐな善意だったろう、けれど逆に周太へヒントを与えてしまう結果を招じて信頼も失いかけた。

それと同じことを田嶋が選んだら、周太はどうなるのだろう?
それとも田嶋は真実を語るだろうか、そのとき周太は真相をどこまで知る?

―晉さん、馨さん、どうか護って下さい、

どうか護って欲しい、あの聡明な瞳を心を歪ませたくない。
そう願う想いは去年の秋と変わらない、けれど自分にも答えが解らない。
いま田嶋が語ってくれる過去が周太を、どこの道へ連れてゆくのか解らなくて、それが怖い。

『 La chronique de la maison 』

晉が遺した「記録」と重なる過去を田嶋が語ったら、きっと周太は気づいてしまう。
あのミステリー小説の主人公が誰なのか、それを知ったとき周太は何を想うだろう?

―初任総合のあのときと同じになったら、

迫り上げる夕立雨の記憶に、胃が圧されて吐き気が突く。
それでも掌は的確にザイルを繰り懸垂下降する、そして着地した向かい上官が微笑んだ。

「宮田、3.8秒短縮、目標クリアだね、」

楽しげなテノールの声で告げて底抜けに明るい瞳が笑ってくれる。
その眼差しふっと細められ、整列に戻る擦違いに無言のまま問う。

―光一、俺が何考えてるか気付いたかな、

擦違いざま会釈と微笑みながら上官でザイルパートナーを斟酌する。
きっと後で訊かれるだろうな?そんな予想と居住まいを正した向うテノールが朗らかに笑った。

「午前はここまで、午後はファーストエイドの講習です。汗流して昼飯シッカリ食っといて下さいね、」

丁寧な言葉づかいにも軽やかな配慮が温かい。
その空気はどこか敬愛する上司と似ていて、敬礼すると英二は空を仰いだ。

―後藤さん、明後日からだな…たぶん周太も、

明後日、その期日に大切な2人を想ってしまう。
明後日の月曜は分岐点ふたつ訪れる、それが今また鼓動を締めだす。
それでも微笑んで踵返した隣へと、同じ高さの目線が並んで飄々と笑った。

「おまえ、ラスト一本の時って考えゴトしてたね?」

おまえの考えなんてお見通しだよ?
そんな声ごと涼しく笑うパートナーに英二は微笑んだ。

「うん、奥多摩の事と、今日は何を聞いてくるんだろうなって考えてた、」
「気持ちは解かるけどね、訓練中の考えごとは止めな?」

テノールはいつもの明朗なまま明確に指導を告げる。
その声に素直なまま見つめた隣から上官かつ先輩は言ってくれた。

「ココで集中を乱すのは色んな意味で危ないね、宮田にとっては特にさ?そこまで言えば解かるよね、」

色んな意味で危ない、その通りだと納得できる。
そう解かりながらも自制の外れたことを英二は素直に認めた。

「はい、申し訳ありません、」

敬語で頭を下げた隣、底抜けに明るい目は温かい。
この眼差しに無言の理解を見とめた真中で、テノールの声が低く微笑んだ。

「おまえの背中も横顔もね、今、山岳レンジャー全員から見られるってコト忘れるんじゃないよ?それくらい責任と影響力はデカいんだ、
警察も山も経験2年目の癖に俺のザイルパートナーになったからには、期待がデカい分だけ失望ってヤツの割算もデカい、甘い妥協はアウトだ、」

低めた声の微笑は温かくて透徹に厳しい。
それはザイルに想う世界と似て、誇らしくて英二は立場2つに微笑んだ。

「ありがとうございます、そういうの山に立ってる時間と似てるな?一瞬の油断が赦されないミスになる、」

山の峻厳、それは唯一度のミスに命落す可能性。
この唯一度に幾多のクライマーは命を消し、そのミスを遣り直すことは赦されない。
こんな山の不文律と自分の立場は似ている、そう想うまま微笑んだ敬語と親しい口調に光一は笑ってくれた。

「だね、俺も似たような立場だけどさ?で、今日も周太が心配ってコトだろ?」
「ああ、つい考えこんでるよ、今朝からずっと、」

正直に答えた隣、底抜けに明るい眼差しは温かい。
今なら少し話せるよ?そんなふう笑ってくれる瞳に英二は声を低めた。

「周太、研究生になるって返事を今日するんだ、相手は農学部の先生と仏文の先生、」

仏文、そう告げた先で透明な瞳すこし大きくなる。
けれど吐息ひとつ微笑んでザイルパートナーは訊いてくれた。

「仏文ね、だったら祖父さんとオヤジさんの知り合いってコト?」
「うん、教え子で、山岳部の後輩らしい、」

話ながら歩く炎天下、制帽ごし太陽きらめいて陽炎ゆらす。
コンクリートの砂埃に汗伝わせながら英二は懸念を言葉に変えた。

「去年の秋、光一が新宿まで俺を送ってくれた時は周太、善意の嘘を吐かれたことで真相に気が付いてショックを受けたんだ。
お父さん達を知ってる人が正直に話しても誤魔化しても周太なら気づく、だから今日が心配になるんだ、嘘と真実のどっちなのか、」

嘘を語るのか、真実ありのまま話すのか?

過去の事実を知っている男は何を想い、何を告げてくれるのか?
その言葉に関わらず周太なら真相を見抜く、それを自分こそ犯した罪を英二は告げた。

「言葉が嘘なのか、真実なのか、もし嘘を言われたらきっと周太は考えこむよ、考えることに集中して周りが見えなくなる、
そういう周太は一途過ぎて危ない、雨が降っていても気が付かない…俺が初任総合の時に嘘吐いて周太を追いこんだ時そうだった、」

『お父さんがページを抜いた理由と気持ちを知りたかったんだ、それで吉村先生の『自殺幇助』って言葉が合うかなって思った』

初任総合の事例研究で『春琴抄』の事件を聴いた、そして周太は馨の真相ひとつ解いた。
あのとき自分は『春琴抄』からページが抜かれていた事実を隠し、それでも周太は突き止めた。

…ページを抜いた人の気持ちを今日、吉村先生に聴いてみたんだ。
 先生、符号みたいだって教えてくれたよ。本は喉布から切り落とされて、死因は扼殺でしょう?
 このどちらも首を示してるよね、それが殺されることを望む符号みたいって。加害者が自殺幇助をするよう被害者本人が仕向けて…

馨の殉職は単なる殺人なのか、自殺幇助なのか?
その真相を周太は気が付いて哀しんで、悩みこんだまま周囲が見えなくなった。
そんな周太の思考回路は馨の殺害犯に気づいた時も同じで、その危険性に懸念が唇こぼれた。

「研究生になるんなら本名を言うよな、そうしたら周太が誰かって気づくよな?気づいたら思い出話だって当然するはずだ、
それを聴いたら周太、きっとお父さん達のこと聴きだそうってする。あの小説のことも気付くかもしれない、そしたらどうなる?」

父親は自殺した、その理由は合法殺人の任務だった。
それと同じ過去が祖父にもあると知ったなら、周太はどう考える?

「なぜかな、光一?なぜ隠しても周太は辿り着くことになるんだ、…どうして、」

ままならない現実に聲こぼれて、コンクリートの炎天に脚が止まる。
埃ふくんだ熱風なでる頬は乾いたまま、けれど泣けない涙が言葉に墜ちた。

「どうして周太ばかりこんなことになるんだよ?…幸せになってほしいから、樹医の夢を叶えてほしいから東大の聴講だって勧めたんだ、
農学部ならキャンパスもジャンルも違うから安全だと思ったんだ、なのになんで文学部の研究生になるんだよ…どこまでも過去が離れない、」

どこまでも離れない過去が、あのひとを手離さない。
五十年前の惨劇、三十年以上前の悲劇、ふたつの悲痛が捕えにやってくる。
それを防ぎたくて唯ひとり護りたくて自分は一年間を生きてきた、その願いに透明な声が微笑んだ。

「うん…過去から離れるなんざ、無理だね、」

穏やかな声が告げる現実に、無人のグランドから風は傷痕の頬に熱い。







(to be continued)

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残暑見舞の朝

2013-08-11 09:43:00 | お知らせ他


立秋すぎ、残暑お見舞い申し上げます。

そんな今日は朝から暑い神奈川です、笑
さっき「初陽の音1」加筆ほぼ終わりました、校正ちょっとしますが。
コレの続き+第67話「陽照2」を今夜はUPする予定です、もしかすると昼間かもしれませんが。

取り急ぎ、


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微睡時の森深く―morceau by Aesculapius

2013-08-11 00:25:33 | morceau
翠の闇、光の白 



微睡時の森深く―morceau by Aesculapius

水奔る森、飛沫くだけて光に散る。
苔むす岩に水が鳴る、谷風が梢を渉って葉音ふる。
ざわめく木洩陽きらめいて水走らせ辿り、遡る樹影に響きだす。

「…もうじき、」

響きへ声こぼれて足を運ぶ、その靴元に光ゆれて風が鳴る。
独り踏んでゆく山路は誰もいない、けれど無数の樹木に静謐が明るい。
遠く近く響かす飛沫の風ひるがえって頬を涼ませる、その風に滴が跳んだ。

ほら、もう大きな水の壁きらめきだす。
いま純白に轟く水あふれゆく、その飛沫に夏の陽きらめかす。
この輝きも5ヶ月の星霜に凍るなら、そのとき顕れる姿を見せてあげたい。

夏の今日は幼くて、まだ連れてきてあげられなかった。
けれど冬には共に歩けるはず、その成長を願いたくて祈りたい。
そんな想いに回りこんだ岩の向こう、透明な光の沢に登山靴を進ませる。

仰いだ清流ふらす旋律に、約束は七彩の輝き映す。






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第67話 陽照act.1―side story「陽はまた昇る」

2013-08-10 00:28:22 | 陽はまた昇るside story
刻限、時の跫



第67話 陽照act.1―side story「陽はまた昇る」

披いた視界、薄闇に天井が仄白い。

狭いベッドから見上げる窓はカーテン越し明るみだす。
もうじき夜が明ける、そんな時間感覚に伸ばした手に腕時計を掴む。
フレームのボタン押して点いたLED灯に時針きらめいて、予定通りの時刻に英二は微笑んだ。

―光一も起きたな、

隣室にアンザイレンパートナーの気配を感じながら、そっと寝返りうって温もりを抱きしめる。
蒼色あわく波打つシーツに黒髪やわらかに零れて、穏やかな寝顔そっと肩に寄添わす。
この寝顔をずっと見ていたい、そう願う額へそっと接吻けた。

「…今日も無事で、」

微かな声に告げて腕を解き、ゆっくり起きあがる。
いま眠る人を起こしたくなくて静かにサイドへ身を移し、けれどベッドが軋んだ。

…ぎっ、

かすかな音に床へ立ち上がった背中、穏やかな気配ゆらぐ。
その気配につい期待が振向いたベッドから黒目がちの瞳が見上げて、嬉しくて英二は笑いかけた。

「ごめん周太、起こしちゃったな?」
「ううん…おはよう、英二、」

穏やかなトーン微笑んで起きてくれる、その前に屈みこんで瞳から覗きこむ。
眼差しに羞んで見返す瞳はいつも通りに澄んで睡眠の良好が落着いている。
目に体調を診とりながら額に額ふれさせて、前髪を透かす体温に微笑んだ。

―熱は無い、瞳の充血も無い。調子、悪くないよな、

額ごし体調を確かめながら見つめる貌は伏せた長い睫に気恥ずかしさ途惑う。
いつもの恥ずかしがりが可愛くて嬉しくて、想ったままに笑いかけた。

「可愛い周太、その恥ずかしそうな顔ってほんと可愛い、この一週間ずっと朝はその顔してくれてるな、」

ここに異動して一週間、この部屋で毎朝を見てきた。
ただ幸せだった、けれど朝ごと近づく瞬間に本当は泣きたい。
それでも触れあえる体温は幸せで嬉しくて笑った至近距離、赤い顔が微笑んでくれた。

「あの…今日も訓練とか気をつけてね、」
「うん、気をつけるよ。周太は今日は大学だろ?」

今日の予定なら大丈夫、そんな期待に掌のばし赤い頬くるむ。
優しい温もりふれて鼓動が弾む、その真中で黒目がちの瞳は長い睫を伏せた。

「ん、きょうはがっこうです…こうぎもおてつだいもあります、」
「じゃ、今朝は良いよな、周太、」

すかさず了解を求めて笑いかけた先、すこし厚めの唇そっと引き結ぶ。
この唇ほどきたくて英二は一週間ずっと堪えていた褒美を求め微笑んだ。

「訓練も任務も無い日だったら、おはようのキスして良いよね、周太?隊舎も留守にするプライベートの日だったら、キスも大丈夫だろ?」

仕事前には気が散るから駄目。

そう一週間ずっと言われて我慢に堪えてきた。
非番も週休も隊舎内にいるなら緊急出動の可能性もある、だから駄目だと言われて我慢した。
それでも今日のよう完全にプライベートな休日なら許して貰えるはず、その期待に唇そっと寄せた。

「おはよう、周太…」

名前を呼んで微笑んだまま静かに唇ふれる。
重なる吐息にオレンジ甘くて、けれど香の意味に心軋んでしまう。
その傷みごと抱きしめた小柄な体に重み懸けて、そのままベッドに倒れ込んだ。

「周太のキス甘くて好きだよ、ほんと可愛い。ね、このままちょっと触らせて?仕事前じゃなければ良いよね、周太、」

今日は土曜日、周太は大学で講義の日。
大好きな森林学の勉強なら集中も途切らさない、訓練や任務の危険も無い。
それ以上に、大学で過ごす時間への嫉妬があるから今ここで自分の痕を刻ませて欲しい。

―想い出してほしいんだ、俺のこと。美代さんや賢弥ってヤツが一緒の時も、

手塚賢弥、東京大学農学部三年に在籍。
この男を話す時の周太はいつも楽しげで、他の誰にも無い顔をする。
それが妬ましい本音は自分に隠せなくて、けれど誰にも気づかせたくない意地がある。

―同じ男なだけに気になるんだよな、でも、それ以上に今日だから忘れないでほしい、

『大学の研究生にならないかって言われたんだ、田嶋教授が大学に話してくれて…田嶋先生はお父さんの友達で、お祖父さんの教え子』

馨の友人で晉の教え子は、過去を知る。
その男から研究生の話が来た、それを今日の周太は受けるだろう。
だから今日、隠されている過去へと周太が踏みこみ向き合う可能性は高くて、だから自分を忘れてほしくない。
どんな事実を聴いたとしても微笑んで?そう願う想い笑いかけた真中で真赤な貌が小さく叫んだ。

「だっ、だめですっ!」
「そんな恥ずかしがらなくて良いよ、周太、」

拒絶された、それも嬉しくて微笑んでしまう。
おくゆかしいから周太は拒絶する、そういう貞淑こそ愛しくて尚更ふれたい。
そんな想い素直なままに腕は動いて抱きしめる掌は恋しさにTシャツの裾を掴んで、けれど真赤な貌に訴えられた。

「だめっ、きょうがっこうなんだからっ、し、しょくどうでせんぱいたちもいっしょでしょっ、だめやめてっ、」

そういう公衆の面前ってヤツで恥ずかしがるの、ちょっと見てみたいんですけど?

学校でこそ想い出してほしいし、寮の食堂で気恥ずかしがる貌を隣で堪能してみたい。
そんな願望は想像するだけで正直なところ楽しくなる、なにより今すぐ触れたい手も言葉も身勝手に微笑んだ。

「朝飯まで2時間あるから大丈夫、一眠りして起きたら恥ずかしいの落着くから…あ、周太の肌すべすべ、」
「やっ、えいじのばかばかやめて、ねむっておきてもはずかしいのっ、だめっ、」
「そんな冷たいこと言わないで、周太…」

拒絶の声すら可愛くて嬉しいまま自分勝手な手は動く。
掌に素肌ふれて抱きしめるまま想い募る、その願い素直に言葉こぼれた。

「周太は相変わらず肌きれいだな、見たいな?」

愛しい人の肌ふれて、見つめて唇の刻印を刻みたい。

そう願う真中で黒目がちの瞳が困惑する、そして少し小さな掌に腕を掴まれる。
そんな含羞の仕草すら愛しくて幸せで英二は小柄なTシャツ捲りあげ、微笑んだ。

「綺麗だ、周太…キスさせて?」

あなたが誰より綺麗、だから唇の恋を刻ませて?
そんな想い微笑んでTシャツ消えた肌へ唇よせて、なめらかな肌の胸に接吻けた。

「ばかちかんっ、あ、…」

愛しい声の罵りが息呑んで、肌透かす鼓動が唇に止まる。
キスふれる素肌やわらかに息づき心臓が脈うつ、その音に瞳が灼かれだす。

―生きている、周太は今ここで生きてる 

心つぶやく現実に、瞳灼かれる熱は漲らす。
掌に腕にふれる肌は温かい、唇ふれる鼓動は心拍を打つ。
そしてオレンジの香に吐息たしかに脈打って、そんな全てを離したくない。

―今、周太は俺の腕で生きてる…このまま生きてよ、周太、

どうか生きていてほしい、このまま自分の腕の中で。
誰より近くに生きて呼吸して笑ってほしい、けれど直に遠く去ってゆく。
それが解かるから今こうして唇の刻印をしたい、この想い寄せる右腕の痣にそっと接吻けた。

「あっ…」

求めたい声こぼれて、そっと唇ほどいて解放した右腕に真紅の痣が濡れて艶めく。
この痣にキス重ねたのは幾度めだろう、そんな想い見つめたまま腕ゆるめて身を起こす。
ベッドから脚を下ろし立ち上がり、呼吸ひとつに涙を消して英二はベッドの想い人に笑いかけた。

「周太、行ってくるな。朝飯また一緒させて?」
「ん、…行ってらっしゃい、」

気恥ずかしげな声が送りだす、けれど黒目がちの瞳は優しく笑ってくれる。
この声と瞳に約束の幸福だけを見つめて英二は踵返し扉を開いた。

…ぱたん、

小さな音の響く廊下、しんと眠らす静謐だけが微睡む。
まだ普通なら眠っている刻限、それでも第七機動隊舎はどこか緊張くゆらせる。
いつ召集が掛かるか解らない、そんな生真面目に眠りたち浅い廊下を独り、足音を消して歩く。






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夏日の恋文―Summer×William Shakespeare×井原西鶴

2013-08-09 14:38:39 | 文学閑話散文系
葉月、光陰の瞬き



夏日の恋文―Summer×William Shakespeare×井原西鶴

Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,

荒い夏風は愛しい初夏の芽を揺り落すから、 
夏の限られた時は短すぎる一日だけ 
天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす 
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、

William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」の抜粋です。
いま連載している第67話「陽向」に何度も引用されていますが、シェイクスピアの代表作な詩です。
夏は短く移ろいやすい美、そう定義しながら「thy」貴方と呼びかける相手の永遠性と美を謳いあげています。
英文学における「summer」は最も輝かしい季節と描かれ、特に「May」晩春から初夏を最上の季節と称えます。
これはイギリスの風土も影響が大きいんですよね、イギリスの夏イメージは爽やかな風と緑豊かな季節なんで。
これが日本だと夏=湿度高くて暑いってなり、炎暑とか孟夏とか暑苦しい単語がいっぱいあります、笑

シェイクスピアは日本人にもお馴染な詩人かつ劇作家ですが、演劇文学を一流文学と位置付ける欧米では尚更重鎮。
Hamlet、Romeo&Juliet、名前だけでも知っている作品が多いんじゃないかなって思います。
ソレに日本で該当するのは誰かって言えば近松門左衛門が筆頭に挙げれます。
『曽根崎心中』『国性爺合戦』『冥途の飛脚』など人形浄瑠璃や歌舞伎の名脚本を遺した人です。
次には井原西鶴、『好色一代男』『好色五人女』など現代でも歌舞伎座で上演されています。

井原西鶴の隠れた名作に『男色大鑑』があります、笑
普通の図書館じゃ置いてないかもですが、しっかりした国文科のある大学図書館なら所蔵しています。
自分も学生時代に付属図書館で読んでみたんですけどね、フラットな視点で男同士の純愛小説が書かれています。
男はバイセクシャルで当たり前ってのが当時の日本では一般的感覚だったワケです。

この『男色大鑑』は武士の男同士メインなんで結構感情の発露が激しかったりします、笑
男として武士としてのプライドを懸けた交情は剣の立会っぽい、で、決まりゴトも沢山あったらしいです。
最近よくあるBLとかのファンタジー妄想とは論点×観点が全く違うんですよね、ある意味で哲学的なカンジ。
武士道のバイブル的存在に『葉隠』って本がありますが、アレに描かれている世界観と近いかなって思います。

今回掲載の「Shakespeare's Sonnet」も同性である男性への感情を謳った恋愛詩なんですよね、笑
作中でも宮田家のガヴァネスである日英ハーフの老婦人が英国における同性愛について触れていますが、
イギリスでは同性愛=刑罰対象だった時代もありました、が、男の同性愛の伝統は世界各国にあります。
そういう感覚があるからシェイクスピアのSonnetもフラットに受容れられ、名作と言われているのかなと。

ちょっとシェイクスピアの恋愛について捕捉すると、
短篇「soliloquy木染月」で馨が語っていますが、単なる恋愛感情だけでは無い想いが「thy」にあります。
卓越した文筆家だったシェイクスピアの恋愛観は外見的美貌よりも内面、詩中でも精神と才能を讃美しています。
外貌×肉体関係の恋愛だけでは無い、才能と精神に対する尊敬と愛情を謳う詩文は西鶴の『男色大鑑』に通じるなと。
ま、西鶴は作家の客観性で『男色大鑑』を書いてるんで、リアル同性愛してたシェイクスピアとヤヤ違うんですけどね、笑
作家かつ記者としての客観視点orリアル経験者本人によるノンフィクション、それが西鶴とシェイクスピアの差です。



昨夜UP「七彩の光」加筆校正しました、サブタイトルの変更&増筆しています。
夜までに第67話の英二サイドをUPする予定です、

立秋過ぎたとはいえ暑いですね、笑

取り急ぎ、



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第67話 陽向act.8―another,side story「陽はまた昇る」

2013-08-07 22:29:18 | 陽はまた昇るanother,side story
Wakes old chords in the memory―晨、黄昏の言葉に 



第67話 陽向act.8―another,side story「陽はまた昇る」

暖簾を出た視界、街は金色に輝いた。

黄金まばゆい光が摩天楼きらめかせアスファルトに照り映える。
細めて仰いだ街路樹の向こう、薄墨色の夕闇から落陽が瞳を染めた。

「すごい夕映えね、きれい、」

朗らかなソプラノが笑って黄昏を歩き出す。
その青いシャツのギンガムチェックが夕陽に変えた色彩に周太は笑いかけた。

「美代さんのシャツね、青が緑色になってるよ?」
「あ、ほんとね、湯原くんは白がお日様の色になってる、」

楽しげに笑ってくれる明るい瞳も、黄昏きらめいて光踊る。
その瞳がすこし上を見、可笑しそうに笑った。

「手塚くんの眼鏡、空を映してるよ?」

言われて見上げた先、日焼あわい顔の眼鏡が金いろ輝かす。
そんな黄昏の鏡は振向いて愛嬌の瞳ほころばせた。

「空を映すってナンカ詩人っぽいな、小嶌さん文学系も読む人?」
「うん、姉が本を好きだから私も影響されたの、幼馴染はフランス文学に詳しいし、」

楽しげな声の言葉に、そっと鼓動ひとつ心を軋ます。
それでも微笑んで歩く黄昏の街に初夏の記憶が佇む。

―初任総合の時に光一、新宿まで会いに来てくれたね…英二に嫌われたんじゃないかって心配で、

まだ夏の初めだった記憶のなか、幼馴染の困ったような哀しそうな制服姿が懐かしい。
あんな貌の光一を見たのは初めてだった、そして今も自分の所為で同じ貌をさせているかも知れない。

―きっと光一は俺の異動を気が付いてるよね、同じ七機で小隊長って立場なら…あ、

いま聴いたばかりの言葉に、ひとつの可能性が思いつく。
ずっと失念していた要素が起こされるまま、ことんと記憶の言葉が啓いた。

―…『源氏の君最後の恋』をね、いちばん読んだよ

冬一月の透明なテノールが言ったのはフランス文学の名著『東方綺譚』に納められた章の名前。
あの本は普通の書店では店頭に売っていない、それくらいフランス文学は日本での普及が低い現状にある。
それでも章名を即答できたのは光一がフランス文学を知っているためだろう、その事実に可能性が浮上する。

―光一はお祖父さんの本のこと、前から知ってるかもしれない…ね?

もし祖父の本を光一が知っていたのなら?
それなら何故あのとき光一は何も言わなかったのだろう?

―お祖父さんの本をもらって来た夜、本を光一は見てたよね?でも、何も言わなかったのは…どうして?

祖父の本を知りながら光一は何も言わなかった。
そう仮定するならば「言わなかった」理由に考えられることは何か?
その理由を裏付ける事実を追いかける記憶に七月のカレンダーが捲られて、周太は小さく息呑んだ。

「…あ、」

七月、今から2ヶ月前の時系列に祖父の小説がページを開く。
立ち止まった脚に金色の雲を映す視界のまま、異国の言葉が呼吸を引っ叩いた。

“Mon pistolet”
“Je te donne la recherche” 

この言葉たちを繋げるとき「七月の夜」は何を示す?

―あの夜、もしかして光一と英二は、

繋がっていく言葉たちに浮上する可能性が、呼吸の仕方を狂わせる。
どこか詰まりだす胸と喉に迫り上げる感覚に周太はすばやく鞄を開いた。

「…ぅ、ぐっ」

咳込みかける喉を押えながら薬袋とペットボトルを取出して、すぐ口ふくんだ薬を飲下す。
こくんと喉すべり落ちてゆく固形物と冷たい感覚に整える呼吸へと、足音二つ引き返してくれた。

「湯原くん?急に立ち止まってどうしたの、大丈夫?」

心配そうなトーンで美代が訊いてくれる隣、賢弥も思案気に見つめてくれる。
ふたりに気遣わせたくなくて周太はペットボトルだけ示し微笑んだ。

「ん、のど乾いちゃったから水飲みたくて…急に立ち止まってごめんね、」
「あー、ラーメン食った後って喉乾くもんな?」

闊達に笑いかけてくれる賢弥の笑顔に、美代もほっとしたよう笑ってくれる。
その綺麗な明るい目で周太を真直ぐ見つめて微笑んで、美代は提案をくれた。

「湯原くん、あの花屋さんに寄ってもいい?素敵な花屋さんなのよって今、話してたの、」

あの花屋さん、そう言われて首すじ熱くなってくる。
久しぶりに訪れる嬉しさと気恥ずかしさに周太は微笑んだ。

「ん、俺も寄りたいな、」

異動してから一度も、花屋の彼女を見ていない。
異動前は週休や非番の夕方に少しの時間でも立ち寄って、いつも彼女と言葉を交わしていた。
けれど異動してからはラーメン屋と同じに機会も無いまま1ヵ月過ぎ、そして明後日からはもっと時間が減る。
その前に顔を見て声を聴いておきたいと想っていた、そんな想い何か羞みたくなる隣から賢弥が笑ってくれた。

「へえ、周太って常連の花屋もあるんだ、俺も一緒に行っていい?花屋って入ったこと無いんだ、」
「ん、一緒に行こ?」

頷いて歩き出すと賢弥も笑って一緒に歩きだしてくれる。
いつもの愛嬌に大らかな笑顔が嬉しくて周太は笑いかけた。

「花を本当に大切にしてるし、ああいう感じって賢弥も好きだと思う…ね、美代さん?」
「うん、あのお店って素敵だもの、お洒落なのに優しくって懐かしい感じで、」

綺麗な明るい目で話してくれる通り、あの店はどこか懐かしさがある。
それとよく似た空気を知っているようで少し首傾げた隣から、闊達な声が笑った。

「そういう店って好きだよ、俺も。でも周太、なんでソンナ照れくさそうにしてるわけ?」

お願い、その質問はもっと照れちゃうから待って?

そう言いたいけれど、言う事すら恥ずかしくて尚更に困ってしまう。
同じ困るなら正直に言った方が良いかな?呼吸ひとつ覚悟を決めて周太は口を開いた。

「あのね、その花屋さんのひとが素敵なんだ、俺、憧れてるの、」

憧れてる、そんなことまで言ってしまった。
そこまで言う心算は無かった、けれど声になってしまった本音に額までもう熱い。
ここまで明確に言った相手は母と英二と美代だけで、それを友達に言った気恥ずかしさに愛嬌の笑顔は訊いてくれた。

「もしかして周太、その人が花の女神さまみたいって人?花を『この子』って呼ぶ花屋の人だってオールの時に言ってた、」

その通りご明答です。

そう心では返事しても恥ずかしさに声が詰まってしまう。
ただ熱くなる顔を頷かせた隣、優しいソプラノが笑いかけてくれた。

「あの店長さんって私も憧れちゃう、背もすらっと高くてとっても綺麗な人よ?擦違うと花みたいな香がして、声も言葉も綺麗なの、」
「小嶌さんまで憧れちゃうなんて相当の美人だ?でも店長さんってコトは若くても二十代後半か、周太って年上にウケそうだもんな」

楽しそうな友達の言葉にバレンタインの記憶が面映ゆい。
確かに言われる通り、チョコレートの贈り主は3人以外全員が年上女性だった。

―美代さんのお祖母さんたちとか…9人中6人が年上のひとたちだけど、でもほんめいじゃないし…お花屋さんは常連のお礼だし、

心つぶやきながら、けれど恥ずかしくて声に出来ない。
もう熱くて仕方ない首すじの衿元を撫でる含羞に3歳年下の友人は笑ってくれた。

「ほんと周太って可愛いよな、こんな話題で真赤になるなんてさ、オールの時は酒飲んでたから話せたってことなんだ、」

その通り、素面じゃちょっと話し難いです。

そんな返事を声にならないまま頷いた足許が歩き慣れた路に入る。
行き交う雑踏の向こう顔見知りの扉は夕映え光るオレンジきらめく、もうじきに着いてしまう。
それなのに真赤な貌が気恥ずかしくて困らされる隣から、綺麗な明るい目の笑顔が庇ってくれた。

「手塚くん、あまりツッコみ過ぎないで?ほんとに湯原くんは純情なんだもの、これからお店行くのに真赤じゃ困るでしょ?」
「そっか、ごめんな周太?つい楽しくなっちゃった、俺、」

悪びれず賢弥は笑って謝ってくれる。
こういう素直なところが自分は好きだ、そんな友人が嬉しくて周太は微笑んだ。

「ううん、俺こそごめんね、こんなことですぐ赤くなったりして…子供っぽいね、俺、」
「あははっ、子供っぽいなら俺も同じだよ、なんかに熱中すると飯食うのも忘れちゃうしさ、ほんとガキなんだ俺、」

同じだと笑ってくれる声に、嬉しくなる。
自分の子供っぽさは記憶喪失に原因があるとも吉村医師は言ってくれた。
たとえ病理的問題であっても男としてはコンプレックスに想えて、けれど賢弥は「同じだ」と笑って認めてしまう。

―こういうふうに自分を呑みこめるって、かっこいいな?

この友人に、年齢差と立場の差を超えて素直な想いが温まる。
こんなふうに沢山の想いを重ねて行けたなら、いつか自分の事情も全て話せる信頼も積める?
そんな未来予想に嬉しく笑って周太は大好きな店の扉に掌かけて、大切な友人ふたりへ綺麗に笑った。

「あのね、ここは俺の大好きな場所の一つだよ?…どうぞ、」

からん、可愛いベルが鳴って無垢材の扉が開かれる。
ふわり優しい甘い香が頬撫でて、白とベージュが基調の明るい空間に花々が咲く。
秋薔薇の豊麗に撫子の可憐、青と白の清々しい桔梗、こぼれる萩の赤紫と白い山野の香。
夏から秋が彩らす花園の向こう、艶やかな髪束ねたエプロン姿が現われて深く澄んだ声が微笑んだ。

「いらっしゃいませ、久しぶりね、元気だったの?」

綺麗な声の親しい口調に、鼓動ひとつ弾んで温かい。
この声と笑顔に会うたび面映ゆくて、けれど寛げる温もりに周太は微笑んだ。

「はい、元気です…あの、友達も一緒に見させてもらって良いですか?」

久しぶりの挨拶にも小さな嘘が疼いて、けれど会えたことが嬉しい。
お互い名前も知らない同士、それでも会えば笑顔を交わせる人は楽しそうに頷いてくれた。

「ええ、もちろんよ。ゆっくり見ていってね、この子たちも見てもらうと喜んで、もっと綺麗になってくれるから、」

優しい笑顔ほころばせて、華奢な白い手で招じてくれる。
その手に散らばる小さな傷痕に働き者の標まばゆい、つい見惚れた先で澄んだ瞳が美代に笑いかけた。

「春にいらっしゃいましたよね、ピンクのチューリップとスイートピーの花束を連れて行ってくれて、」
「はい、そうです。すごい、私も花も憶えてくれてるんですね?」

綺麗な明るい目が笑ってソプラノの声を弾ませる。
嬉しそうに笑う美代に店主も微笑んで、薄紅ぼかしの薔薇を指さしてくれた。

「お店に来てくれた方と、お花を憶えるのだけは得意なんです。今日の子たちなら、この子がお好みじゃありませんか?」
「当たりです、お店に入った時から見ていたの。夜明の空みたいで綺麗だなって、」

嬉しそうに笑って美代はエプロン姿の隣に行くと暁色の花に微笑んだ。
本当に花が好き、そんな美代の笑顔に彼女も楽しげに優しい瞳ほころばせた。

「夜明けの空って、この子にぴったりだわ。こっちの子はどんな感じですか?」
「わ、素敵な白萩。滝みたいですね、小さな花が水の飛沫みたいで。綺麗な葉っぱの青いろも良い水と似ています、」

楽しげなソプラノが花を喩えていく。
その言葉に澄んだ深い声が嬉しそうに微笑んだ。

「本当に滝みたいだわ、お客様の言葉で花が詩になりますね、」

言葉で花が詩になる。
そんな言葉に父が遺した愛読書の、異国の詩が映りこむ。

Thus one cunning in music
Wakes old chords in the memory:
Thus fair earth in the Spring leads her performances.
One more touch of the bow,
smell of the virginal
Green-one more, and my bosom
Feels new life with an ecstasy.

 たとえば音楽に籠る一つの巧妙は
 記憶の古い琴線を呼び覚ます
 そんなふうに春清らかな大地は花の旋律を導く
 いま一たび弓で琴線に触れたなら
 その清らかに無垢な香は
 いま一たび緑を深め、そして私の心深くに
 高らかな歓喜と新たな命を響かせる

幼い頃に読んでくれた記憶の詩が、今ここにある花と言葉に呼応する。
こんな想い運んでくれる二人の会話が嬉しい、友達を連れてきて良かったと想える。
やっぱり美代と花園の主は気が合うらしい、そんな二人が嬉しくて周太は賢弥に笑いかけた。

「ね、賢弥もここ好きそう?…ぁ、」

笑いかけた先で日焼あわい貌は黙りこんで、なんだかいつもと空気が違う。
いつも愛嬌の笑顔で誰にも話しかける賢弥、それなのに今ぼんやり立っている肩を軽く周太は叩いた。

「賢弥、どうしたの?」
「おあっ、」

叩いた肩ひとつ跳ねさせて眼鏡の瞳を瞬かす。
そんな変わった様子に首傾げた周太に闊達な笑顔は言ってくれた。

「周太が女神さまって言ったの、なんか俺も解かるや、」










【引用詩文:Robert Louis Stevenson「Flower God, God of the Spring」】 

(to be continued)

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secret talk15 紅染月eternal summer ―dead of night

2013-08-06 12:57:27 | dead of night 陽はまた昇る
朱夏、記憶と永遠の色 



secret talk15 紅染月eternal summer ―dead of night

あの男を殺さなくて良かったのか?

なんて訊かれたら、良かったと言える自信なんて欠片も無い。

あのとき拳銃を構えたのは、自分の腕。
あのままトリガーを弾こうとしたのも自分の指、自分の意志。
そうして自分の心が見た映像はもう、一発の銃弾に血液を吐く心臓の赤だった。

あの夏の真昼の瞬間に、自分の意識はあの男を殺した。だから殺さなくて良かったなんて自分には言えない。

あの男の無様な恐怖と血液を意識は見た、だから復讐の視線は少しだけ満ちている。
あのとき現実に見たものは、陥落の正義と我執の虚栄が崩されて顕れる後悔の蝕む永遠の傷。
そんな傷こそが永劫の重罰と自分は知っている、それが死より苦しみ深い鎖だから男を殺さなかった。

あの男が苦しむ貌が見られて嬉しい、そんな惨忍の心は殺さなくて良かったと笑う。
あの苦しみを終えてやれば良かった、そんな慈悲の心は殺してやるべきだったと悔いる。

あの夏の真昼の瞬間に、自分の意識があの男を殺したのは復讐が理由。
そして現実に殺さなかった理由の真実も結局は復讐、より冷酷な裁決を選んだだけ。
だから殺さなくて良かったと自分には言えない、この答えは今も永遠もきっと解らない。

ただ自分に言えることは、自分の指を止めた理由は唯ひとつの聲だということ。

あの瞬間あの聲が叫ばなかったなら、確実に自分の指は引金を弾いただろう。
それが聲の人を哀しませてしまうから指を止めた、それだけが指を一旦は止めた理由。
そして生まれた間隙に自分は惨忍と恋愛から計算をした、どちらの選択が自分を充たすか天秤に掛けた。

「…だから君が言うほど俺は、優しくなんか無いよ、」

独りごと微笑んで長い指を伸ばし、木洩陽ゆれる花を掌にくるむ。
絹織なめらかな感触の花びらは夏の陽を透かし、赤いろ幾つも重ならす。
濃桃、朱色、緋色に深紅、あわく深く煌めく色彩に赤い夏の記憶あざやぐ色がある。

―あのとき引金を弾いても俺は今と同じように生きてた、見られてさえいなければ傷つけないから、

あのとき、あの聲が止めに来なければ、見られていなければ、殺したところで同じ未来の今だった。
あのとき黒目がちの瞳が見ていなければ自分の犯行だと暴かれない、それだけの信頼と計画は緻密にある。
それは今も変わらない、だから今すぐにでも「理由」が出来れば自分は、きっと引金を弾いてしまう。
唯ひとりの笑顔を護って傍に見つめたい、この願いのためなら全てを自分は厭わない。

「こんなに想われるのって重いよな、でも…」

独りごと声にして、最後の言葉は微笑んで音にしない。
この言葉は聴かせるまで心に温めておく、そんな想い微笑んだ庭木立から穏やかな声が呼んだ。

「英二、…どこにいるの?」

大好きな声が自分を呼んで、探してくれる。
緑深い庭を優しい足音が芝草を踏む、その気配にオレンジかすかに香りだす。
ふわり柑橘の香が木洩陽に現われて、黒目がちの瞳が穏やかに笑ってくれた。

「バラを見てたんだね、今日も綺麗…ね、ベンチに本だけ置いてあったから、すこし驚いたよ?」
「ごめん、驚かせて。ちょっと歩きたくなってさ、」

笑いかけた真中で紺色のエプロン姿も笑ってくれる。
その白い衿ゆらす風にバターあまやかに香って、優しい笑顔は言ってくれた。

「スコンが焼けたの…紅茶も冷たく淹れたんだけど、お茶にしない?」

ほら、こんな誘いは自分を幸せにしてくれる。
手作りの菓子と優しい時間の誘いが嬉しくて英二は綺麗に笑いかけた。

「うん、する。テラスで?」
「ん、窓を開けて風を入れたら涼しいから…それとも東屋にする?木蔭で涼しいし、」

穏やかな声の提案に、眩しい想いごと鼓動の深みが疼く。
言ってくれた場所に起きた過去の現実、それを知りながら微笑める瞳の強靭まばゆい。
この強さは濃やかに深く穏やかな愛情にこそ温かで、その温もり愛しくて英二は頷いた。

「東屋にしようか、風が気持ちいいから。菓子とか運ぶよ、」
「ん、ありがとう…夏蜜柑の寒天もしてあるから、氷の桶も出すね、」

優しい会話に微笑んでくれる瞳と並んで、木洩陽の芝草を歩き出す。
芳醇の緑薫らす樹影に涼やかな風が吹く、その風がベンチの本で繰るページが白い。
白いシャツの腕を伸ばして深紅のハードカバーを手にとって、黒目がちの瞳すこし細めさす。
木洩陽と軽やかな音に捲られてゆくアルファベットの綴りたちを瞳は追い、すぐ嬉しそうに微笑んだ。

「シェイクスピアのソネットを読んでたんだね、…父が大好きなの、祖父も好きで…」

穏やかなトーン幸せに微笑んで話してくれる、その額ゆるやかな風に黒髪きらめかす。
やさしい癖っ毛の乱れを指ふれ梳いて、かきあげた額そっと唇ふれて英二は大切な言葉を囁いた。

「愛してるよ、」




Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate.
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date.
Sometime too hot the eye of heaven shines,
And often is his gold complexion dimm'd;
And every fair from fair sometime declines,
By chance or nature's changing course untrimm'd;
But thy eternal summer shall not fade,
Nor lose possession of that fair thou ow'st,

貴方を夏の日と比べてみようか?
貴方という叡智の造形は 夏よりも魅了し端整に美しい。
荒い風は夏生みの愛しい芽を揺らし落すから、 
夏の限られた時は短すぎる一日だけ。
天上の輝ける瞳は熱すぎる時もあり、
時には黄金まばゆい貌を薄闇に曇らす、
清廉なる美の全ては いつか滅びる美より来たり、
偶然の廻りか万象の移ろいに崩れゆく道を辿らす。
けれど貴方と言う永遠の夏は色褪せない、
純粋な貴方の美を奪えない、





【引用詩文:William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet18」より抜粋】

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