あっという間の2年。
本当に、毎日がめまぐるしく過ぎて、2年。
2年経って、なにが一番か、と問われば、唐辛子農家、よっちゃん農場としてこれからもがんばるぞー!という想い。
片隅からだけど
「これが東北だ!」
という声を上げ続けながら、誇りを持てる仕事をしたいし、ここに生きたい、ということ。
そういう意味では、なんか自分としては変わったのかもしれない。
やっぱ、正直に、東北のプチプチ農家だけど、これからの東北は自分らで作る!という気概は持っていたい。
それが派生して出来たのが、ほっかぶりJAPAN。おもしろいでしょ?
そして、震災を経てやってるのが海山。
同じ東北という地域の仲間同士。
こっちは今年も、もうすぐ梅の花だけれど、
当時はとんでもない事態に「なにが出来るべー!?」と、自分も不安のど真ん中で考えぬいたっけ。
んで、わがんねーがらみんなと直接話してみるべ!とやったのが花見の会。
地元のみんなで御飯作って、んでも250人も来ちゃってテンパッてしまい、
招待したはずの沿岸部の人たちにも結局手伝いもらって、
みんなで花見をしてご飯食べました。
「やっぱり仕事が出来るなら仕事が欲しい!!!」という声。
そこで御縁の出来た人と始まったのが海の手山の手の活動。
私自身がちっちゃいのでちっちゃいことしか出来ないけれど、出来ることを、で始まった。
手があるじゃないか。
ローテク、人の体温があるモノの価値って、普遍な気がする。
商品であれば、景気の良し悪しに左右されにくく、
生活であれば、電気が止まっても生きれる知恵が(笑)
お金もない、設備もないなら頭と手を使う。そこに至らざるを得なかった(笑)
んでも、やっぱその点はいい方向だったんじゃないかと思う。
何度振り返っても自分がいちばん助けられました。
地震の後に沢山の取引先から励ましの手紙やメッセージ、びっくりしたのはお金を頂いたことだった。
よっちゃんなんばん、は決して「一番!」の商品じゃない。
だから私ら自身、そして作っている風景も含めてよっちゃんの価値かな~と漠然と考えてたけれど、
そんな自分らにはもったいないくらいに、予想もしてないほどの反応を頂いたのが何よりの始まりだった。
とんでもないくらいにうれしくて、カミさんともども泣きました。
だから、おれらも頑張るぞー!で終わりではなくって、出来ない状況の人に現地で肩をかせるくらいのことは出来るべ!
それでスタートしたのが海山。
まだ過程。
最終地点はわからない。
んでも、何かには、なってるんでねーがな。
それでいいっちゃ。
これまで付き合って頂いてる方、これからもよっちゃん農場、海山をどうぞよろしくお願いします。