よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

反省会。

2011年04月25日 | Weblog

昨夜からの風邪が悪化。
朝起きて…起きられず夕方までダウンしてしまう。


夜、先日の梅っこ倶楽部の梅見イベントの反省会。
仕掛けた側と、避難者として招待した方と意見交換。


これから、が大事。
その意味では有意義。が、初動だからこそ詰める事も多く、時間が足りない。

今日企画書書けなかったので、私的には中途半端になってしまったのが残念


ともあれ動いて来た!


寝ます。

試される妄想力…いや、想像力の共有。

2011年04月24日 | Weblog


佐藤農場から風邪をうつされてしまったようで…ノドが痛い。
今週も色々と忙しいので気をつけないと。。。



初回の梅見の招待イベント、NHKで全国に映ったそうです!
まだまだ序章です。

ボヤ~っとした枠で有志が集って始まったのですが、
ここでも書いてるとおり毎回「復興プロジェクト」とすると、なんか固苦しい。
ので、まだ裾野は広がるとしても、会の名前を!となり、
とりあえず主要メンバーのT氏の提案で、

(仮)梅っこ倶楽部
…ほぼオッサンしか居ませんが

本ちゃんのモノは、内輪もめしてもしょうがないということで、
第三者から見ての印象で一発決定しようと、
先日のイベントでボランティア参加してくれた女の子にお願いすることに。

どんな名前に決まるのか。
反対出来ないので怖いですが、
楽しみでもあります。




さて、このところ、復興プロジェクトの事ばかり考える。
ずっとそう。それだけ楽しみでもある。

今日も、プロジェクトのアドバルーン的なものになるかも…と
浮かんだ瞬間は、一人加工場で身震いするほどのアイデアがおりてきた。

今年が平穏ならスタートしていたプランの改造案ですが、これはいい。
我々仕掛ける側も、
これから支援お願いする第三者もですが、
何より避難している方を重視しても、先日の印象からするとノってくれるのではないかと大いに期待。


もし実現となれば、もう少し仲間が必要だ。




そこで思う。
純粋に、仕事でも遊びでも一番大事なのは「想像力」かなーと。
それを現実に落とし込む事で、出来る出来ないという行動に繋がる。

まさに、今の梅っこ倶楽部はそこの共有が早いからトントン拍子に事が運ぶ。

それが、思いついて「想像」が次に来ないと単なる「行動」が目標になってしまう。
そうだと、夢も楽しみも無いから、何より疲れが一番にきてしまう。

それだ!それが食い違う原因。
想像が共有出来てないんだな、今。
枠に捕われずに考えればいいんだよ、O君!



災い転じて福となす。
カミさん曰く、
「あんだ見でっと、よっちゃん農場にとっては良い活性化、転機なんだべなー、今は」
だそうで…





一回目のイベント一同集合写真。
河北新報藤田サンに送って頂きました。



…と、締めようと思ったら。
先日のお客様からお電話。
今日がその同窓会で、皆さんに好評頂いたそうです!
Wさんの同窓生の皆さま、ありがとうございます!

ゆっくりお話してみると、Wさんの息子さんがGAIAの上原店でよっちゃんなんばんを
買い求めたのが始まりだそうで、これまた「縁」を感じていると、
なんとその息子さんが4月から転勤で仙台に来たとの事。
お仕事を伺うと、何だか梅っこ倶楽部にスカウトしたい職種。。。
ひょっとすると、ひょっとするかも…





前を向く。

2011年04月23日 | Weblog


昨日のブログで、賛否色々、感情的過ぎたかもしれない。

けど、反省はしません。

今回の震災に関しても、付随した原発問題でも同じ。
アンタッチャブルで片付けるのではなく、一人一人に関わる大事な事。
だから、どこかで誰かが感情交えてでも声高に叫ばないと、右ならえで終わってしまう。
孫さんの言葉が地上波でバンバン流されるようでないと。。



復興プロジェクトに関しても、色々なアイデアがあれば、それだけ波及効果も広がり、
一つ一つは小さくても大きな波紋として活動が出来るはず。
参画したい個人や団体が、そのネットワークを活用出来ればいうことないではないか。


それに対し、予算は別でだのやり方も分けるべきだのと、ネガティブな集落意識では
もはや前に進まない。誰かを助け、自分も前進するという事は、小さくとも、それだけ難しいこと。

物事はタイミングも大事だもの。



とにかく前へ。

待望の復興前掛け届く!!
期待以上!
さあこれから、いぎなりがんばっと!



【拡散希望】小さくとも信念のある復興プロジェクト。

2011年04月22日 | Weblog
ここ数年で一番マジメに書きます。

今日は会議だった。
これまで10年関わって来て、一番落胆した会議。
一番頭にきて、一番失望した。


我々有志で始まった復興プロジェクトにおいても、中核を担える営業団体だった。
この地も被災し、その中で営業を続け炊き出しはじめ、義援金も送り
単発的な活動は十分やって来た。

そこで、ここ岩出山、そして鳴子温泉の人たちの有志で、今度は一時的な支援ではなく、
避難者に対しての長期支援を計画。日常に戻る手助けが出来る前進出来る支援を。

その団体も賛同し、方向は同じだ・・・と思っていた。

まず、やるなら地域全体で、スタンスは違ってもネットワークとして協力という話が冒頭で却下。
あくまでも、会社独自、メインでというスタンスで嫌な予感。

案の定、出て来た復興プランはただの自己満足のボランティア企画の羅列。。。
同じ目線で会話を持つ事から始まっていないからか、上から目線の押しつけ。
やる前から苦労するのが生産者という構図は変わらず。。。だれがやるんだろ?

前の会議で、避難者はもちろん、ここ地元の被災生産者にも力になれるような、
包括的な地域復興も含めたもの、個人では出来ない事を担って欲しいとの要望も、まったく反映されておらず、
その会社が生き残る「営業も含めた支援」が皆無。
ボランティア企画が、今後の営業、経営を含めたものだと聞き、言葉も出なかった。。
体裁ばかり考え、マスターベーションが経営企画?
自分が昨日まで考えていたものと根っこから違うし、何の思いもこもっていないと感じる。



愚痴ってしまいました。けど、それだけ「思いの差」を感じたんです。
共有する部分が皆無だとは。



私、そして昨日スタートの会場となった佐藤農場のSさんも思いは同じ。
始めは、手助けがしたい。その思いだけ。

支援も段階があり、とにかく食料や水が必要、片付けが必要、という段階から、
これからは避難している人も落ち着き始め「これから」を考え始める段階の人が出てきはじめる時期が来た。

そこまでじっと我慢して来た。

自分もダメージを負い、修理する資金もない、取引先も被災という状態で、
申し訳ないけれどボランティアへ出る時間も余裕もない。物資を送る程度しか出来なかった。

けど「なにか手助けがしたい」、
共有した思いは変わらず、Sさんと二人でじっと我慢してきた。

自分にも守らなければならない家、家族がある。生活がある。
それを放っては動けなかった。




そして今、正々堂々、俺たちの復興プロジェクトを始めようというタイミングがきた。
手助けし、こちらも堂々と力を借りようという前向きな復興企画。

「これから」を考え始め、前を向き始めた人たちに、佐藤農場やよっちゃん農場、仲間のところで仕事をしてもらい、
鼻くそほど小さいかもしれないが、ちゃんとお金を稼いでもらい、日常に戻る資金にして欲しい!
その過程で、出来たら…笑ったり泣いたり、酒飲む時間も共有したい。

そんな南三陸の人と二人三脚で作るよっちゃんなんばんを特別なものにしたいし、
今年はその活動も含めよっちゃん農場の価値、として訴えたいです。
堂々と、営業と支援を両立させたいと思っています。
よっちゃんが売れれば、それだけ南三陸の人たちに仕事を用意出来るし、彼らも一生懸命働け、明日への意欲が出ます。

町おこしと同じ。単発で人を集めるだけなら誰でも出来る。
けど、町おこしってそうじゃないと思う。
町に産業が盛り上がって、そこに仕事も生まれて留まれたり、継続出来る価値を作る事。

そのため、伝える手段も考えて応援の声に返事をして結果も責任持って届けたい、そう思っています。

Sさんと、そんな想いを抱き、伝え合い、その想いが少しずつ大きく広がって昨日のスタートに。
避難者全員は無理だけど、出来る範囲で。




我が家のなまえ「よっちゃん農場」。
「よっちゃん」は亡き母ちゃんです。被災ではないけれど、急死でした。

今回の災害で、昨日話せた人たちも、きっと身近な人を亡くした方が沢山居たと思う。
状況は違います。今回は全てを無くしてるんだから、もっと、もっと…比較なんて出来るもんじゃない。

けど、昨日まで普通に過ごしていた人が、突然居なくなった。
私自身、本当につらかった。気持ちが前に向くまでに大分時間がかかった。
そんな時に助けてくれたのが、同じ経験をしていたSさんであり、周りの助けだった。

違うかもしれないけど、だからこそ、出来る範囲で、自分が選んだ人生「よっちゃん農場」も潰さず、
その手助けしたいと思ったし、自分たちなりの"信念"の籠った復興支援だ。



今朝、またお客さんからご心配と「あなたへの復興支援だ」と、注文のお電話。

東京からは、友達同士で集めたんだと10万を超すお金がを送られてきた。
そこには
「よっちゃん達へのお見舞いと、よっちゃん達がやろうとしてる活動への支援です。
 私たちは応援しか出来ないから、その思いを宮城、東北の復興に役立てて!託します!」
とのお手紙。
夫婦で号泣でした。


俺らのこんな小さな復興プロジェクトに賛同してくれた人たちの為に、
共感している人たちを裏切らないように、精一杯やります。出来る範囲で。







復興プロジェクトスタート。

2011年04月21日 | Weblog

以前から計画の復興プロジェクトスタート。
今後を占う一日。

 私も仲間も被災者。けれど、私や仲間や宮城を応援してくれる人たちが居る。
 被災したとはいえ、全てを失ってはいない。
 ならば、失った人たちへの思いを俺らだって形にしたい。
 キチンと発信出来る形で。

 考えに考えた末、自分たちが動ける範囲……地元ベース、自分の仕事ベース
 
 という事で、近くの鳴子温泉に、最低6ヶ月は避難せざるを得ない南三陸の人たちを支え、
 力をお借りしながら共に復興しよーと考えたもの。

現実として、今は避難せざるを得ない、が、いつかは日常へ戻る日が来る。
その為に欲しいのは新たにスタートを切る為の生き甲斐であり、お金だろう。
ならば、小さいかもしれない、が、ここで仲間として仕事を作り、働いてもらい生活資金の足しにしてもらう。
時には純粋に交流し、何か目標を見つけてもらう時間も作って行きたいと考えています。
一時的なものではなく、縁として今後のウン十年の繋がりを作る為のものにしたい。

まだまだ動きだしで、けれど広がりがかなりある企画になりそう。

何にしろ、実際避難者の人たちと顔を会わせ、話さないと始まらないもので、
ボランティアを含め、20名のスタッフ一同緊張の始まり。

ちょうど、佐藤農場の梅の花満開で、花見を兼ねて会場にする。
おっかなびっくりだったけれど、募集してみると200名ほどの応募。


予定よりも大分早く到着し、


話を伺うと、あの日以来、初めてのんびりできる遠出だという事で、梅園見学をゆ~っくりと楽しんでもらう。
まさに天候にも恵まれ陽気の中で、気持ち良さそう。


せっかくなので記念撮影もいいでしょう!






その後、とにかく毎日支援物資のオニギリだったり、避難で旅館に居るとはいえ、
ここは岩出山の地元の味で精一杯もおもてなし。http://blogimg.goo.ne.jp/img/static/admin/editor/btn-preview.gif
食材はすべて仲間のカンパ。
杵搗きモチ・鉄板焼き・舞茸ごはん他。

私は飲食部門チーフで目一杯テンパリました!

メインの餅つき!
せっかくだからと、会場の南三陸のおばあちゃんに民謡をうたってもらい、
私がそれに合わせて餅返し、会場が一体になり盛り上がりました!



そしてゆっくり…は出来なかったけれど、時間を見つけての会話。

私が話した人たちは、やはり漁師や海の仕事が多かった。
目論見通り、といっては誤解もあるけれど、避難して一息ついたけど、
やっぱり身体を動かしたい!仕事がしたい!という声が多数で、
我々の企画に期待する声は多かった。

あるおじいちゃんは
「あんちゃん! 俺さ古~いのでいいがら鍬(クワ)けろっちゃ! 畑やりで~!」
といって私を離さず、

あるワカメの養殖をしていたというお母ちゃんは、
「畑の経験もあるがら、夏になった喜んで"なんばん収穫"に行くから私を使って!
  夏なんて言わずなんでもいいがら一番に声掛けてよ!」
と言ってくれた。

みんな思ったよりも元気!海の人たちは逞しい!

実際問題、私も苦しいところでそ~んなにお金は出せないけれど、
楽しみ半分ってことで、上手に是非、コラボレーションして行きたい。
結果として、「宮城の海山コラボ!復興!よっちゃんなんばん」を作りたい!

きっと私んとこだけではなく、そんな宮城の復興エネルギーモリモリの商品がここから多数出るはずです!
ぜひ応援して下さい!
このネットワークで生まれるものをぜひセット販売したい。



実際、仕組みを動かすにはもう少し、原資の部分とか考えるところもある。

そこを頭に入れつつ、少しずつ動いて行きます!

その模様はここで随時報告しますので見て下さい。


まずは大成功!