よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

対放射能食品!? よっちゃんなんばん。

2011年04月05日 | Weblog

今日は終日加工場にて。

ありがたい事に、よっちゃんの注文がまとめて入り、詰め方と仕込み。
みなさん、よっちゃん共々、東北の食品バンバン買って食べて下さい!!
何よりの復興パワーになります!



震災はもとより、原発問題のニュースに事欠かない今日この頃。
先日GAIA清水さんから
「ぬか漬け漬けてる?」
と話が出たけれど、糠は万が一放射能が着いた野菜を漬けてもそれを無害化する働きがあるという。

試しに、
よっちゃんなんばんの元でもある醤油、米麹もネットで調べてみるとその効果があるようだ。
ポイントは酵素

これは発酵の過程で分泌されるもので、強い解毒作用がある。
新鮮な野菜をはじめとし、火を通していない食品などに多く含まれているらしい。

よっちゃんも醤油、米麹がたっぷり。
が、発酵が進み膨張して、フタがパコ~ン!と吹っ飛ぶのが怖いので、
暑い夏場だけは、発行抑制のため、瓶詰め後、熱湯殺菌しています。

が、それ以外ではラベルが張り易くする為にちょっと熱を加えていますが、
酵素が壊れるほどの温度までは上げてないので、きっと酵素タップリ残留しているはず!

避けるのも、予防ですが、
この機会に食生活を見直して、日本の、この機会だから東北の発酵食品をバンバン食べて健康ボディを作りましょう。

…くれぐれも、私のように過健康で太めにならない程度にね…






復興ってなんだ?

2011年04月03日 | Weblog

道の駅の取締役、社員、直売所の仲間と津波震災地へ。
何か出来る事は?
やれるとすれば、どんな形で?
を探そうと。

悪い意味ではなく、これはメディアを通して見るのと、生で空気を感じるのとでは雲泥の差がある、と強く思った。
現場に着いて、一同絶句。。































同じ宮城県の地、人が。
同じ東北の地、人が。
同じ日本の地、人が。
こんな状況に陥ってしまっている現実。

芸能人の炊き出し、チャリティー、類するイベント、決して悪い事とは思わない。
でも、出来るなら、現実を、出来るだけ直視して、その上で揺り動かされる行動であってほしい。

きれいごとで片付けられるものではない。

突然人が消え、街がなくなる。

現地に着いた途端、一同言葉を失ってしまった。
私も、なんと甘い事思ってたかと。。。
とんとん肩叩いて「がんばっぺ、復興だ!」なんて、とてもじゃないが言えるものではない風景。

帰りしなも、ず~っと何が出来る?を皆で考える。
出来る事は少ないかもしれない。
けれどず~っと考える。
必ず答を出そう。



石巻で話しを伺った人の言葉、
車中で、誰ともなく、何度も繰り返された。

「な~んぼ大っきい地震でも必ず何かは残ってるんだ。
  んでも、津波はさっぱど…奇麗さっぱりさらってってしまったわ…」
  



復興ってなんだ?

2011年04月02日 | Weblog

強烈に冷たい風一日中。夜には雪もちらつく。
昨日は20度弱の暖かさだったのに。

夜、道の駅の仲間宅へお通夜に。
今年は道路脇の不祝儀掲示、欠く事がないほど毎日目にしたが、寒い冬だった事も原因。
そして、このところ増えたのは震災のせいか。

身体の弱ったお年寄りなどには地震も効いたが、その後の停電が響いているよう。
電気毛布など暖も取れず、デイサービスなども停止し、環境のギャップで亡くなる人が
このところ急に増えた。
そんな話をしていると、確かにここ最近、毎日のように救急車のサイレンの音がしていた。


そんな席でも、これまでガソリン不足で行動が限られた所為もあり、
中々会えずに居たおばちゃんや仲間と被害状況を確認し合う。
ウチも酷いが、同じレベルの人、ここでも結構居る事が判明。
が、夕方新聞社の知人Hさんから電話を貰った際も
「どーしてもそっちは今回、脇役だからね~」
そういう事。


脇役でもなんでも「これから」に話が及ぶとみんなで深刻ムード。あれ以来ずっとだ。

「こんなんでめげていられるか!復興じゃぁ!」

と、拳を上げてみたところで、その実、復興とは?と、誰かが言う。

今年、個人ではこうして、この団体ではこう、直売所ではこうやって行こう!
というプランがぜーんぶ根底から吹っ飛んでしまった。
それ以上に、家が無くなったり住めなくなったり、仕事がなくなったり、色んな人が
居る中で、その「欠けてしまった何か」、家や仕事が手に入れば、元に戻れば復興か、と言えば、
何かちがう。

自分達の、加えて周りの視点、ムードまでリセットされてしまい、流れが見えない、掴めない。
以前にも増して、一日が一生懸命なのに…。

きっとそれは価値観が変わってしまったんだろうと思う。
自分達も、周りも。
復興するっていうのは、震災前に戻るのではなく「より、以上に」を目標として、
新しい価値観を作ろうってことなんだろうな。

今はまだショック状態みたいなもので、それが見えない。
けれども、見つけないと前には進めない。

もっともっと悩もう。そして絶対に見つけてみせる。
復興してみせるぞ!


あれから三週間。

2011年04月01日 | Weblog

今日は春らしくとても暖かい一日。
また、春らしく花粉症もマックスな一日。
恩師からとてもうれしー義援物資も届いた!


朝イチ、加工場の仕込み後、カミさんに後を託して出発。
ガソリンスタンドに並ぶ。嫌々並ぶ。。
が、1時間ほどで満タン給油。

店員に話しを聞くと、県外からだった輸送に県内も加わり、
徐々に回復中との事。が、輸送のタンクローリーが足りなくて供給不足になってるらしい。

夕方、親父が会社で懇意にしていた業者から電話頂き
仕事用ボンゴも満タン+トラクタ用のポリタンクも満タンで当分安心。


そしてテレビをつけると、今日であの日から3週間。
あっという間だ。

近くの高速PAのレストランで商談中だった。
よし、後は次回でと席を立とうとしていたところに揺れ。
慌ててテーブルの下へ潜り、周りの大きな窓ガラスが次々と割れ、
照明が取れてコードでぶら下がっているのを見ている時の気持ちは今でも忘れない。

「あれ、これは現実か?」

タレントではないけれど、ホントにドッキリかと疑った。
それほど、現実とは思えなかった。

揺れが落ち着き、駐車場で待つカミさんの元へ走ると、
整列してとめられてるはずの車はアチコチに散らばり、地面は割れ、
そんな中、カミさんは車の中で涙ぐみながら掴まっていた。

尋常じゃあない、これは家潰れたかも…

と覚悟して、所々割れたり地盤沈下した道路を運転し、
途中、走っててパンクしたであろう車、ガタガタになった家々を横目に
家まで走った。

すると、建物は立っていたが、窓は方々割れまくり、
内はありえないくらい、あらゆるものが倒れ、壁がはがれと散々だった。

そして、ラジオを付けるとありえない大きさの地震であること、
大津波がやってくるとの情報。。。。


電気が止まり、毎晩ろうそくの生活が始まった。
水が湧き、ガスが使えた事がありがたく、薪ストーブだったことも幸い。

数日経って、大変であろう町の中の知り合いに救援物資として
米と漬物、水を配りに歩いた時、発電機でテレビを見てる家にいって、
今回の震災の恐ろしい風景の映像を初めて目にする。。。。

この辺の町の規模以上町が、人が、あっという間に潰された様。。。。

そこからは、何だか毎日必死だった。
なんだろう、とりあえず片付けることで、日常に戻ろうとし、
不安な気持ちの均衡をとることに?

それまでの あたりまえ があたりまえで無くなり、
食料、日用品に、セール以上の必死さで並び、
わずか10リットルほどのガソリンに本性むき出しで割り込む人、人、人。
いつの間にか、自分も含めて、モノが溢れている事に慣れてしまっていたんだと、つくづく思う。

あれから3週間。
モノに関しては日常に戻りつつある。
けれど、なんだか心の置き所がまだ定まってない感じ。

あっという間だ。