中世芸能の底流(山路興造著 2010年 岩田書院)を読む。楽しい学術書である。非常に楽しい。読書感想文を以下に書かせていただく。
・タレントなどというと、現代では実にもてはやされる。AKBなんとかとか、全く私の知らない世界が無限に広がっているような気がする。
・気がするというのは確かでないからである。確かでない世界には、????のような気がするとしかいえないではないか。
・全く他者のことであるからである。要するに、一日中家に閉じこもっていても平気な私としては、さらに時代遅れの哲学書とか国文学関係の本を見て、ノートをとり、ブログに記事にしたりしているだけであるからである。
・退職後はボランティアで柔道をやっているだけのしがないじぃさんであるからである。年金だけでは暮らしていけないから、アルバイトもやっているケド。
・あ、そんなことはどうでもいい。まったく、タイトルとまったく違った書き方をしている。いつものとおりである。5人くらいの人しか読んでくださっていないだろうから、好き勝手に書いている。もっとも、人生そのものも好き勝手に生きてきたから、今更である。
・本論に戻ります。
・山路先生、実に私のような初学者を引きつけられるような入り方をされている。うまい。序の部分で、現代の学生たちが勘違いをしていると言われる。芸能者がタレントとしてもてはやされるのは、古代中世ではチガッテいたと言うと学生たちは驚くのだそうである。
・違う世界が古代・中世には展開されていたのである。「芸能民は身分的差別を受けていた」と書かれて、次に「現在の学生は一様に驚いた顔をする」と続けられるのである。
・見事な序である。確かにそうであろう。テレビが、ラジオが若者にとってはステータスなのかもしれないからである。
・映画や舞台の世界には「河原乞食」という偏見が確かにあった。敬愛する小沢昭一大先生もこのことはよく言われていて、TBSラジオで「小沢昭一の小沢昭一的こころ」なる番組を夕方からやっておられて、楽しみにしていたんである。
・小沢昭一のような方は、(田中小実昌様もそうだ)気取らない。いかにもインテリであるという鼻高々の姿勢をとらない。これは見事である。
・世の中のあらゆるエリートたちに申し上げたい。「いかにも」という態度は誰でもできるんでっせ。そんなのはおかくしになられた方がよろしいですよ。マジに。今まで幾多のエリートに囲まれて四苦八苦してきたんですから。アタシは正真正銘ダメート(=エリートの反対語・・と~ま君の造語)でござんしたから。
・さて本文に戻ろう。(いつもこうだなぁ・・だから論文まで随筆だとしかられるのだ)
・「中世における芸能者の身分」という章に取り上げられている「後水尾院年中行事」がある。寛文四年(1666年)に宮中の年中行事を記している。
・要するに禁裏には、猿楽をはじめとする職業芸能者は参入できなかったのである。手猿楽など素人演者の場合はそうでもなかったけれども。
・このあたりは岩波書店の能楽講座シリーズにも書いてある。ちょっと、今はその講座シリーズを城西国際の図書館で発見したので、読書中である。院生室である。楽しみである。
・しかし、問いがある。「なぜ、専業の猿楽者は禁裏で演能できなかったのであろうか?」というものである。
・猿楽の前身である散楽をはじめとする、芸能を専業とする者は、古代律令国家においては、その一部が「楽戸」であった。中国における楽戸が身分的に差別をされていたのである。日本では直ちに差別対象としたわけではなかったが。
・中世時代は省略する。観阿弥・世阿弥については、である。今のところの関心は、まさに能楽の源流にあるからである。
・山路先生のご著書で興味深いのが、「楽戸」のご研究である。(pp55_78)
・サブタイトルに「芸能民差別の一つの源流」とある。先生によれば、「延喜式」に「大和国城下郡杜屋村」がキーワードであった。
・古代中世の杜屋というと、最初に登場するのが「大倭国正税帳」であったとのことである。(正倉院文書)・・・ここに「村屋神戸」と書かれているとのことである。これは後で原文を確認したい。
・それなら「杜屋」の位置はどうなるのであろうか。山路先生は、このあたりの調査を文献によって詳細にたどっておられる。この方法はこれからの私には大変参考になる手法である。
・見方を変えよう。
・「大和における猿楽座が、古代の楽戸の後裔である可能性を考えた」という部分(p.73)は注目したい。大いなるヒントが、あるのかもしれないからである。能楽の源流を考える上で。
・4種類ほど先生は書かれている。このあたりが、冒頭に挙げた私の問の答えになるのかもしれない。
・あっという間に制限字数を超えた。(自分で勝手に3000字を超えないことと決めてます=でないと永遠に終わらない)最初の書き出しが良くなかったかな・・これで今日の読感文は終了。さ、これからスポーツジムに行くのだ。あ、その前にワンコの散歩をしてからである。
・じゃぁ、また!