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と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

内田百先生

2012年04月18日 18時42分15秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

・認識の枠組みは、仮のものというのが、唯識論の根幹であろう。

・空思想に現されるところの、一切無的な思想からは、だったら現実にこうやって生きている現実はどう説明するんだい?と聞かれたら、答えようがないからである。

・私がおり、他人がおり、物があるという我々人間が認識する枠組み自体が仮のものである、それどころか妄想であるとするのが、唯識の主張である。

・映像に置き換えて考えると分かりやすい。映像は確かに妄想である。ある種の記号を、主体として、***と解釈しているだけである。

・それが真実であるかどうかはわからないのである。

・これは小説でもそうだろう。今日は、内田百先生の本を読んでいてそう思った。

・まったく内田百せんせは楽しい。まるで俺のことが書いてある。ブログの記事のようだ。こんなに楽しい方がいたんだ。文体も見事である。短文の積み重ねで、イメージを作り上げていく。

・最初は取っつきにくいかもしれないが、まさに思考の枠組みを取りこわされておられる方である。

・なんだか面倒くさい思考や、認識のあり方なんてものは、どっかに吹き飛んでしまっているのである。お見事である。

・こういうせんせを今までないがしろにしてきたことを、詫びねばならない。誰に?内田せんせに。


・「蜻蛉玉」が秀作である。ちくま日本文学シリーズで読んでいるが、この文庫本の解説が赤瀬川原平さんなのだ。これまた楽しい。そして内田せんせのこの「蜻蛉玉」をおすすめしているのだ。同感である。

・読むのがもったいないくらいである。しかし、この文庫は例の古本チェーン店で買ったものでワンコイン一枚であったから、定価的にはもったいないということはない。よって、おもしろいところにはグリグリと線を引いて読んでいる。

・なんといってもアタシの本ですからね。

・それにしてもある種の予感がする。のめり込むのではないかという予感である。

・ある本が、一冊でもおもしろいと次々と読みたくなるのである。

・丸山健二がそうであった。「爆走オデッセイー」を読んで、アタシャ、400CCのバイクまで買ったのだから、相当いれこんだのだった。(今は、丸山健二せんせは、おとなしくなったものである=アタシも)

・個人全集を買った作家というのは、こののめり込みがないと買う気にもならない。あたり前であろう。

・唯識は、岡野守也せんせに入れ込んだから、知ったのだ。岡野せんせの著作物はほとんど買った。買ったあげくに修士論文はご丁寧に「岡野守也論」であったのである。

・だから感謝しているのである。のめり込むような対象に出会ったということにである。

・人生はこうでなくちゃいかんと思っている。

・今は、我が師匠の本を集めさせていただいている。書かれたもの全部をアマゾンで探しては、買わせていただいている。

・弟子たるもの、そうでなくてはいけない。

・なんてったって、こちらは無知であるからである。知らないから、教えていだくのである。知を、贈与していただくのである。あるいは、考え方を、知るための方法論を学ぶのである。こんなに楽しいことはないのである。

・この「贈与論」というのも、レヴィ・ストロースから教えていただいたことで、まだまだこちらも学習中であるから、一丁前に記事にはできない。しかし、記事にしながら、書きながら勉強していると、ミスについても指摘してくださる方もおられるのかもしれないと期待しているからである。

・もっとも、5人くらいしか読者を想定していない貧者のブログであるから、期待はずれであろうとは思っているが。

・貧者と言えば、年金暮らしになってから、出費がない。反対に収入も乏しくなった。当たり前である。

・それに、毎日定刻に駅まで出かけ、11時16分ので東金まで出かける。そして、大学に着いたら、院生室にバッグを置いて、すぐ学食で昼食をとり、午後からの読書をする。ノート片手に、あるいは読書カードを持って。

・夕方5時には切り上げる。5時間も勉強できる。最後は決まって図書館である。死生学のVTRを今のところは毎日見ている。デーケン先生のである。カード片手にである。

・そして、求名の駅から、5時29分の電車に乗って自宅まで帰るのである。

・実に決まりきった生活である。カントのようだと言ったら、これは笑われるなぁ。。。。当たり前だ。

・知的生活というのは、こうした決まりきったリズムでないとできないと思う。

・どっかで読んだような書きぶりである。あ、あれだ。「知的生活の方法」を書かれた上智の渡部昇一教授の台詞だ。これもまた贈与論の一環であろう。

・今日も有意義であった。実によかった。



コメント
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4月17日(火)のつぶやき

2012年04月18日 03時20分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
18:45 from gooBlog production
読書感想文です goo.gl/FWisk

19:49 from web
やっと柔道教室に行ける。やっとです。今日は速攻で帰ってきたつもりだったが、いつもどおりの電車でございました。

19:49 from web
そんなことよりも、柔道。動けないのではあるまいかという不安が先に立つ。イツキという状態が一番怖い。パワーだけだとそうなるんですよ。もっともパワーもないですがね、今のアタクシは.

22:45 from web
幼子たちは、元気であった。久しぶりである。元気なのが一番いい。いいなぁ。純粋だなぁ。柔道やって、将来これで食っていこうとかの、算盤勘定がまったくないんだから。尊敬しちゃうですな。

22:46 from web
柔道のケイコから帰宅した。笑った。お尻の両サイドが痛くてたまらんのだ。筋肉が弱っているのだ。しょうがないな。まったくしょうがない。

22:49 from web
帰りにスポーツジムで、サウナ入ってちょっと筋肉を柔らかくしたケド。これではやわらの道に反するねぇ。体が固くなっているんだ。もう限界かね。60だもの、限界は通り過ぎているか。それでもいいから、稽古だけはやろう。今度は金曜日の夜にお邪魔しよう。まったく邪魔しているだけだケド。

22:52 from web
退職のご挨拶というハガキを出すのだそうな。しかし、どういう文面で書くのだ?まさか恥の多い半生でありました。お許しくださいませって書くのか?諧謔にしかならんじゃないか。誰だって恥かいて生きているんだからねぇ。

22:54 from web
大過なく・・・という文面も書けないですなぁ。ホントニご迷惑をおかけして、お世話になりっぱなしで、そのくせお返ししたこともまったくなく、・・だから恥の多い半生でしたって書くしかないのかな?仕方のないオヤジですよ。

22:56 from web
そんだったら誰にも出さないのがいちばんいいのだと言ったら、フル女房殿にいろいろお叱りを受けた。当たり前か。それが世間相場というもんだろうから。所詮常識のないワタクシ風情では、こんな程度でありますよ。

22:58 from web
と、ツイッターで書いたら、ハガキを送った方は本当にこころから感謝申し上げている方であるということを、ここで意思表示しているようなものである。

22:59 from web
出せない方にも、こころから感謝申し上げています。こんなでたらめな人生を送ってきたワタクシ風情に付き合っていただいて、感謝しているのです。本当にです。

23:08 from web
いろいろな学校にも感謝しているのです。今、通学している城西国際大学大学院には一番感謝しています。そしてこの間修了させていただいた武蔵野大学大学院にも。さらに放送大学大学院には、生涯学習の道を気づかせてくださったという大恩がある。

23:11 from web
本当にすべての方々に、組織に感謝申し上げたい。神様ありがとうという人は多いが、隣のと~ちゃんありがとうと言える人はなかなかいないと思っているからであります。また、亡き父母にも。もう少ししたら、ワタクシは山形の赤湯温泉にある亡き両親の墓前に行ってまいります。退職の報告にです。

23:14 from web
そして母校米沢興譲館を創ってくださった上杉鷹山公にも感謝してまいります。米沢の学恩なしに、現在のアタクシは無い。感謝のみあります。

23:16 from web
劣等生のアタクシが、定年まで教育に関わらせていただいたというこの幸運を感謝してまいります。上杉神社で、です。ありえない話であったからであります。

23:18 from web
人生不可解なりであります。本当にそう思います。あらかじめ予想できないからこそ、人生は面白いのかもしれませんけど。

by tym943 on Twitter
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/