・「草食系男子」なる言葉が出て、久しい。誰が言い出したかというと諸説あって、怪しい。インターネットで拾うと、コラムニストの深澤真紀氏が、2006年に「草食男子」ということを言われ出してからであるらしい。
・このことば、最初は実に違和感があった。なぜなら、草を食って生きていられるんかいな?と思っていたからである。
・どうもそれは違っていたらしい。
・おとなしめで、かわゆいタイプの、しかも女性を口説けない、やさやさしい男子なんだそうな。こういうタイプの男は、女性を口説くときに「今、つきあっているんだっけ?」と聞くのだそうな。バ*か・・・・。それだと誘導尋問と一緒じゃないか。女性が「つきあっているよ」とのたもうたら、速攻で逃げ出すことが可能ではないか。自分だけを安全圏に置いていて、そりゃないぜ、セニョールであるぜよ。「つきあってないよ」と言ったらもうこっちのもんだという実につまらない性的計算がミエミエではないか。バ*が。。。ああああ、バ*が。(書くのも情け無い。書いてるオレは真正のバカですな)
・弱そうに見せていれば、生きる上で楽だからだそうだ。ホントか?どうも信じられない。弱いことは、真逆に被害者になる可能性も高くないのかと思う。私のように意図的に弱そうに見せて、反逆するという汚い寝技専門の柔道もあるけども、それは例外である。
・それにあらゆる人間関係の苦しさに堪えて,堪えて、堪えまくって最後はぷっつんしてしまうんじゃないのかね・・・。やさしいことを金科玉条のようにして、まるでそれが最高の価値であるかのごとく振る舞う方々を知っているが、それでいいんですかね?
・草食系というたった一つの仮面、ペルソナというんだそうですが、それだけでいいんですかね?
・人間というのは、そんなたったひとつのペルソナをつけて生きていけるんでしょうかね?
(今日は随分?が多いな・・・いつになく)
・複雑怪奇なる個性こそ、私なんかには大変魅力があるように思えるんですが。単一の個性では、ただのつまらんボンクラおっさんでしかない。だから、中年のおっさんのように、ちまたにはいろいろな魅力あふれるダンシがたくさんおられるんである。そういう方々と一献酌み交わしながら、ちまたの話をするのも実に面白いんですよ。
・一見肉食系のようなただの頑固オヤジが、実はナイーヴなカラオケをやってみたりするから、人生は面白うてたまらんわけであります。私のようにです。私はどっから見てもただの肉食系のオヤジですが、カラオケの18番は小椋桂の「少しはわたしに愛をください」なんですから。わらわれっちまうですがね。もつ鍋食いながら、バカをやっているんです。もっとも泥酔しないと絶対歌わないっすケド。
・この反対に、一見草食系のやさやさしい男が、実は家庭内暴力をやったり、妻を殴ったりするのは、これはたまらんわけであります。
・そういうのを最低というのでありますよ。もし、このつまらないオヤジのブログを見ている方がおられたら、そしてそれがうら若き女性であったら(そんなヒトはいないなぁ・・)そういう最低の男を最初に見抜くことであります。
・ダンシもそうです。一見やさしそうなニョショウ(女性とも書く)が、実は・・・という羽目に陥らないためにも、人間を早く見抜くことですよ。人間観察というのは実に大切なことでありまする。(これはアタシの古女房ドノは、アタシの最初の評価どおりで実に・・・・(^0^)/)
・なんでそんなことを書き始めたか。能の作品研究で、その歴史的展開という書籍をずっと読んでいたから。だって、能は能面をつける。いろいろな仮面の演じワケをするから。仮面が人間かという無謀な問いには屈しないケドも。時々飽きて、メモにそんなことを書いていたのでありました。
・今日は雨が降っていたけど、院生室の階下で、本学の福祉学部関係の学生たちが、手話の勉強を一生懸命音楽と共にやっていた。感動したですな。こういう若い方々が、こういう分野でご活躍をされるということに素直に感動です。私にはできなかったからです。母校の学部(通学生)を卒業させていただくときに、福祉関係の仕事に合格をさせていただき、面接に行ったのでありました。そして、そこで私は断念したのであります。とても、とても私のようなダメ人間につとまるような職場ではない。神のような深い愛と、こころがまえと、やさしさがないとできない仕事だと、しみじみ思ったからであります。
・やさしさは表面的なものであってはなりません。真底から、愛のあふれる人間でないといけません。草食系男子などと言って、表面上をつくろって、弱さの中に逃げ込んで、あらゆる人間関係のトラブルから逃げまくっていたんじゃ、それはいけない。
・私だって逃げたい時はいっぱいあったんですよ。でも、こらえた。いっぱいこらえた。弱いからこそ、こらえたんです。何度も何度もすべてを投げ出したくなったのでありました。一番甚だしいのが、学部時代の新聞配達。これはほんとうに言語を絶する。今でも、夢に出ます。配達ルートを覚えています。42年前のですよ。
・能力もないから、家庭教師なんてクチもかからなかったし、まず不可能でしたね。でも、それが良かった。自分の能力の世間相場を知らされたし、仮面をいくつもつけることができたからであります。ハラの立つ仮面、全てのヒトを許す仮面、じっと堪える仮面、暴力的になる仮面、将来のことを考える仮面、経済のことを考える仮面、そろばんをはじく仮面・・・・・・・・・・・・いくらでもあるわけです。
・それでも、すべての基調には「愛」があるんです。愛が基盤に無いと、それは「呪い」でしか無い。このことについては、さらに書いてみたいですケド。
・明日もルンルンで大学に行こうっと。楽しみ、楽しみ。