井上光貞著 「南都六宗の成立」(『日本仏教宗史論集 第2巻』所載 pp.2-24 1986年 吉川弘文館)を読む。城西国際大学図書館所蔵
・最初気がつかなかった。南都六宗の成立について、唯識との関連で調べ物があったので、最初のページから読み始めているのだが、どうもどこかで聞いたことのあるような論者だと思ったら、歴史学の泰斗ではないか。恥ずかしい。忘れていて、読んでいるんだから、どうしようもない。
・もっとも100ページノートは、ばっちり取り始めている。しかしである。忘れるのも早い。まったくどうしようもない。行き帰りの電車の中で、マメ単を見ているんだけど、これまた同じ。旺文社の赤尾芳夫社長の「人間は忘れる動物である・・・」のしおりに激励されている。あ、これは愚生の高校生の時も同じフレーズであったではないか。赤尾社長の縛りはすごい。死んでも、激励されているんだからあの方は凄い。
・さて中身にはいろう。
・南都六宗は、養老-天平期の学問奨励の一連の対策として成立してくるものであるという井上先生のご指摘に身が震えるような気がした。そんなふうには考えてもみなかったからである。単なる歴史的現象として、この南都六宗をまるで、クイズのパズルのように考えていたからである。
・おそらく多くの高校生は、そんな程度であろう。私も唯識学を調べなくてはならないから興味を持ったのであって、知識としてだけなら、こんな風に追求する気にはならならかったに違いない。
・なんとなれば、奈良時代の宗派組織概観として、東大寺ですらまだ新しい寺院であると言われるのである。あの東大寺がである。なんという壮大な話であろうか。
・中でも養老二年の10月、太政官が、僧綱に対して下した次の五箇条の布告が注目に値するとされる。
①法門の師範としてふさわしい人の高徳を顕彰すべきこと
②師の跡をついで、後進の僧侶の領袖たるにふさわしい人があったら申告すべし
③五宗の学、三蔵の教は、それぞれによるところを異にするから、宗ごとに最も宗師たる人を申告すべし
④それぞれの機根にしたがって、各々業につかしむべきこと
⑤僧徒は、寺院に定住して、諸義を学習し、禅行を修行し、各々その業をまっとうすべきものであって、法師に対して、法 をそしり、精舎に非ずして居を構え、仏行にあるまじき行を・・・・・
・東大寺は、純粋に、典型的にこの理念を具現化したのだそうだ。年代的にまだ新しいからなのである。それを「養老二年の布告の理念」と呼ばれていて、実にこのあたりはおもしろいところである。天平勝宝年間の「正倉院文書」によって明らかにされたことでもある。
・この仕事の全体の責任者が、僧憬という名前である。華厳宗である。前掲の文書の中に、法性、三論、律、倶舎、成実という文字が含まれている。これを寺院の名前と比較してみると興味深い。
・すなわち、この養老2年の仏教政策以前に創立された寺院が4つある。それぞれ、元興寺、法隆寺、大安寺、弘福寺である。宗派組織としては特殊の形態である。東大寺のみを問題としていてはいけないと、井上先生は言われる。私は、実はこの中の弘福寺にもっとも興味があるのだが。能との関連で。
・井上先生はこの後、それぞれの寺院の特徴について詳述されていく。実に興味深い話がつづく。
・特に摂論宗についてはまさに唯識である。無着の摂大乗論を所依としている、また世親の摂大乗論釈によってこれをまさに釈する一派である。摂大乗論は、唯識学院の包括的・組織的に組み立てた最初の論である。仏教の唯識の代表作である。
・大安寺の「修羅衆」のことも面白い。日本霊異記にも取り上げられていて、商売をしていたとのことである。これもまた非常に興味深いことではあるが。
・明日は、大学に行けない。ちょっとさみしい。図書館でもいつまでも多くの学生達が勉強をしている。さらに去年は公認会計士に合格者も出している大学である。学問的雰囲気に圧倒されに行っているのだから。もっとも、明日午前中は千葉科学大学にいる。こちらも学習意欲では負けていない。さらに愚生の楽しい授業である。(^0^)/ウフフ
・お昼から、馬車馬のようになって、孫の祝いをくださった方へのお礼をしてあるく。そして、夜には受験勉強をしている方々への知識の贈与タイムである。
・楽しい、楽しい。