あれよあれよとびっくりしたり、恐れたり、よろこんだりすることはあるが、想像力の不足のために、大抵のことは、結局はおのれの身にしまず、忘れ去ってしまうことになっているようだ。-こころならずも・・・
世界の文化はどれをとっても、人間の内的世界に従って外的環境を作り上げようとする試みから成り立っています。例えばゴシック様式の聖堂は、内なる真実の投影であるし、ギリシアの神殿や中国の仏塔だってそうです。 『童話の森通信』
一度の舞踏も為されなかった日は、無為の日としよう!一の哄笑も伴わなかった真理は、全て虚偽と呼ぼう!-ツァラトゥストラ- Nulla dies sine saltu, nulla veritas sine risu.「森なくして日なく、笑いなくして真理なし。」(ラテン語の格言)
どうもあしにはまだよくわからんが、人間というのは蟹がこうらに似せて穴を掘るがように、おのれの生まれつき背負っている器量どおりの穴をふかぶかと掘ってゆくしかないものじゃとおもえてきた(「坂の上の雲」)goo.gl/FoX9
町の真ん中にはもはや聖堂ではなく、銀行が建っています。我々を取り巻くものは、全て―最近ではね―内なる真実が外部へと吐露されたものではなく、機能性や権力争いの産物になっています。 『童話の森通信』
脱皮する。――脱皮できない蛇は死ぬ。その意見を変えることを妨げられた精神の持ち主たちも同様である。彼らは精神であることをやめる。-曙光-
情報過多というのはその社会に赤信号が一杯点滅しているということなのであるらしい。息苦しくてたまらんが、それを見もせぬものには息苦しくも何ともない。精神の皮膚が薄くなると赤信号に目がいって仕方がないもんだ。行動もままならぬ癖にだ。お気の毒さま。-心せかるる
舞台というものは技を見せるところで、素のままを見せるべきではないんです。馬や鹿や木々ではなくて、馬や鹿や木々の「象徴」を見せなくてはいけないのです。このところ、現代演劇では、人工的な技が日常生活的なものに変わっている状況が見受けられますが、まさに非芸術的です。『童話の森通信』
■「大気は、それが育むあらゆる生命とその霊を共有していることを忘れないで欲しい。我々の祖父たちの最初の息を与えた風は、また彼の最期の息を受け取る。」 【シアトルの酋長】
だが、なるようにしかならぬ。わたしは自分も、大日本帝国も何かスソ鉢の壁のようなところを少しずつずるずる下って行っているような気がしてならないのだった。ひょっとすると、このおれと大日本帝国とはひどく似ているのかもしれないぞ。-帝国軍隊における学習・序
シュピールには勿論、千差万別、様々な種類がある。面白いシュピールもあれば、月並みなシュピールもある。そして、もっとも本質的なシュピールは或る共通のクオリティー・シンボルを持っていて、それが「美」なのです。 『MOE 1993年2月号』