でも、書庫にある本なんか、ゴミとなって捨てられるだけだけど
基本的に小説が好きなんだなぁとしみじみ思った。同時にいろいろと読んで飽きることがない。まったく病気みたいなものである。こんな真っ赤な嘘話を読んでいて飽きないのだから。まるで村上春樹の「ノルウエイの森」に出てくる登場人物みたいだ。あ、そんなことを言ったらハルキストに叱られるか。クワバラ、クワバラ。ハルキストって世界中に棲息しているっていうから、気をつけまひょ。
昨日も読んでいた。ノルウエイの森もそうだし、ファンタジーもそうだ。さらに古本チェーンから買った本もちらちら眺めている。プロッキーというマジックで本に殴り書きをしながらである。もうこれでは古本チェーンに売ることはできないだろう。
で、柳田国男全集と、折口信夫全集もそうしようかと思っている。要するにきれいに読んで、ノートやカードにしたところで、オノレのアタマに記憶されないのではアカンと思い始めたからである。神田の古本屋で柳田国男全集も折口信夫全集もそれぞれ7000円(全巻ですぜ!)で買った古本である。惜しくは無い。むしろ、私のアタマの中に入っていないということの方が大問題である。
学位を取りたいという動機からは離反したから、好きなように読むしかない。
そして私の書庫を見てみた。個人全集がかなりある。よくまぁ、これだけ買ったもんじゃ。そして保存状態がいい。丁寧に読んできたからである。しかしである。これらたくさんの個人全集が、古本になったらたったの7000円である。全巻である、全巻。まったく価値がないっちゅうもんだ。だったら、売ることを考えなくてもいいのではないかとふと思ったのである。
暗記できるまで読むことじゃよ。あるいは暗誦を楽しむくらいに。それに、子々孫々までこれらの個人全集が残っているはずもない。私が死んで焼かれたら、こんな駄本は息子にゴミとして捨てられるだけである。
ちっとも惜しくは無い。そんな程度でしかない。ワシのやってきた勉強と一緒である。ゴミの山。わはははっははっははははっはは。
それに、机に向かって本を読んでいると、すぐ古女房ドノから叱責が飛んでくる。だから、ながら族で読んでいるしかない。読み始めると時間のたつのを忘れてしまうから、余計叱責される。これじゃぁ、論文なんか書いている場合じゃねぇっていうもんだ。読書も、論文書きも身体にいけないっていうんじゃ、あとはナマケモノになっているしかない。ナマケモノって好きだけどね。あの動物の方のナマケモノ。まるで私自身を見ているような気になるからである。動作もゆっくりだし、決して無理をしないように見えるからだ。病気になってからは、意識して動作をゆっくりしているからである。さらに、決して古女房ドノに逆らわないことにしている。言われるとおりにしている。ご飯の量も、調味料もそう。言われるとおりにしていれば、病気にならなかったと思うから、今は大いに反省して素直に生きているっていう案配である。大笑いであるが。
だから、文章を書くときは、短時間でいろいろと基礎的な文章を書いて、それでもって後でWordに落としこんで、まとめてみる方式にしている。これだと、長時間机にへばりついていることはない。ポメラというテキストファイル専用の機械でもって原稿書きをしているから、古女房ドノに叱られることもない。叱られる前に、ポメラを持って脱出してしまうからだ。プチ家出である(^0^)。
ポメラは、横の長さが30センチくらい、縦が10センチくらいしかない。軽い。乾電池で動く。コンビニにも乾電池は売っているから、充電の心配もない。辞書は、パソコンのATOKが使える。パソコンからコピーすれば簡単にできる。さらに、機能が特化している。原稿書きだけに。だから病気してみると実にありがたい。ブログの記事も書ける(ポメラでは書いていないケド)。ブログだけは、書庫にあるデスクトップで書いている。なじんでいるからだ。それに、短時間で書いている。2000字で30分もかからないだろう。書きたいことは山ほどあるからだ。それに自意識過剰というのがない。私には。つまり、読んでくださる方の反応をまったく意識していない。自分のために書いているからである。物忘れがひどくなってきたし、覚えていられないからだ。
カナダ・アメリカ漫遊記を書いたのも、すぐ忘れてしまうのを怖れたからである。もうあちこちと忘れている。すでに。
どこで何を喰ったかということなんか、きれいさっぱり忘れている。反対に食事のことを全部記憶しているのが、古女房ドノである。参る。なんでか。どこで何を喰ったのか、覚えていないんじゃ、旅行に行った甲斐がないじゃないと叱責されるからである。こういうのは参る。そもそも、あまり喰うことに関心がない。どうでもいいとは言わないが、そういうふざけた態度で、ジジイになるまで生きてきた。だから病気になったのである。
デタラメな食生活を送ってきたからだ。
アルコールも体力に任せて、いいだけ呑んできた。焼酎、泡盛、日本酒、ワインとまさに阿呆のように呑んできた。だから阿呆になったのである。もっとも元々阿呆でしたがねぇ~。
後悔先に立たずである。終わってからそう思う。いつもそうだった。後悔ばかりしてきた。
でもね~、それでも私は生きている。まだまだ死なないようである。だんだんと体調も回復してきた。さらに教育関係の学会にも入れていただいて、さらなるチャレンジをしようとしている。
目的はない。
収入もない。
それでもいいのである。
死ぬまでのささやかなお楽しみであるからだ。
あはははっはははっはははっははの「ha!」
もう2000字をオーバーした。
このあたりでさようなら。
(^_^)ノ””””