今回Kindleを持っていったのも正解だった。
昨日、トロントから帰国せり。
12時間55分かかった。エコノミークラス症候群にかかって、ICUと一般病室に16日間ぶち込まれたから、実はおっかなかった。おっかなかったから、ビジネスクラスにした。おかげで、快適だった。足を伸ばしていけたし、毛布にくるまれて完全にベッド状態でいることができた。ビジネスクラスだからスクワットもできた。スクワット100回。つま先立ちの運動を100回やった。だから体調がいい。今朝、体重を量ったら、64.7キロ。血圧は、104。順調である。血圧がちょっと低いくらいだ。
今日からは、市営のGymにも行く。
完全にオタクだな。健康オタク。
もう仕方ないではないか。死にたくないので(^-^)/。そういうことでありんす。孫がまだまだできそうだし。爺の活躍の場は、ありそうだよ~ん。
孫ができたら、国語・数学・英語は完全に面倒見ることができそうだし。ただし、孫が中学生や高校生になるまで生きていられるかどうかという問題があるが。それまで元気で生きていたいもんじゃよ。まったく、まったく。
旅行に行く前は、いつもながら旅行のしおりを作ってから行く。
Wordで作る。それに写真もインターネットからとって、それをMicrosoftのワンドライブに入れておく。そして、Wi-Fiの効いた場所でKindleから見る。そうすると旅のしおりが不要になる。ただし、Wi-Fiは外国の方が充実している。日本はまだまだ。東京オリンピックまでには、この面で充実した施設設備になるらしい。だから私のような爺には朗報である。楽しみにしている。
今回Kindleを持っていったのも正解だった。飛行時間が長いので、読書三昧であった。Kindleに400冊は入っているので、ずっと読書していた。
折口信夫と柳田国男を行くときは読んでいた。「鬼の話」「万葉人の生活」「ひじりの家」とかである。民俗学めいたものをずっとやってきたから、こっちはある意味完全に趣味である。楽しいからやってきた。そして、まだまだ読めていないことに気がついた。だから、若い研究者のように大学生に教えたり、指導したりするってぇことなんか出来るわけもない。
こっちは素人である。だから、できねぇできねぇ。論文だって、よくわかりもしねぇのに書いていたんだから、恥知らずも甚だしい。しかしである。論文だけは、負けを覚悟でもって書いていかないとならんと思う。負けて当たり前の世界である。負けても、負けてもそのままでは起きない。不倒翁のように立ち上がらないと、学者センセとか研究者にはなれない。
だから、これからの人には、そう言っているのだ。負けちゃアカンですぜ!って。負けても起き上がればぇぇだけだ。
もっともアッシのように病気になっちまったんじゃぁ、それで終わりである。
だから、病気になって以来、私はながら族みたいになっている。つまりあまり根を詰めて論文書きをしていると、どうもいけない。再入院が怖い。怖いから注意しているのだ。
そういう観点から、夏目漱石を飛行機の中で読み始めた。
「手紙」を最初読了した。江戸弁の見事な文章である。読了したと言っても短いから楽なものだ。
それから「硝子戸の中」を豪華なビジネスクラスのシートで読み始めた。江戸っ子の流ちょうな言葉が実に心地よい。落語の世界である。円生の世界だ。文士としての漱石の気負いが感じられる。文体もなかなかのものである。「・・・・た」の多用でもって全体が展開している。ある意味村上春樹もそうだ。文体論から見たら、どう思うのだろうか。学力不足で退学した某大学の大学院博士課程で一緒だったクラスメイトが、今、論文執筆でしゃかりきになっているけど。QualifytestもProspecttestも規定の3年で合格した俊秀である。ちなみにまだ20代の女性である(アタシャその二つのtestすら受験させてもらえなかったチョー劣等生である)。モノが違う。モノが。複数の語学を駆使して中国から留学してきたのだから、意気込みが違う。
「硝子戸の中」をチラホラ読んでいたら、胃の病気のことが出てきた。あっと思った。そうだったのだ。漱石は胃病で死んでいることを思い出した。
俄然おもしろくなった。つまり同病相憐れむというやつだ。もっとも天才漱石センセと一緒にして、「同病」と言ったら、たちまち研究者失格になる。しかしアタシャもう関係がない(最初から研究者失格だったけどねぇ~)。天下の学力劣等生である。わははははっはははなのだ。誰にも気兼ねをする必要が無い。好き勝手に生きていればいいだけである。むろん論文も発表できないだろうし、自分だけでシコシコやっていればいいだけである。
つまり、漱石センセもまた「死」を思っているのである。漱石センセですらそうなのだ。死に損なった漱石センセが、「自分の生きている方が不自然」とまで書いている。ますますおもしろくなった。
「粋」の世界にいる。漱石センセは。奥様とも大いに喧嘩もされている。なんだ、これではオイラと変わりないではないかと飛行機の中で大笑いをしていた。
さらに漱石センセの外国語の勉強ぶりがなかなかである。外国語を一節ずつ読んでそれを暗誦するというのである。しかも明治の南校に行っていた兄弟そろって。これはこれは。目から鱗であった。「グードリッチの英国史」という英語で書かれた本を下読みして、それからその原書を伏せて、暗誦をtestするのである。さすが天才漱石センセである。
ネコまで出てくる。例の「我が輩は猫である」のネコだ。楽しい。すこぶる楽しい。
漱石センセは、両親が晩年になってできた恥かきっ子であったというのも書かれていた。
あるいは、病気も戦争も「継続」だとも書かれていた。いちいちなるほど、なるほどと頷いていた。シンプルなのだ。文体も。持参したB6ノートにメモまでしてしまったよん。アホですな、アホ。
それから飛行機の中での読書体験はもっと続いていく。これは行くときに読んだ体験であるからだ。
また次の記事として書いてみたい。
じゃ、これから古文書講座に行ってきまぁ~す。しかし眠たいなぁ。やはり時差惚けっちゅうやつかな。もう惚けているけど。
(^_^)ノ””””