成田空港のANAラウンジだが、どこのラウンジであっても、飲むものは一緒であった。
カナダには、成田空港から行った。居住地から近い。しかし、九十九里浜から一直線に鉄路が走っているわけではない。成田の高校にassistant principalで勤務していたことがあって(二年間)、鉄路がナイからずっと迂回して学校まで行っていた。成田は都会でも、こっちは田舎暮らしである。だから、不便だと思っていた。
しかし、今回は違った。退学した大学でクラスメイトであった中国人留学生からバスがあるのを聞いたことがあったので、記憶力のいいアタシャそれを覚えていたのである。だから、そのバスを使って行ったのだ。なんと片道300円で行けた。バス停で、あるご婦人にこのバス停でよろしいかとお聞きしたら、まちがいなかった。灯台もと暗しとはこのことである。知らなかった。もっともあれか。そのご婦人も中国人のような言葉を使っていたから(日本語の発音が独特であるからわかる)、成田で働いている方かなぁと思っていた。こんな田舎でも、空港が近いというだけで国際化しているのだ。ありがたいことである。こんなバスがあったんだったら、成田の高校に勤務しているときでも、使うべきであった。もう遅いケド。
成田空港は、地元にいろいろと経済的な利便を図ってくれている。事実、成田空港に離着陸する飛行機がすぐ上空を飛んでいる九十九里浜である。そういう高校のやはり assistant principalもやっていたことがあったので、air conditionerの設置・工事とかは全て無料であったのだ。
そりゃそうだ。
学校の上空を飛行機がひっきりなしに飛んでいたら、授業にならない。当たり前である。教師たちの言うことが聞こえない。もっとも聞きたくない生徒には、かえってありがたいのかもしれないケド(^_^)。
今回、ビジネスクラスで行ったので、写真のようにANAのラウンジを利用することができた。
素敵なラウンジである。一度、こういう場所に出入りして、金持ちというものがどういう場所で飛行機のフライトまで過ごしているのか経験してみたかった。だから楽しみにしていた。しかし、がっかりした。なんだ、こんな程度かという案配である。たいしたことはなかった。だいいち、アタシャ金持ちでもなんでもない。それに周囲にもそれらしき金持ちもいない。かえって金持ちほど、そういう贅沢はしない。
ビルゲイツが、絶対にファーストクラスに乗らないということを聞いたことがあったが、さもありなん。金持ちほど、ケチである。あたりめぇである。でないとカネは、向こうから逃げていくのだよん。
もっとも、アタシャ、カネにはまるっきり縁が無いが。縁が無いというと、オナゴにも縁がない。わはははっははははである。
なにごとにもご縁が一番である。関係性とか言うらしいが、私のように田舎で暮らしていると、やはりご縁の方がしっくりくる。もっとも、この言葉は仏教用語であって、そっちから来ている。一神教が、唯一絶対神のGodというものを設定しているのとはちょっと違う。それになんで唯一絶対神が人間の姿をしているのかということも、アタシャ昔から不思議であった。今も不思議だと思っているのだが。なんかいろいろ書いてある書物も読んだけど、まだこのことについては納得がいかない。(^-^)/
組織とのご縁というのもある。
会社とか、仕事先とか、家族とかいろいろとある。私の場合は、大学生であったから大学ということになろうか。定職を持っていないのだから、仕事は関係がない。つまりご縁がない。所詮アルバイトである。だから、関係性は薄い。アタシの頭髪のようなもので、まったく薄い。あるかないかわからないくらい薄いのだ。もっとも、いまさらである。いまさら、フサフサになったら疑われる。アレである。アレ。カタカナ用語の頭髪メーカーの作っている製品をかぶっているのではないかということだ。かぶってないケド。
そして、組織というものの正統性ということをよく考えるのだ。マジにである。あるいは絶対性というものということである。そもそも、正統性とか絶対性なんてあり得るのだろうかと思うからだ。
教育だってそうだ。現代の教育制度だって、たかだか100年ちょっとの歴史しかないではないか。いろいろな大学もそうだ。歴史的には、新しいものでしかない。それをである。もったいぶって、厳かに組織の正統性や絶対性を声高に主張すればするほど、ある種のうさんくささを感じてしまうのは、私だけではないだろう。
世間の評価というものとも密接に関わってくるだろうし。大学が良い例である。世間の評価、評判から逃れることはできないからである。これについては、高校にいたのだから言わば送り手にあった。だからシビアに感じているのである。
もっとも大学から去ったのだから、好き勝手に言っているだけである。要するに、中身で勝負するというか、内容で勝負するしかないと感じているのである。世間の評価とか、評判なんか当てにならない。それよりも、中身である。なにを学んだのかということである。
教育の要点というのはそういうことであるとしみじみ思う。
生涯学習もそうだ。
どこの生涯学習センターで学んだかということが問題なのではない。
あるいは、どんな資格を持っているかではない。学士とか、修士とか、博士とかの学位を持っているかではない。しかも、最近は博士を取得しても、**博士(****大学)というように取得した大学名まで書かなくてはならない。だから、そんなことに拘ることのアホらしさを今日は書いているつもりである。
最初に戻ろう。
つまり成田空港のANAラウンジである。
どこのラウンジであっても、飲むものは一緒であった。椅子もテーブルも見た目は高そうだった。だからどうなんだ?ということである。
本質は変わっていないではないかということである。そんなもんを本質と見間違えてはならない。
そう思ったからである。
それだけである。
しかし、それだけ書くのにこれだけの文章を厭きもせず書いている私も私である。
ただのアホですな。
わはははっはははっははっはは。
ではこれくらいで終わりにします。けふは、日本語ボランティアで出かけますので。韓国の大学生の方々を案内したりしますから。そして、夜は塾。高校生と英会話でもしましょうかな。なにしろエリート高校生だから。英語科もあるようなスーパー進学校であるので。
楽しみ、楽しみ。
(^_^)ノ””””